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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第2章 巫術師たる者
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巫術師たる者 2


(まさか私が、墨月の色を纏うことになるとは思わなかったな……)


 勝手に入ってこられないように巫術の封印を施した自室で、まだ慣れずにいる仕事着を手に取って苦笑する。


 宮廷巫術師にはいくつもの掟があるが、そのうちの一つに、守護する竜を意味する貴色を身に着けるというものがある。当主やその妻が濃い色、一族内の階級が下がるにつれて薄色になっていく決まりだ。

 したがって黒竜に奉じる墨月一族は黒色を纏う。当主の玄夜は漆黒、当主付きの椋人や珠姫は鉛色、階級ごとに少しずつ色が変わって、見習い巫術師は薄墨色だ。


 珠姫は鉛色の狩衣、同色の頭巾と覆面をした『夜廻』の姿で、東門の術師所に向かった。


 随身ずいしんと呼ばれる巫術を使わない警護が西門の随身所に詰めているのに対して、東は巫術師たちの領域だ。邸に住み込んでいるのは椋人を含めた三名、残りは外からの通いで、勤務は墨染邸と宮中の巫術寮に分かれる。

 その一族の巫術師も十年前に比べると半分以下に減ったそうで、宮廷巫術師の名を負うだけの能力を持つ者がなかなか現れないと玄夜は言うが、往時も現在も知らない珠姫には実感がなくてよくわからない。


 すれ違う者に挨拶をしながら車宿に行くと、椋人が車を準備しているところだった。


「お疲れ様です、椋人殿」

「お疲れ様です。早速ですが、香炉と敷物の準備を頼みます」


 それだけ言って椋人は自分の仕事に戻ってしまう。

 玄夜の従者、すなわち当主の右腕の彼は、いま珠姫の教育係も兼任している。恐らく監視役でもあるのだろう。親しくなりすぎないように注意深く距離を取ろうとしているのを感じる。


(悪意でなければそれでいい)


 嫌がらせや意地悪をされるわけではない。頼まれた香炉や敷物が隠されたり壊されたりしていないのなら、程よい距離で互いのやるべきことをやるだけだ。


 やがて支度を終えた玄夜が来た。彼に続いて珠姫も車に乗り込む。

 貴人の車を曳くのは伝統的には牛だが、巫術師は馬も使う。玄夜は足の速い馬車を好んでいるらしく、牛車に乗るのは祭祓まつりはらえのような式事のときくらいだそうだ。

 御者は墨月一族の巫術師で、城井という名の小柄でふくふくとした中年の男だった。巫術の腕はいま一つだそうが、巧みに馬を操るのと、動物に好かれやすい特性を重宝されてこの仕事をやっているのだと話していた。

 その隣には椋人が座っている。少々窮屈そうに見えるので、そのうち交代で座ることを提案した方がいいかもしれない。


「珠」


 呼ばれて目を戻すと、玄夜が珠姫の手に小ぶりの蜜柑を持たせてきた。


「食べなさい」

「いえ、私は」

「でなければ身体が保たない。私の手伝いをするのだから以前の仕事(・・・・・)は辞めていいと言っているのに、君はまったく聞き入れないからな」


 自らも蜜柑の皮を剥きながら玄夜が言った。


 巫術師として手伝いをするのが仕事なのだから、名ばかりの当主付き女中で構わないと玄夜が言ったのを、珠姫がこれまでと変わらずに働くと言い通したのだ。だが彼にはそれが不満らしい。いつ休むつもりだと言うのだ。


「働いている方が落ち着きます」


 この言い争いが始まってから何度となく繰り返した理由を口にすると「知っている」という言葉がため息混じりに返ってきた。


「休憩時間になって一休みしていると思ったら、気付いたときには掃除や片付けを始めていてひとときもじっとしていないと、皆が口を揃えて言うからな。清子などは良縁を世話してやった方がいいと言ってくる」


 主人や上司に気に入られた使用人が縁談の世話をしてもらうのはままあることだ。もし珠姫がごく普通の娘であったなら思いがけない僥倖に恵まれたと歓喜しただろう。

 しかしそうではないから、珠姫は薄く笑って目を伏せた。


「では、清子さんには私の夫にされる方が可哀想だと伝えておきます」



 ――こんな女を家族にする人が哀れだ。


 ――好いてくる者は愚かだ。


 ――もし好かれてしまうことがあれば、誰よりも不憫で不幸だろう。


 歌に詠まれる恋も、家同士の繋がりを重んじる結婚も、すべて他人事だった。つまり珠姫には無用のもの。望めるはずはなくその気もない。これでも身の程はわきまえているつもりだ。



「それは、君がそう思い込んでいるだけだろう」


 何を思ってそんなことを呟いたのか。


 玄夜を見るが、目を伏せて静かに蜜柑を食べている顔から読み取ることはできなかった。


「今日は上巳の祓と宴の準備をする。君は他の者と協力して人形ひとがた作りをしてほしい」

「わかりました」


 先ほどのことなどなかったかのように玄夜が言う。続けたい話題でなかったので、珠姫も彼に合わせて話を切り替えた。


「詳しい話は冬路とうじ殿にお尋ねすればいいでしょうか」


 巫術寮における墨月一族の総務全般を取り仕切る一族次席の名を出すと、玄夜は「ああ、そうしてくれ」と答えて、疲れたような息を吐いた。


「形代もろくに作れないとは……」


 上巳の祓のための人形の製作に遅れが出ていることは珠姫も聞いている。


「手が足りない、というより、年々求められる数が多くなっていると聞きました」


 ――巫術師の弱体化。


 玄夜が危ぶむそれが理由とは一概には言い切れないと遠回しに伝えると、それがまた問題なのだという。


「それだけ穢れを恐れている、祓い清められていないと感じる者たちがいるということだ」


 国と民を守る巫術が弱まっているから不安は大きくなる。

 そうして人々は巫術師を頼る。

 だがその巫術師はろくに巫術を使えない。


 この負の連鎖を断ち切るために、巫術師の頂点に近しい玄夜は強い力を持つ巫術師を一族の内外に求めているというのだった。


(…………ん?)


 いま、何か。


 しかし閃きかけたものは一時停止の振動でどこかへ転がっていってしまった。まったく思い出せないまま、馬車が再び動き出す。


「何か気になることがあるのか?」


 玄夜の問いに、珠姫は掴み損ねた閃きに代わって密かに抱いていた疑問を口にした。


「手を貸すのは構いませんが、それよりも原因を突き止めて対策を講じるべきではないのですか?」


 果たして玄夜の答えは、薄い薄い氷に貼り付けた思わせぶりな笑みだった。


 立ち入ることではないと判断した珠姫は口を閉ざす。長く続く名家だから、当主だから、宮廷巫術師だから、知り得ることがあるのだ。ただの辻術師が迂闊に関わると身を滅ぼしてしまう。


 やがて墨月一族の馬車は、門を潜り、数多の思惑渦巻く宮城に入っていた。

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