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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第1章 玄冬の出会い
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玄冬の出会い 3

(……さて)


 墨を流したような夜の邸の風景を白雪が彩っている。冷たい空気と耳に突き刺さる静寂が心地いい。

 凍れる織物のような地面を渡り、裏木戸を抜けた。警備はいない。巫術師の住居は一般的に人ではなく巫術の結界で備えるものだからだ。ただし行き来するには通行証に当たる符を携帯する必要があった。


 墨染邸の通行符は手のひらに収まる小さな木札だ。盗難や紛失の際は即解雇を言い渡されてもおかしくはない貴重品だが、所有者の手元を離れると一定時間経過後に消滅するように対策されていることは巫術師でなければわからないだろう。


 通行符を持って難なく邸を出た珠姫は、夜に潜みながら街を行く。

 目指したのは市中の端に並ぶ商人の倉庫だ。そのうちの一つの戸に手をかざすと、封印の巫術が解除された。凍える息を吐きながら素早く倉庫の中に滑り込む。

 そこは乾いた薬草と香木の匂いが満ちていた。手燭の芯に指を近付けて巫術で火を灯すと、室内の様子がよく見て取れるようになる。


 硯と筆などの筆記具や冊子や巻子本を置いた小さな机。占卜に使う石や筮竹、清めの道具の鈴と鏡、製薬器具など巫術師に必要なものを収めた道具箱。壁には刀と弓矢を立てかけ、着替えが入った行李を置いてある。


 持ち主の商人に賃料を支払って作り上げた、珠姫の隠れ家だ。


 下働きの身軽な衣服から、夜に溶ける鈍色の着物と袴に着替える。結んだ髪はまとめて頭巾を被り、口元を布で覆った。腰に打刀を帯び、道具袋を下げる。履物は滑り止めのついたくつを選んだ。


(確かに、冷える)


 外に出て、口布をしっかり引き上げながら息を吐く。


(今夜は川向こうから回ってみるか)


 ――昼は、墨染邸の女中の珠。

 ――夜は、名も顔も隠した巫術師の珠姫。


 皇都には宮廷不述とその一族係累、それには及ばずとも家格の高い一族や新興の者など、数多の巫術師がひしめいている。宮中では勢力を争い、市中でも縄張りを意識している者たちばかりだ。

 そこをなんの後ろ盾もない若い女巫術師が渡っていくのは非常に難しい。そう考えて、珠姫は二重生活を選んだ。うなされていることも桃子が眠れるように夜歩きしているのも事実だが、それらを隠れ蓑にして邸を抜け出し、ほとんど毎日街を巡っている。顔を隠して性別や年齢を誤魔化したこの姿を見て、墨染邸の女中の珠と気付く者はいないだろう。


(雪だからか、検非違使の姿がないな)


 皇都に、辻術師はほとんどいない。いずれにも属さない巫術師は巫術を使う資格がないものとして捕縛されるからだ。しかし珠姫はどこかの巫術師や一族に弟子入りしたり門下に入ったりはせず、辻術師でいることを選んだ。

 だからいまの珠姫は治安維持に務める検非違使の取り締まりの対象だ。また縄張りを荒らしているも同然なので他の巫術師と揉めることがないように注意深く行動する必要があった。


 しかし、あいにくの天気だからか、検非違使どころか恋人のもとに通う人も車も見かけない。

 人目につかないという意味では好都合だが、それは珠姫に限った話ではなかった。身を守るために帯びた刀を意識しながら、街の西側へ向かう。


 西に流れる白秋川の周辺は広い農耕地になっている。小さな家がぽつぽつと建っているところに吹く風は強く、水の気を含んで冷たく感じられた。地面に積もる雪は少しずつ厚みを増しており、この辺り一帯が市中に比べてかなり冷え込んでいることを示している。

 雪雲の流れる空は暗い。けんけんけん、ごほごほっ、と苦しげな咳の音がこだましていた。


(噂の悪い風邪か……)


 すると道の向こうの粗末な家から女が飛び出してきた。裸足の女は地面に這いつくばると、掻き集めた雪を抱えて脇目も振らずに家へと戻っていく。

 家に近付いてそっと様子を伺ってみると、ひんひんという子どもの細い泣き声と男の唸り声が聞こえてきた。


「苦しいね、苦しいね、ごめんね……」


 女が泣きながら言う。伏せっている子どもと夫に、雪で作った氷嚢を当ててやっているらしい。恐らくずっと家族についているだろう彼女の顔色は白く、不安と涙で歪んでいた。このままでは全員倒れてしまう。


「――もし。薬がご入用ではありませんか」


 できるだけ声を潜めて呼びかけた。こんな夜更けに突然声をかけられた妻はひっと息を飲んで振り返ったが、戸口に立っているのが巫術師と気付くと「術師様!」と転ぶような勢いで駆けてきた。


「もしかして『夜廻よまわりの術師』様ですか!?」

「……夜廻?」


 誰のことだと困惑する珠姫だが、救いを見出して感極まっているらしい妻は気付かない。


「あたしら貧しい人間を助けてくれる術師様がいる、夜に現れて、顔を隠して鈍色の衣を着ているって噂になってたんです。ああ、お願いです、助けてください! 夫と子どもがいまにも死にそうなんです!」

「診せてください」


 聞き慣れない呼び名や噂のことは気になったが、まずは病人だ。


 妻から話を聞きながら、夫と子どもを診察する。二人とも高熱と咳症状に見舞われており、夫は意識が朦朧として、四つだという子どもは泣く体力もないようでぐったりとしていた。咳のせいで眠ろうとしてもすぐに目が覚めてしまうらしく、症状を回復させられるだけの体力が戻らないせいで緩やかに悪化し続けているのだと思われた。


「もう三日になるのに全然快くならなくて、似たような風邪を引いていた近所の年寄りが昨日……このままじゃ二人とも……」

(三日も続いている?)


 それはただの病ではなさそうだ。未知の流行病か、それとも。

 心音や喘鳴を確認しようと夫の胸に手を置いた。そして微かな違和感に眉をひそめた。子どもも同じように診てから脈を取ってみたが、奇妙な感覚は強まるばかりだった。


 珠姫は多少の医術と薬の知識はあるが、あくまで巫術師だ。四竜の力を扱う者として気の流れを読んで、症状の軽重を診断して医者にかかるように勧めたり薬を処方したりなど可能な範囲で施術を行っている。

 その巫術師としての感覚が珠姫に警鐘を鳴らしていた。


(……まさか)


 腰の道具袋から取り出した半透明の石英の欠片を夫にかざすと、途端に黒く変色した。子どもの方も同じだった。


 石英は占卜や巫術の補助に使われる清らかな鉱物だ。そしてただの風邪ならかざしただけでは曇らない。


(これは、妖か、呪詛による症状だ……!)


 珠姫は素早く周囲に目を走らせ、原因となるものや犯人の気配を探りながら対処を考えた。

 このままでは衰弱して命を落とす。だが薬を処方しても一時的に回復するだけで快癒には至るまい。やはり元凶を取り除く必要がある。


「この薬を、ご夫君には一包、お子様には半量与えてください。その後はできるだけ水やぬるま湯を飲ませるように。可能であれば塩をひとつまみ入れて。少しは身体が楽になると思います」

「それで快くなるんですか!?」

「いいえ。あくまで対症療法です。体力が回復しなければ治るものも治りません」


 そんな、とへたり込む妻に、珠姫は新しく取り出した石英の欠片を握らせた。


「これを。悪いものを遠ざけるお守りです」

「お守り……?」

「いまからおかしな音や声が聞こえてくるかもしれません。けれど絶対に外には出ないでください。誰か訪ねてきても夜が明けるまで招き入れてはいけません」


 言い様に張り詰めたものを感じて怯える妻に「いいですね?」と念を押し、頷いたのを確かめると、珠姫は風を切るような素早さで身を翻し、冬の闇の中へと身を投じた。

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