巫術師たる者 3
天願国皇都。その北に皇王の御座す宮城がある。
この宮城を大内裏といい、その内部にある今上はじめ皇族の在所を内裏と呼ぶ。
政が行われるこの場所には太政官の官庁や、検非違使が所属する衛門府、公の儀式を行う太極殿などが建っており、参上を許された宮人たちが日々仕事に励んでいる。
宮廷に仕える巫術師の居所は大内裏の南東、内裏に近い巫術寮だ。敷地を東西南北に対応するように区分してそれぞれに専用の門を備えたうち、北側の殿舎が墨月一族に割り当てられている。
(思ったより他家の宮廷巫術師に遭遇しないものなんだな……)
想像していたよりも大内裏は広く、巫術寮では他家の領域に立ち入らないという不文律もあって、半月近く経ったいまも墨月一族以外の巫術師に遭遇していない。密かに知った顔に遭遇する可能性を考えていたので、一堂に会する場にいなければ実現し得ないとわかってほっとした。
巫術師一族、特に宮仕えをする名家は伝統的にと言ってもいいほど常に反目し合っているという。その証拠に、巫術寮では気配や音を遮断する結界で情報漏洩を防いでいて、互いに出し抜かれまいとする四家の危うい力関係が見えるようだった。
「新入り、これ頼むわ」
無遠慮な声が、木を削っていた珠姫の手を止めさせた。新しく乱雑に積み上げられた薄い木の板が目の前でがらがらと崩れる。
続けて別の者たちも「俺のもよろしく」「ありがとうな」と勝手な言葉と木板を押し付けて、疲れた、肩が凝るなどと言いながら部屋を出ていく。
「図書寮にめちゃくちゃ美人な書司がいるらしい」
「聞いた、聞いた! 艶やかな黒髪に透き通った肌、しかも琴の名手なんだと」
「それは是非とも拝聴させていただかないと、だな」
ぽつんと一人残された珠姫は、やれやれ、とため息をついた。
(いくら当主が立派でも、他がこれじゃあな……)
桃の花が咲く時期に行われる上巳の祓は、穢れを移した形代を川に流す厄払いで有名だ。
そのため宮廷巫術師はそれぞれ皇族、宮人、一族関係者など相当数の形代を準備する必要がある。珠姫は玄夜の指示通りに若い巫術師たちと木を削って人形作りをしていたが、ため息を吐きたくなるのも無理はないと思った。
作業を始めたのは同時なのに、彼らの進捗は珠姫の半分に満たない。知識はあり、字も巧みなので、実作業の経験が欠けているのだろう。だが性質が悪いことに、こうした仕事を地味でつまらないと軽んじているのだ。
恐らく指導役の巫術師が少ないのだろう。見習いたちに基礎を叩き込みたくても他の役目に携わっていて手が回らない。だから珠姫のような外部の人間を気軽に引き入れてしまう。
(あの人、案外苦労人なんだな……だいぶ変わってるけど)
「君には言われたくない」と鼻先で笑う玄夜がありありと想像できて笑っていると、部屋の外で足音がした。まもなく室内を仕切る屏風の向こうから細面の男がひょいっと顔を覗かせる。
「あれ、君だけ?」
「冬路殿」
墨月一族次席の黒鳶色を纏う、冬路だ。癖のある黒髪、人の良さそうな垂れ気味の目をした容姿端麗な公達で、非常に美しい字を書く。巫術師でなければ宮中でさんざん浮き名を流しただろうが、見た目とは裏腹に勤勉な人物らしく、頻繁に駆り出される当主の代理として一族の宮廷巫術師たちをまとめている。
「他のやつはどうした?」
「行き先を告げずに出て行きました。まだ戻りません」
事実だけを告げたつもりだが、何があったかおおよその事態を把握したらしい冬路は「なるほどね……」と呟き、放り出されている作業机から人形を取り上げた。ぎざついた断面をなぞる顔は渋い。
「冬路殿、ご相談があるのですがよろしいでしょうか」
「うん、どうした?」
「割り当てられた分を作り終わったので、残りも進めてしまって構いませんか?」
遅れが生じていると聞いているが、余所者が手出しすぎるのはよくない気がする。そう思って確認したのだが、珠姫が作った人形を検品した冬路はいやと首を振った。
「人形作りはあいつらに任せる。君はこっちに」
来なさい、と言われたので片付けもそこそこに別棟に行く。
巫術寮の敷地は墨染邸を縮小したものに似ている。母屋があり、東西と北の対屋があって、池はないが広い南庭があった。母屋には玄夜や冬路のような上役が詰めており、他の建物では役目を負った巫術師たちが各々仕事に励んでいる。
連れてこられたのは東の対屋にある草の匂いが漂う一室だった。
壁には箱が詰まった立派な棚が備え付けられており、いくつかの机の上には薬研、石臼、製薬道具が並んでいる。
「寒翁、寒翁はいるか?」
「はいはい、おるよ。いきなりどうしたね、冬の坊」
衝立に区切られた向こう側から、前掛けをした小柄な老爺が現れた。緑の青苦い香りが強くなる。匂いが染み付くほど長く薬にまつわる仕事に携わっている者らしい。
冬路は「坊は止めてくれ」と苦い顔をして、後ろにいた珠姫を指した。
「手伝いが欲しいって言ってたろ。ちょうどよさそうなやつがいるから連れてきた」
「ああ、玄の坊の客か」
現当主を十に満たない童のように呼ぶ寒翁はとことことやってきて、皺に埋もれた目で珠姫を見上げた。つぶらな瞳は、在りし日の力の名残を宿して鋭く光って見えた。
珠姫は女性にしては背がひょろひょろと高く、声も低い。だからゆったりした男物の衣を着て、髪や顔を隠すと、華奢な青年に見せかけることができた。巫術的な意味で顔を隠しているのだと言えば、呪われているか傷があるのだと考えて大抵の者は引き下がってくれる。実際、素行の悪い若手の巫術師たちもいまはまだ直接手を下すようなことはせずに大人しくしている。
そうしてしばらく珠姫を検分した寒翁の感想は「若いのう」だった。
「私は寒。皆は寒翁と呼ぶ。あんたの名前は?」
「珠、と申します」
『夜廻』を名乗ると噂と結びつける者がいるだろうと判断して、偽名をそのまま使っている。明らかな女名は、覆面と同様に、魔除けだと説明することにしていた。
「ここは墨月の薬室だ。宮中には医術を司る典薬寮があるが、その医官が用いる治療薬よりも、呪薬に重きを置いておる。巫術における薬の分野に特化していると言ってもよかろう」
呪薬は巫術を帯びた薬だ。医師が煎じた薬では癒せない穢れや呪いに効くもの、解熱薬や痛み止めなどの薬に巫術を付与して効果を上げたものなどがある。棚にぎっしり詰まっている箱がその呪薬の素材なのだった。
「私の他に担当の者がいるんだが、蒲柳の質でね。風邪をこじらせてしばらく出てこられないというので、あんたがしばらく手伝ってくれると助かるんだが、どうかね?」
「私でよければ。よろしくお願いいたします」
断る理由がないので、珠姫は頷いた。
「早速ご面倒をおかけして恐縮なのですが、手袋をお貸しいただけると助かります」
呪薬は、医薬に比べて素手で触れると危険な素材が多い。「突然でしたから用意がなくて」と言うと、寒翁は「もちろんだとも」と好々爺の顔で笑った。冬路もほっとしたように微笑んでいた。




