巫術師の娘 2
師と暮らす家に戻ったのは、足元が見えなくなるほど夜が深くなってからだった。
緑深い山中の廃社と社務所が珠姫と師の住居だ。もともと慎ましい庵暮らしだった師が珠姫を弟子にするに当たって「色々と障りがある」というので、人目につき過ぎず、けれど安全な場所をということで選んだのが、放棄された社だった。
天災や人災、様々な理由で里に住む者がいなくなると、神を祀る社は捨てられたようになり、役目を失う。
師と珠姫はそうして荒れてしまった社や敷地を手入れし、四竜を祀って、生活できるように修復した社務所で暮らしている。師に言わせると、こうして忘れられつつある神域の再生を図って維持するのも、辻術師の仕事なのだそうだ。
宿願を果たしたことで気が抜け切ったぼんやりとした足取りで帰り着いた珠姫だったが、ずいぶん遅い時刻にもかかわらず師は寝んでおらず、四竜の祭壇のある板敷きの広間で珠姫を待っていた。
「宍雄師匠」
白いものが混じる短い髪、小柄ながらしなやかに鍛え上げた身体を持ち、熟練の職人のように無愛想な宍雄は、しかし無念を晴らそうとする押しかけ弟子を受け入れたり、弟子を案じて住処を移ったり、妖祓いに出た弟子の帰りを迎えてくれたりする、情に厚い人物だった。
「終わりました」
正面に座した珠姫の報告を、宍雄は重く静かに受け止めた。
「そうか。よくやった」
「はい」と答えてようやく、成し遂げたのだ、という実感が溢れた。本会を遂げるに至るまでの日々を思いながら、珠姫は床に指を突いて深々と頭を下げた。
「師匠のおかげで、念願だった仇討ちを果たすことができました。一族を追放された私を弟子にしてここまで導いてくださったこと、感謝の念に堪えません。本当にありがとうございました」
「感謝は要らん。俺も一族に思うところがあった、旭のこともよく知っていた、それだけだ」
素っ気なく言って、宍雄は苦いため息を吐いた。
「まったく、皮肉なものだな。一族を離れた者がたった五年で人喰いの妖を祓う巫術師になるとは……珠姫、お前は間違いなく一族で最も優れた巫術師だ。現当主でもお前には敵うまい」
「過分な評価、恐れ入ります。……でも、あの人たちを超えるより、師匠に勝つことの方が私には誉れです」
血が繋がっているだけの者たちなんてどうでもいい。未だ師に完勝できずにいる珠姫は冷たく微笑んだ。一族に好感情を抱いていない宍雄も「それもそうだな」と師匠の顔で頷いた。
「これからの身の振り方は考えているのか」
「辻術師を続けようと思っています。人々のための巫術師になることが旭と私の夢でしたから……行き先はこれから検討します」
旭の仇を討ったそのときに独り立ちを迎えるのだろうと考えていたが、思ったよりも早くその日が来てしまった。ほとんど何も考えられていない状況に苦笑いしていると、何故か宍雄は険しい顔になった。
「……師匠?」
「……お前が妖祓いに出た後、村長が来て『あの娘の部屋はどこだ』『鍵を開けるように言い含めておけ』と気色の悪いことを言ってきた」
ぎょっとして、すぐに背筋が寒くなった。
この辺りには、男が女のもとへ足を運ぶ通い婚の風習が残っている。しかし両家の親は一切関わらないことになっている。
したがって村長の要求は常識はずれの極みで、現代では犯罪を幇助する行為だった。
(厳重に戸締まりをしていたせいか……)
武術の心得があるとは言え、一見すれば若い女と初老近い男の二人暮らしだ。そのため家の周囲、そして個々の部屋には厚い結界を張って自衛していた。さらに珠姫は自室に封印を施し、在不在かかわらず勝手に開けられないようにしてある。
だから村長の『鍵を開けろ』という要求は、部屋が閉じられていることを知っている、つまり、忍び込もうとして失敗した人間がいたからなのだと考えられた。
「一応確認するが、村長の息子とは……」
「何もありません。たとえ金を積まれてもあんな阿呆は御免被ります」
そう考えられることすら侮辱だと思っていることが伝わったようで「そうだな、すまん」と宍雄はすぐに頭を下げた。師を責めても仕方がないと気付いた珠姫も「こちらこそ、申し訳ありません」と苛立ちを抑えた。
しかし事態は思ったより深刻だった。この辺りには地縁がない余所者ながら長年住んでいる宍雄はそれなりの縁故を持っているが、珠姫はそうではない。村長のような権力者に睨まれると面倒なことになる。
「明日、発ちます」
それが珠姫の結論だった。
「珠姫」
「私がいると、師匠がこれまで築いてきたものを台無しにしかねない。村長と息子は要求に応じるまで執拗に付きまとってくるでしょうし、時間が経てば経つほどやり口が過激になっていくでしょう。原因である私が去ることが最速かつ最良です」
村長だ地主だと言っても、強権が発動できるのは限られた土地でのことだ。そうした力を持たない、すなわち場所に縛られていない珠姫は彼らの力の及ばないところへ行くことができる。
「旭の仇も討てました。きっと時が来たのだと思います」
珠姫は深く頭を下げた。
「お世話になりました。善き巫術師になれるよう、これからも励んでまいります」
たった一人の友を失った世界はなおも暗い。復讐を果たした空虚は埋まらない。
けれど彼に救われた命を無駄にはできないから、生きていく。これからも。命運が尽きるそのときまで。
それが果てない贖いだとしても、生きることは旭の最後の贈り物なのだと、珠姫は信じている。




