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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第2章 巫術師たる者
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紫なるものは 2


 日用品を取り扱う東の市は、店が開く最も忙しない早朝の賑わいがひと段落し、のんびりとした空気が漂っていた。


 皇都の東にる宮寺には、市司いちのつかさと呼ばれる役人が管理する公式の市が立つ。人々はここで食べ物や薬種、布や装身具、家畜など日々の生活に必要なものを買い求めることができた。

 大通りを挟んだ西にも同様の場所があり、普段は寺の境内らしくひっそりとしているが、正月や水無月みなづきはらいといった祭事のときは大きな市が立って大変賑わう。


(いい墨と小筆が買えてよかった。後は、腰袋を新調したいんだけど……)


 真麻の薄衣を揺らす風は、気付けば春の匂いが濃い。店先に並ぶ食材の顔ぶれも、たらの芽や筍など季節を感じさせるものが増えている。


 腰に吊る道具袋を探してしばらく市を歩き回る。愛用の腰袋は宮中で身につけるにはいささかくたびれて見えることに気付いたので、見栄えのするものを用意して使い分けようと思ったのだ。


(ううん、巫術具を入れるには使い勝手があまり……)


 市の店に並んでいるのは大工や商人が使うようなものばかりだ。玄夜や椋人が使うような巫術師御用達の店の品には手が出せないので、上等の布を買って自分で縫おうと決めて、少しばかり格の高い店で端切れを買った。


「よかったらこれもどうぞ、お嬢様」


 服装のせいで珠姫がそれなりの家の娘に見えたのか。布商いの男は愛想よく笑いながら小さな絹の端切れを数枚つけてくれた。


「毎月新しい布が入りますんでね。今後ともご贔屓に」


 客がただの女中だと知ったら態度が変わるんだろうかなどと考えたが、断るのもおかしい気がしたので、珠姫は「ありがとう」とにこやかに返して店を後にした。


(せっかくだし、こおりに煮干しでも買っていってあげようかな)


 気まぐれに姿を現したこおりに、厨女が茹で南瓜だの蒸した白菜だのをやっているのを見たことがある。野菜屑ではなくわざわざ煮干しなんて贅沢だと言われるかもしれないが、仕事が増えてなかなか構ってやれなくなったし、このくらいの埋め合わせはしてやりたい。


 乾物屋で煮干しを買って、いくつかの店を冷やかしていると、人々の会話が聞くともなしに聞こえてくる。話のほとんどがずいぶん春めいてきたことと、やはり近く行われる上巳の祓についてだ。


「雪が溶けて春水川もずいぶん水嵩が増してきたようだよ」

「春水川といえば、今日は巫術師様方が儀式をされるみたいだね。ずいぶん見物人が集まっていた」

「あれは上巳の祓の準備さ。邪気祓いの人形を流すのに、その川が汚れてちゃ意味がないから、事前にお祓いをして備えておくんだよ」


 事情通らしい者が言うのを聞いて、珠姫はその場にいるだろう玄夜たち墨月一族の巫術師たちのことを思い浮かべた。


(清めの儀式……宣詞のりとを差し上げるだけらしいけれど、宮廷巫術師たちが勢揃いして結構大がかりだって言ってたな……)


 見たい。とても、ものすごく、見たい。


 巫術師特有の向上心に基づいた知的好奇心と探究心が貪欲に叫ぶ。一人、あるいは師と二人で辻術師をやってきた珠姫だ。大勢の巫術師が集う儀式に遭遇したのはたとえ準備といえども初めてのことだった。後学のために是非見ておきたい。


(この格好だし。離れたところから見るんだし。見に行くくらいいいよね)


 買ったものを包んだ風呂敷を抱えて、珠姫は春水川に向かった。


 東側は貴族の邸宅が建っているため、比較的栄えている。夜更けに辻術師姿で何度か歩いたことはあったが、黒光りする瓦も、立派な築地塀、家格によって異なるという門構えも、明るい時刻に目にすると物珍しく映った。


(……それにしても、ずいぶん賑やかだな……?)


 何台もの牛車に追い越されて、珠姫は内心で首を傾げた。

 車の御簾の内側に下簾を長く垂らすのは目隠し、つまり貴族の女性が乗っていることを意味する。重ねた晴れ着の裾を覗かせる出衣いだしぎぬで家格と立場を見せつけるような牛車も見かけて、思わず考え込んでしまった。


(貴族のお嬢様方はこうして頻繁に外出するものじゃないはずだけど、何かあったんだろうか)


 その疑問は、春水川に到着してすぐに解けた。

 川を見下ろす両の土手を埋め尽くすように並ぶ牛車、牛車、牛車。車だけでなく珠姫と同じような服装の女性たちも、女中のような格好の者たちの姿もある。周囲を見回すと、まだまだ車も人も増えようとしているようだ。


「白鷺の方々はもう少し下流にいるんですって。急ぎましょう!」

「上流はもう車を停める場所がないってさ」

「ははあ、そんなにいい男なのかい、墨月の当主ってのは」


 忙しなく上流を目指す女の声、顔見知りらしい車副くるまぞいの男たちの世間話を耳に拾って、珠姫は愕然とした。


(まさか、これ全部見物人!?)


 考えてみれば当然だった。宮廷巫術師、すなわち御上に侍ることを許された者たちが儀式のために勢揃いしているのだ。未婚の女性たちにとって優れた婿がねを得る絶好の機会というわけだった。


 思いがけない光景に遭遇してくらくらしてしまったが、次々に人がやってくるのでいつまでも立ち尽くしていられず、ひとまず移動する。

 川上に向かって歩いていくと、向こう岸にちらほらと巫術師たちの姿が見えた。薄い青の狩衣、青竜を司る蒼海あおみ一族の者たちだ。


(こうして見るとわかりやすくて面白いな)


 蒼海一族の巫術師に対して、こちら側の岸には黄色がかった白の狩衣の白鷺一族の者たちの姿が見える。上流には墨月一族、南の下流には蘇芳一族が集まっているのだろう。それぞれ奉じる四竜に対応した方角に配置されているのだ。


 ――しかし、それにしても人が多い。


 ただ見学したいだけなのに、見晴らしのいい場所はすでに牛車に陣取られてしまっていた。車と車の間が少し広くなっているところに入り込もうとした女が、乱暴な車副くるまぞいに追い出されて悔しそうにしている。


(うーん、場所が見つからなければ帰るしかないか)


 残念だが、とてつもなく惜しくて粘りたい気持ちがあるが、仕方がない。そう思って立ち止まったところには、これまで横目に見てきたものとは比べ物にならないほど豪奢な牛車が整然と並んでいた。張り詰めたような、けれど興奮しているような、異様な気配の漂う光景に面食ってしまう。


(うわ、やけに気合いが入ってるなあ。誰がお目当てなんだろう――って、あれか……)


 すぐそこの両岸で動き回っている黒をまとった巫術師は、珠姫もよく知る墨月一族だ。


 そして真昼時の光の中にぽつりと落としたような黒真珠の色を纏っているのは、玄夜だった。


 明るいところだと衣装の濃淡がはっきりするのですぐに見分けられた。報告を携えた者が近付き、指示を受けた者が走り去り、確認事項があるのか待機中の巫術師たちに近付いて何事か話したり、と忙しくしているようだ。


(あの大柄なのは椋人殿だな。対岸は、遠くてちゃんと見えないけど冬路殿がいるみたい)


 その他の顔見知りも、遠目ながら見分けがつく。ともに人形作りをした若者たちの姿もあった。当主や古株の巫術師たちの目があってさすがに大人しくしているようだったが、ちらちらと土手を気にしていることに気付いて苦笑してしまった。やんごとない身分の姫たちにいい格好がしたいのだろう。


(そうやって上の空になってると……ああほら、気付かれた)


 慌てて居住まいを正す薄墨色の彼らに、漆黒の玄夜が近付いていく。はっきり見えずとも氷の微笑を浮かべているのがわかった。そうして『よそ見とはずいぶん余裕だな』とか『手が空いているなら仕事をやる』などと言ったのだろう、弾かれたように巫術師たちが動き出す。


 そのとき玄夜はすでに他の者の報告を受け、指示を出し、と次の行動に移っていた。


 黒を纏ったその姿は暗く沈むどころか明るく光って見える。


(眩しい)


 非の打ちどころがないとは玄夜のような人のことを言うのだろう。巫術師の名家一族に生まれ、当主となり、巫術師の役目と責任を自覚しながら、己を失わず思うままに振る舞う。

 追放された日陰者には、目が眩むほどの揺るぎなさだった。羨ましいような、遠いような、決してああはなれないと思い知らされて妬ましく、けれど憧れてしまう。


(もし、旭が生きていたら)


 珠姫は、旭がこうあるべきだと望んだ『人々のための巫術師』になって、日の当たる場所に立っていたかもしれない。きっと墨月一族と交流を持ち、いまとは別の形で玄夜に出会うようなこともあっただろう。


 そのとき玄夜に力を貸すのは、きっと旭だった。

 けれど現実はそうではないから、珠姫はここにいる。


「――……?」


 物思いから戻って目を上げた珠姫は薄衣の下で眉をひそめた。

 先ほどまで忙しなく指示を出していた玄夜が動きを止めて、じっとこちらの土手を見つめている。


(……なんだか、私を見ている、ような……)


 そんなことがあるわけがない。いまの珠姫は女中姿でも辻術師の格好でもなく、上等すぎる外出着を着て、笠の真麻の薄衣で顔を隠している。この距離では顔を見るどころか珠姫に気付くことすらできないはずだ。


 しかし、頭上で、かさ、と乾いた音がした。

 はっとして見上げると、紙の人形が珠姫を見下ろしている。


(偵察の形代)


 術者の目の代わりだと気付いたとき、玲瓏とした声がした。


「珠」


 珠姫は信じられない思いで、呼び戻した形代を傍らに微笑む玄夜を見つめた。

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