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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第3章 贖え、命をもって
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贖え、命をもって 5


「この度は当家をお救いくださり、ありがとうございました」


 翌日、祓い清められた自邸に戻った池田式部少輔は、玄夜と付き添いの珠姫に深々と頭を垂れた。

 そして「娘の分も、心より御礼申し上げます」と先ほどよりも深く、頭を床に擦り付ける。


 室内に、先日のように几帳はない。

 大姫は昨夜のうちに出家し、邸を出て、戻らない選択をしたのだった。


「民を守ることもまた護国。巫術師の務めを果たしたまでです」


 そう告げた玄夜の合図を受けた珠姫は、護符を収めた箱を式部少輔に献呈した。その護符には妖や邪気を遠ざけ、池田氏に流れているだろう力の暴走を防ぐ効果が込められている。


「除災の護符です。肌身離さずお持ちになってください」

「何から何までありがとうございます。……あなたにも」


 唐突に池田氏は珠姫に向かって頭を下げ始めた。


「姫が思いとどまってくれたのはあなたの言葉があったからです。心から感謝します」

「いいえ、私は何も……決断されたのは大姫様です」


 まさか貴族に頭を下げられるとは思わず、言葉に詰まりそうになりながらなんとかそう応えた。助けようと思ったわけではなく、感情のままに発言したのだから、感謝されるようなことではない。


「それでも、です。姫は私たち家族や俗世から離れますが、生きて会えるのと二度と会えないのとでは天と地ほどの差があります。あなたがいなければ娘は儚くなっていた……本当に感謝してもしきれません」


 生きて苦しむのだとしても、生きていてよかったと言ってくれる誰かがいる、それは誰もが手に入れられるわけではない稀有な幸いだ。それだけで生きる理由になり得るものだった。

 もし大姫がそのことに気付くきっかけになったのなら、珠姫がいた意味はあったのだろう。


「私も、巫術師としての務めを果たしたまでです」


 玄夜の言葉を借りて応じると、池田氏はひどく感銘を受けたらしい。目を潤ませながら玄夜と珠姫に幾度となく頭を下げて感謝を述べた。どうやら見た目通りにずいぶん感情に素直な人物のようだが、残念ながらこういう善良な人間は出世できないのが悲しい世の常だ。


「墨月の方々はなんと高潔でいらっしゃるのか。同じ名家でも、お力やお人柄に大きな差があるものなのですね」

「もしや、最初に頼ったのは」

「ええ、墨月ではない、名家と呼ばれる一族です」


 例の、下手なことをして妖を怒らせた巫術師だ。妖を祓うために結界の調整を行った玄夜、邸を祓い清めた椋人曰く、家を守る鎮宅の巫術に手を入れた痕跡があったがあまりにお粗末だったとのことで、『巫術師を名乗るのも烏滸がましい、基礎もなっていない見習い以下』と悪し様に言っていた。


 池田氏はやるせなさそうなため息をつく。


「その一族の名前を伺っても?」

「ええ。――蘇芳です」


 時が止まった。


 一瞬の後、珠姫の血が目まぐるしく逆上を始める。


「墨月殿と同じ、南を司る宮廷巫術師の蘇芳一族です」


 息苦しいほどの動悸と全身が凍りつく感覚に目眩を起こす珠姫には気付かず、式部少輔は玄夜に「ここだけの話でお願いします」と頼んでいる。


「何故、蘇芳に依頼を? きっかけがあったのですか」

「蘇芳一族の当主が稀なる力を持っていると人づてに聞いたのです。あれこれ手を尽くしてようやく蘇芳殿に面会できたのですが、しかし自分が動くほどのことではないと言って、一族の巫術師を差し向けてきました」

世事せじに疎くてお恥ずかしい限りなのですが、蘇芳殿の力のことは有名なのでしょうか?」

「御上のお耳に入っているかどうかは定かではありませんが、少なくとも、式部省をはじめとした八省官司の間ではある程度知られた話かと思います」


 稀なる力。


(……稀なる力?)


 巫術師の才能や術の強度を決定づけるのは血統や信仰心、しかしそれだけに因らないことは広く知られている。由緒正しい名家の生まれでも強い巫術師になるとは限らないのに、ましてやあの蘇芳一族に、そんな巫術の使い手が現れるわけがない。

 彼だけだった。本物だったのは彼だけ。彼だけが――。


「蘇芳の巫術師たちは妖の襲撃に備えると言って当家に数日滞在した上、まるで家探しでもしているかのように邸を荒らし、これでもう大丈夫だと言い置いて帰っていきました。しかし状況はよくなるどころか……これでは、まるで」


 式部少輔は呻くように言った。


「蘇芳一族は、巫術師というより詐欺師のようではありませんか……」


 ぐら、と景色が歪んだ。


 池田の大姫に憑いていた妖は決して弱くはなかった。しかし相応の力を持つ者であれば易々と祓えるものだ。そうでなくても策を練って数で押す方法もある。それができない、できなかったというのなら。


(蘇芳一族は力を失っている)


 蘇芳一族に護国の使命を負うことのできる巫術師はもういない。だって彼だけだった。彼だけだったのに。




 ――旭しかいなかったのに、私が。




「……珠!」


 気付いたときには、力が入らなくなった身体を玄夜に支えられていた。


 話を聞いているうちに血の気が下がりすぎたらしい。目眩がひどく、呼吸が浅くなって冷や汗が止まらない。


「如何されました!? すぐに医師を」

「ご心配には及びません。疲労と緊張が原因でしょうから、帰って休ませます」


 医師と聞いて珠姫が身を固くしたのを感じたのだろう、玄夜は冷静に池田氏に断った。


「抱き上げるぞ」


 そして言うが早いか、珠姫を横抱きにする。

 返事をするどころか反応する間もなかった、別に抱き上げなくてもいいのではないか、わざわざ巫術で身体強化する意味は、などと思うところは多かったが、言葉にする気力がなかった。


「…………すみません……」

「いい」


 言うべきことを虫の息で伝えると、玄夜は簡潔に返してくる。喋るな、休め、と言っているのだと悟って珠姫は半ば投げやりに口を閉ざした。迷惑をかけるのなら黙って運ばれる荷物になる方がましだろう。


「私の供人ともびとがご無礼をいたしました。本日はこれで失礼させていただきます」


 呆気に取られていた池田氏が慌てて見送りに出ようとするのを、玄夜はにこやかに、しかし毅然と断ると、珠姫とともに池田邸を後にした。


 玄夜は馬車を牛並みにゆっくり走らせるよう御者の城井に指示して、覆面を外した珠姫の肩を抱くように自らに寄りかからせる。


「すまない。具合が悪いことに気付かなかった」


 珠姫は黙って首を振った。けれど思った通りにいかず、かすかに位置を変える程度の動きになった。

 胸の奥で子どもが泣いている――ごめんなさい、ごめんなさい、と二度と会えない人に泣いて詫びる声がする。


「蘇芳一族は」


 滑り落ちた言葉に気付いたときには遅かった。


「蘇芳が、なんだ?」


 珠姫は諦めてしゃくりあげている子どもを心の奈落に投げ込むと、大きくため息を吐くように続きを口にした。


「……蘇芳一族は、それほどまでに弱っているんですね」


 そして「失礼しました」と言って、玄夜の肩から馬車の壁に身体を預け直した。


「蘇芳一族は最も変化が顕著だ。先代も現当主も宮廷巫術師の水準に届かないと言われていて、一族の他の者はさらにひどいと聞いている。いまのところ祭儀で失敗したことがないのが救いだな」


 やはり墨月一族の当主から見てもそう評価されるのか、と苦い失望で顔が歪みそうになる。


「さて、それが何故、稀なる力を持っているなどという噂になるのか……」

「きっと、自分たちで噂を流しているんでしょう」


 いや、と玄夜は珠姫の冷たい主張を否定した。


「成果がなければ池田式部少輔のような被害者が声を上げるだろう。そうならなかったということは、しくじるだけでなく実際に依頼を達成するときもあったと考えられるわけだが……」


 何を思ったのか、玄夜はふと眉をひそめ、薄い自嘲の笑みを浮かべた。


「……実は蘇芳一族には存在が公にされていない優れた巫術師がいる、なんて考えはさすがに荒唐無稽か」


「――え?」


 どくん、と鼓動が打った。


「それは、どういう……」


「話していて、蘇芳一族の次期当主のことを思い出した。残念ながら若くして亡くなったが、天分に恵まれた巫術師だった」


 視界が明滅する。


「何故」


 血が激しく巡る音とともに、どくん、どくん、どくん、と心の臓が脈を打つ。


「何故、そんな話を」

「葬儀は一族の者のみで行われた。私や外部の人間は彼の最期に立ち会っていない」



 ――だから、本当は、生きているかもしれない。



(まさか)


 玄夜は「まったく根拠のない空想だな」と自嘲していたが、珠姫は笑うことができなかった。

 何故なら、珠姫もまた、亡くなった旭が葬られたところを見てはいないからだ。



(……旭は、生きているかもしれない……)



 それは縋るには危険すぎる、しかし手を伸ばさずにはいられない、かすかだけれど眩い希望だった。


「さておき蘇芳一族のことは詳しく調べる。君にも協力を頼むことがあるだろうから、そのつもりでいてくれ」


 玄夜が言うのを聞いて、調べよう、と思った。


(旭の、蘇芳一族のことを調べなければならない。当時のこと、その後のこと、そしていまどんな状況なのか)


「珠?」


 黙り込んでいると訝しんだ玄夜が顔を覗き込んできた。我に返った珠姫はなんでもないと首を振り、居てもたっても居られず震えてしまう自分を抱きしめるように片膝を抱えた。


 失ってしまったものを追い求める珠姫の目に、瞳を暗く光らせる玄夜は映っていない。






 そしてその夜、珠姫は墨染邸を出奔した――。

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