罪と夜明けの記憶 2
夏は赤。火、そして南。赤竜が司る季節だ。
この時期の楓屋敷はいつになく華やぐ。先祖供養の儀式のために主人一家が皇都の本家本邸へ出掛けるので、使用人たちは存分に羽を伸ばすことができるから。そして何よりも、加階昇任の儀を終えた当主たち宮廷巫術師が賜暇を許されて、土産をたんまり持って楓屋敷へ保養にやってくるからだ。
当主夫妻は機嫌さえよければ惜しみなく着物だの酒だのを下げ渡してくれる。そんな当主たちの手前、分家の主人夫妻も普段が嘘のように気前がいいところを見せる。
また、当主一家に帯同する従者や使用人には見目麗しい者が多く、目に留まってあわよくば恋仲に、あるいは気に入られて皇都へ行こうと目論む者たちが、このときばかりは労を惜しまず動き回るのだ。
珠姫が十二歳になったこの夏も、僻地にあって娯楽に乏しい楓屋敷は蘇芳一族本家当主一行を心から喜び迎えていた。
「久しぶりに拝見した若様の麗しいこと!」
厨の女たちの声に、水瓶に水を注いでいた珠姫は一瞬動きを止めた。
「見た見た! 見ようとしなくても目に入るもの。あの涼やかな男振り!」
「あの若さで歴代最強の巫術師と言われているんでしょう? 噂を聞いた御上が早く力になってほしいとお声がけなさったとか」
「皇都では『朝の君』と呼ばれて大変な評判だってね。若様と結婚したいがために臣籍降下すると大騒ぎした姫宮様もいるって」
「そりゃあ大変だ。きっと緋佐子奥様は死に物狂いで朱葉お嬢様と若様との縁談をまとめようとするだろうねえ」
夏であろうと当主一家が逗留していようと、水汲みをし、洗濯をして、薪を割って畑仕事をして、と珠姫の一日は変わらない。
仕事の手を止めないまま、何も聞こえていない態度で周囲の会話を聞いていた。分を超えた仕事に押し潰されないように、そして理不尽な悪意や暴力を無防備のまま受けないようにするためには、人の動きや雰囲気を察して、必要であれば覚悟を決めておくことが必須なのだった。
「……水汲み、終わりました。確認をお願いします」
「ああ、はいはい。わかったわかった」
珠姫が声をかけると、ろくに水瓶を見ることもなく年嵩の厨女がしっしっと手を振る。いまの彼女たちにはおしゃべりの方が大事らしい。当主一家に限らず来客があるときはいつもそうだった。
次の仕事に向かおうと、空になった水桶を抱えて「失礼します」と頭を下げたときだった。
一人の女が積み重ねて置いてあった竹籠を珠姫に投げつけた。鋭く空を切った竹籠は、ばしっ、と音を立てて小さな肩にぶつかって落ちる。
「っ!」
痛い、と口を突きかけた言葉を飲み込んだ。たったそれだけの呟きが、反抗的だと言われ殴られる理由になり得ると身に染みていた。
「お嬢様が山桃をご所望だ。籠いっぱいに摘んでくるんだよ」
「表をうろうろしたら承知しないからね。ご当主様や若様に汚いものをお見せするわけにはいかないんだから、ここから遠回りしてお行き」
不意の仕事のうちでも、分家の跡継ぎ娘である朱葉のそれは気まぐれで面倒なものばかりだと屋敷の者たちはよくよく理解していた。要求が叶えられなかったときの癇癪は実親ですら持て余すほどで、楓屋敷の誰一人として彼女に逆らえないのでないかと言われている。
当然、珠姫などに嫌だと言えるはずはない。突発的な用事を言いつけられるのもいつものことだ。
「ほら、『仕事をくださってありがとうございます』は?」
「仕事をくださってありがとうございます。……いってきます」
珠姫は竹籠を拾い、鼻で笑う女たちに頭を下げると、駆け足で森へと向かった。




