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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第1章 玄冬の出会い
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墨月と夜廻 3

 椿の花枝の束を持った珠姫はそのまま当主の部屋に招かれた。

 几帳を立てて火鉢を置いてよく温められた室内には椋人がいて、かんかんと沸いていた湯でお茶を入れ、揚げ菓子を添えて珠姫にも出してくれた。


「飲みなさい。君が修理した井戸の水で淹れたものだ」


 玄夜に言われたとき、あの井戸の故障が罠だったことに気が付いた。墨染邸に潜む巫術師を誘き出そうと、わざと井戸に手を加えて、近付いてくる者を監視していたのだろう。珠姫はそれにまんまと引っかかってしまったわけだ。


(悔しい)


 またお茶がちょうどいい温度で美味しいのだった。けれど眉間に皺を刻んでそう感じているとは思えないようにすることがせめてもの抵抗だった。


 お互いにお茶を啜って人心地ついたところで、向かい合って座していた玄夜が「では改めて」と居住まいを正した。


「墨月一族当主、墨月玄夜だ。後ろにいるのは私の従者で椋人という」


 玄夜が言って、背後に座っていた椋人が目礼する。

 同じように挨拶を返した珠姫は、玄夜に向き直ると指を突いて頭を下げた。


「珠と申します」

「氏は?」

「ございません」


 玄夜は軽く眉を上げた。


 巫術師の名家の者は皇王陛下から賜った氏姓を継ぎ、そうでない者は師や門下とわかる氏を名乗る。あるいは自分で考えた名字を称する者もいる。その氏を持たないのは実力不足の巫術師紛いか、あえて名乗らないなど、曰くつきであることを意味した。


 しかし玄夜には珠姫と関わらないという選択肢はないらしく、「そういうことにしておこう」と微笑して、ゆったりと脇息にもたれかかった。


「では、先に呪詛の件を話しておこう」


 食べながら聞きなさい、と揚げ菓子を示してから話し始めた。


「白秋川近辺の農用地に撒かれた呪詛については、巫術寮の宮廷巫術師による呪詛祓いが行われ、捜査が進められている。被害を受けていた住民たちは呪いから解放され、薬が効くようになって、徐々に回復し始めているそうだ」


 巫術寮は、巫術に関わることを司った機関だ。所属する宮廷巫術師たちは巫術の専門家であると同時に官僚でもある。

 事件が巫術寮の管轄になったのなら法に基づいた捜査が行われる。然るべき対応が取られることだろう。あのときの家族を思い、幾分か安堵しながら珠姫は頷いた。


「犯人は未だ不明だ。しかし今朝方、ある下位の宮廷巫術師が不幸に見舞われたという知らせがあった。あくまで噂だが……真夜中に突然苦しみ出して転げ回ったかと思うと、何故か不意に家が倒壊して、瓦礫の下敷きになったという」

「…………」

「雪掻きを怠って潰れたか家の柱が脆くなっていたか、なんにせよ悪事を働いたのだろうともっぱらの噂だ。そうでもなければ潰れた家と雪の下敷きになって春を待たねばならないなんてことにはならないだろう、と」


「わかっているのはここまでだ」と言って玄夜は温くなったお茶を啜った。


 珠姫は詰めていた息をそっと吐き出した。苦しんだことも家が崩れたことも呪詛返しの可能性が高い。人を呪った報いを受けたのであればそれ以上望むものは何もなかった。


「なんの感情もない、という顔だな」


 珠姫は目を伏せると視線を斜めに流した。


「私は、ただの巫術師です。裁きを下す権利は持ち得ず、人の死に何かを思えるような立場でもありません」


 義賊を気取るつもりは毛頭なかった。正義を為すのが巫術師ではないからだ。そしめ自分が決して正しい人間でないことを珠姫はよく知っていた。


「――君は何故、辻術師に?」


 きん、と冴えた声にふさわしい眼差しが珠姫を射抜く。


「何故この邸にいる? 何が目的だ」


 下手な誤魔化しは利かない。だが、そう簡単に屈するわけにはいかなかった。


「巫術師一族のお邸の女中になったのは、偶然です。商人の目官さがんに紹介されたのが、たまたまこちらの墨染邸でした」


 玄夜は「目官が……」と眉をひそめ、納得したように頷いた。


「来るべくして来た、というわけか」


 ぼそりと落ちた呟きを聞いた珠姫に、玄夜は涼やかな笑みを返してくる。言葉の意味を説明する気はないらしい。


「正式な巫術師になろうとは思わなかったのか? 君ほどの腕なら、どこかの一族に弟子入りするなり後ろ盾を得るなりできただろう」

「それでは私の望みを叶えることができないと考えました」

「望みとは」

「無辜の民のための巫術師であること」


 巫術師となる者は神たる四竜の力を借り受ける心得として、まず三つの理念を説かれる。


 ――生かされていることに気付くこと。

 ――生きていられることに感謝すること。

 ――その感謝を生きとしいけるものに返していくこと。


 巫術師とは古代の巫女や神官を起源とする、神に尽くす代行者。天地を守り、命を尊び、護国に一身を捧げるもの。


 それがやがて特別な力を操り、国を支え、政治的にも経済的に支配権や優位性を持つ特権階級となった。才能や術の強度を決定づける血統を維持しようと本家と分家、直系と妾腹といった差別が生まれ、いつからか信仰はおざなりにされてきた。


「立場のある者や一族の庇護下に入れば安全なことは確かです。けれどそのとき私の巫術は人々のためでなく、私を所有する者のために使われることになる。ですから、たとえ不便で、不自由で、危険であっても、辻術師でいるべきだと思いました」


 継母や異母姉、当主一家、それに媚びへつらう巫術師たちは、きっと珠姫を嗤うだろう。無関心な父や見て見ぬふりをする者たちは理解し難いと思うことだろう。それだけ珠姫の望みは嘲笑を買うものだった。偽善者と罵られるか、無駄なことをしている、無為に過ごしていると呆れられるか、どちらにしても賞賛されるものではない。


(それでも私は、絶対に、あいつらと同じものにはならない)


 脅威を退けられる強さを持ち、嘆くよりも戦い、無力な者に寄り添う巫術師になる。

 命を終えるそのとき、先に逝ってしまった旭に誇らしく胸を張れるように。


「では、その後ろ盾をやろう」


 時の流れの積み重なる旧家の陰影を受ける玄夜の瞳は、黒く深く澄んで光って見えた。


「私が君の後ろ盾になる。その代わり、仕事を手伝ってもらいたい」


 ――一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 見返すことしかできないでいる珠姫に、玄夜は悠々と微笑んでいる。


「墨月一族は、皇上に侍る四家の一つ。四家は現代において宮廷巫術師と呼ばれ、天願国の守護を絶対の使命とする」


 ――北、黒竜を奉じる墨月。

 ――東、青竜を奉じる蒼海あおみ

 ――南、赤竜を奉じる蘇芳。

 ――西、白竜を奉じる白鷺しらさぎ


 いくつかの政変や運悪く血が途絶えるなどもありつつ、宮廷巫術師は現在この四つの一族で固められている。入れ替わるときは類縁の一族が選ばれる慣わしだ。


「だが近年、この使命を果たすのが困難な状況にある、と私たち墨月一族は考えている」

「……汚職を?」


 最もありがちな可能性を口にすると「それだけならわかりやすかったんだが」と苦笑された。


「巫術師は弱体化している。護国の結界を維持することが困難なほどに」


 天願国を守る守護の柱、宮廷巫術師の顔をして、玄夜は言う。


「名家であろうとなかろうと、いや、名家であるからこそ衰えていることがありありとわかる。宣詞のりとと印相を必要とせずに巫術を使える者はほんの一握りだ。正式な宣詞を用いても名家の巫術師と思えないほど弱い」


 それは墨月一族も例外ではない。そう苦々しく吐き出して、玄夜は真っ直ぐに珠姫を見つめた。


「護国の使命を果たすために力のある巫術師が欲しい。出自も身分も関係ない。そう思って『夜廻の術師』を探していた」


 ――『見つけた』。寒月の下で聞いた声が耳に蘇る。


「珠、君がどこにも属さない巫術師ならば、私に手を貸してくれないか?」


 対価として墨月一族は『夜廻の術師』の後ろ盾になる。人道に悖る行いや罪を犯さない限り、行動は制限しない。素材や道具など必要なものがあれば一族の伝手で手配できるようにする。


「何故、そこまで……」


 断れば二度と皇都の地を踏むことはできない、辻術師でいられないようにしてやる、と脅すよりも好条件を提示して選択を委ねてくる。破格すぎる扱いはただただ珠姫を困惑させるばかりだったが、玄夜は事もなげに言った。


「私がそこまでする価値が君にはある。それだけだ」


 おかしな人だ、と無礼を承知で思った。

 探していた巫術師が女だと知ったのに見下してこない。主人と女中の立場など関係ないように話す。珠姫を笑わない。従わせて当然と考えていない。報酬を与える価値があると言う。


 珠姫が知るどの巫術師とも違う。

 それだけは、墨月玄夜をよく知らずとも、はっきりとしていた。


「……条件があります」


 試すつもりで切り出すと、玄夜は当然だと言わんばかりに頷いて続きを促した。


「あなた様に手を貸すのは『夜廻の術師』ということにしていただきたい。すなわち、顔も性別も素性も隠す。墨染邸の女中であることも伏せさせてください」

「私は構わないが……あまり徹底すると、あらぬ疑いをかけられて素性を探られるかもしれない」

「それを防ぐのがあなた様の役目ではないのですか?」


「おい」とそれまで黙っていた椋人が気色ばんだが、玄夜の明るい笑い声がそれをかき消した。


「ははは! 確かに、その通りだな。わかった、引き入れるからには守ると約束する」

(やっぱりおかしな人だ)


 でも決して嫌ではない。それどころか。


 冷たい、けれどもわずかに緩んだ眼差しに、遠からず訪れる雪の果てを見る。

 そんな予感が陽のごとく差し込み、それとわからないほど口元を綻ばせて玄夜を見ていることに、珠姫はまだ気付いていなかった。

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