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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第2章 巫術師たる者
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紫なるものは 1

 きっと、猫の話をしたからだろう。


「…………ん……んー……?」


 翌日の朝、珠姫はざらざらの舌に舐められる感触で目が覚めた。

 ざりざりとした痛み。濡れた感触。小さな生き物の温かさと匂いを感じる。ふかふかと生え揃った毛がくすぐったい。


「……ん、んん……ぁぶっ!?」


 かと思ったら前脚で頬を叩かれ、顎にぐりぐりと頭がめり込んできた。寝ぼけたままでいることは許されないと悟り、とりあえず手を伸ばして、攻撃を続ける毛皮の塊を捕まえる。

 にあー、と可愛げたっぷりに鳴く声がして、珠姫は起き抜けで眩しい目を細めた。


「……おはよう、こおり。起こしてくれてありがとう」


 盗賊もかくやという忍び足で侵入してきた墨染邸の黒猫は、挨拶なんてどうでもいいから遊べと言わんばかりに、あくびを堪える珠姫に拳もとい爪を引っ込めた脚をお見舞いしてくれた。




(そういえば、今日はお休みになったんだっけ……)


 顔を洗って着替えをし、裾にじゃれつくこおりを躱しながら、玄夜に言われたことを思い返す。


 今日、玄夜たち宮廷巫術師は東の春水川で上巳の祓の準備を行うという。珠姫に手伝いを頼むなら次の儀式からと考えていたため、今回の準備日と儀式当日は休暇を取ってもらいたい、とのことだった。


(でも『休みは心身を休める日』『手が空いているからといって他の仕事はするな』って、二回も三回も言わなくていいじゃない)


 子どもじゃないのでわかってます、と言い返してやり取りを終わらせたものの、玄夜はともかく椋人すらも「本当だろうか」と怪しむ表情だったのが複雑だ。それほど聞き分けがないと思われているのか。

 そうして強い言葉で承知したものを翻すわけにはいかず、今日一日買い物に充てることにした。巫術寮に勤めるようになって、文具だの小物類だのを買い足す必要がありそうだと思っていたから、ちょうどいい機会だ。


「まあ、お買い物? だったらちょうどよかったわ」


 外出する旨を知らせに行くと、清子はにこにことそう言って珠姫を空き部屋に招いた。


(おつかいでもあるのかな?)


 なんてことを考えていたら、行李から次から次に色鮮やかな衣が出てきて、室内はあっという間に「なんだなんだなんだ!?」という様相になってしまった。


「あの、清子さん。これは……」

「とってもいい子が勤めてくれるようになったと奥様に文を出したら、たくさん着物をくださったの。古着だけれどいいものばかりよ。ほら、この淡紅色なんかいまの時期にちょうどいいんじゃないかしら」

「えっ、あの」

「黄色もぱっと華やかになるし、爽やかな萌黄色も素敵。どれも似合っていて悩んでしまうわ。いっそ全部持っていく? 奥様も若様も、珠さんなら構わないと仰ると思うの」

「と、と、とんでもない!」


 珠姫は慌てて手と首を振った。美しい衣に心惹かれないわけではないけれど分不相応が過ぎる。


「どれにしましょう。やっぱり華やかな方がいいわよねえ」


 しかし清子はまったく聞いてくれない。このままた誇示し続けると貴族の姫のような派手な着物を押し付けられてしまいそうだ。


「……いえ、あの…………ええと……その淡紫のものをいただいてもいいでしょうか……」


 せめて地味なものを、と落ち着いた色合いのものを指すと、清子は「上品で素敵だわ」と満足そうに笑った。


「じゃあさっそく着替えましょうか」


 どうあっても逃げられないと悟り、珠姫は「はい」と力なく笑みを返した。


 何故か張り切ってしまっている清子にされるがまま、珠姫は淡紫の袿と濃紫の単を着ることになった。しかも真麻の薄垂れ衣のついた笠を被るという、それなりの身分の女性がするような外出着姿にされてしまう。


(同じ仮装でも、節分の鬼役になる方がましかもしれない)


 着飾るのに慣れていない珠姫はげっそりと肩を落とした。髪を梳るのはいいとしても、紅を塗られそうになったときはさすがに慌てた。どこに紅を指す女中や辻術師がいるというのか。


 案の定、顔を出した厨では真弓や他の使用人たちに何事かと驚かれてしまった。


「いったいどうしたんだい? まさか、嫁入りでも決まったのかい?」

「買い物に行くことを清子さんに伝えたら『着替えましょう』と言われて、こうなりました……」


 華やかな着物は、珠姫の疲れた顔をますます暗く見せたのだろう。それはそれは、と笑われた。


「奥様が別邸に移られてお召替えを手伝うことがなくなったせいかねえ。姫様がいたらまた違ったんだろうけど本家には若様お一人だし。まあ、羽目を外しすぎない程度に付き合って差し上げたらいいさ」

(ここはつけあがるなと叱ってほしかった……)


 雛遊びの人形代わりにしてもやり過ぎだろう。寛容すぎるのも困り物だと思った。


「私の服のことはいいんです。東の市に行くつもりなので、ご入用のものはないかを聞きにきたんです」

「あんた、今日はお休みだろう。仕事をするなって若様に言われなかったかい?」

「出かけるついでですし、このくらいは」


 仕事というほどのものでもない。黙っていればわからないことだろうと曖昧に笑えば、真弓は呆れたような大仰なため息を吐いた。聞き耳を立てていた厨女くりやめたちも何故か苦笑している。


「どうかしたんですか?」

「この前、ご主人様から通達があったんだよ。椋人様がわざわざいらして――休日だろうと手が空いたからと言って仕事をしたがる者がいるが絶対に働かせないこと、休日とは身体を休めたり楽しみのために過ごしたりするもので、休むことが仕事だ、ってね」


「名指しはなさらなかったけどね」と言うが、主として珠姫を指していることは明らかだった。

 珠姫はぽかんとし、やがて引きつる顔を隠すように俯くと内心で頭を抱えた。


(どうしてそこまでして私を休ませたいの!?)


「さあ、わかったらちゃんと『休日』を過ごしておいで」

「暗くならないうちに帰ってきなさいね」

「変な男には気を付けるんだよ」


 次々に声をかけられて、どんな顔をすればいいかわからなかった。家族でも友人でもない、ただ同じところで働いているだけの年上の女性たちにそうやって案じる言葉をかけられたのは初めてだった。


(おかしな夢を見ているような気がする)


 ぼんやりと邸を出ようとしていた珠姫を引き戻したのは、にーあー、というざらついたこおりの鳴き声だった。

 ずっと隠れて様子を窺っていたらしい。持っていた笠の薄い垂れ布にじゃれつくのでさっと背中に隠すと、ものすごく不満そうな顔をされた。


「ごめんね、こおり。これはだめなの。市に行って、あなたが好きそうなものを探してくるから、帰ってきたら遊ぼう?」


 こおりは青みがかった黄金色の瞳でじいっと珠姫を見つめて、ばしんっ、と強く尻尾を叩きつけるとつまらなさそうに背を向けて行ってしまう。どうも機嫌を損ねてしまったようだと思ったら、門を出たところで「みゃー」と甘えた声がしたので、つい笑ってしまった。


「いってきます」


 今度はすぐに、みゃあ、と鳴き声がした。

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