第8話 新たな始まり
ダンジョンの冷たい石床に、志摩結人は腰を下ろしていた。
胸の奥でまだ余韻のように残る、戦闘の興奮と恐怖。心臓が激しく打ち、呼吸は荒い。視線の先には、巨大なバイラントモールの無残な死骸が横たわっている。その周囲に、三人の探索者たちが立ち尽くしていた。顔には、信じられないという表情が貼り付いていた。
「…おい、本当にウォッチャーなのか?」
黒い防具の男の声は、驚きと混乱が入り混じっていた。戦場で何度も命を賭けてきた者の言葉としては異質な、純粋な戸惑いと、理解しがたい現実に対する好奇心が交錯している。結人は何も答えられなかった。ただ、手のひらに残るわずかな土と石の感触だけが、彼がここで何をしたのかを雄弁に語っていた。
「ウォッチャーが…バイラントモールを倒すなんて…」
ヒーラーの少女の声は震えていた。恐怖の名残が瞳に残るが、感謝と驚きがそれを凌駕していた。彼女は結人の姿を見つめたまま、微動だにしない。少し前まで、自分の命が消えるかもしれないと恐怖に震えていたはずの彼女の目に、今は光が差し込んでいた。
「やっべー! まじでやっべー! お兄さん、超絶かっこいいじゃん!」
クラフターの少女は目を輝かせ、無邪気に結人に駆け寄る。肩を叩き、言葉を止めることなく畳みかけるように叫んだ。
「あの時、私の罠が通用しないって分かった瞬間、まじで終わったと思ったんだよ! なのに、なんで石ころで、あんなに的確に…!」
結人はゆっくりと顔を上げ、震える声で答える。
「…石ころ、じゃありません。外皮の継ぎ目に…」
彼のウォッチャーが捉えた情報は、あまりにも微細で、他者の目には決して映らないものだった。無意識のうちに口にしたその言葉は、戦場の奇跡の理由そのものだった。
「継ぎ目…?」
黒い防具の男は、死骸を目で追いながら、信じられないという表情を浮かべた。何度も戦ってきた相手の身体の微細な隙間に、彼の目は気づけなかったのだ。
「…どうやって、そんなもんが…」
「ウォッチャーの能力で…です」
結人の声は小さく、震えていた。
二人は言葉を失った。戦闘に役立たないとされてきた職業が、今まさに目の前で現実を覆したのだ。
「…助かった。ありがとう」
黒い防具の男は険しい表情のまま頭を下げた。その言葉が、結人の胸にじわりと熱を宿す。これまで地味な雑用にしか役立たないと思っていた自分が、誰かの命を救ったのだ。
「いえ…僕も、何も…」
「違う」
男の鋭い声が結人の言葉を遮った。
「お前がいなければ、俺たちは全員死んでいた。お前は、俺たちの命を救った。それだけだ」
その言葉の重さに、結人は言葉を失う。長年、自分を「敗者」と信じて疑わなかった彼にとって、この瞬間は予想外の評価だった。
「なあ、お兄さん! 名前、なんて言うの!?」
クラフターの少女が好奇心に満ちた声を上げ、結人の顔を覗き込む。
「…志摩、結人です」
「ゆいとね! いやー、まじでやっべーよ、ゆいとくん! ウォッチャーって、やっぱ最強じゃん!」
少女の無邪気な言葉に、結人の胸に小さな違和感が芽生える。
(…最強? 僕が…?)
長い間、「敗者」と思い込んでいた自分が、ほんの少しだけ肯定されるような気持ちになった。
「お前、この後、どうするんだ?」
黒い防具の男が真剣な眼差しで問う。ギルドに戻るべきなのは分かっている。しかし、なぜかその足は動かない。心の奥で、新たな何かに触れたいという願望が芽生える一方、長年染み付いた自己否定が、彼の心を締め付ける。
「…そうか」
男は結人の沈黙を見て、無理に問い詰めることはしなかった。そして口を開く。
「なあ、もしよかったら、俺たちとパーティーを組まないか? 見てただろ? 俺たち、ハズレばっかりなんだ。ガーディアンなのに紙装甲。ヒーラーなのに血が苦手。クラフターは気が向いた時しか罠が成功しない。バラバラだけど、この世界で生き抜くには、仲間が必要だ。互いの弱点を補い合い、強くなるしかないんだ」
その言葉には、自嘲も後ろめたさもなく、自分たちの欠点を誇りのように語る響きがあった。
「お前の能力は、俺たちの弱点を補う最高の武器になる。俺はそれをこの目で見た、それに・・・」
男の目には、直情的な情熱が宿っていた。
「一人でいるよりも、楽しいぜ」
結人は三人の顔を見つめる。
彼らは「ハズレ」だ。けれど、互いの弱点を受け入れ、支え合う仲間だ。
ずっと孤独だった自分とは違う。日銭のためだけに生きる毎日ではなく、支え合う者たちと共に生きる世界が、ここにある。
「……僕で、本当に、役に立てますか?」
結人の声は震えていた。
男は豪快に笑いながら答える。
「役に立つに決まってんだろ! 俺が、お前の力を信じてる! それだけで十分だ」
その言葉に、結人の唇に微かに微笑が浮かぶ。長年染み付いた「敗者」のレッテルが、少しずつ剥がれていく。
男は胸を張り、他の二人もそれに続く。やがて、三人はそれぞれ、はっきりと名乗った。
「俺は、蒼井慎だ。ガーディアンだ」
「私は、月詠彩葉、ヒーラーをやってるよ」
「私は、工藤陽向! クラフター!」
三人の声はそれぞれに個性があり、言葉の端々に自信と誇りが滲んでいた。結人の胸には、小さな期待とわずかな緊張が混ざり合う。名前を名乗ることで、彼らの存在がより身近に感じられたのだ。
「…よろしくな、結人」
「よろしくね、結人くん」
「よろしく、ゆいとくん!」
孤独な朝は、もう終わった。
志摩結人の物語は、仲間たちと共に、新たな一歩を踏み出す。
床の冷たさも、戦いの疲労も、まだ完全には消えていない。けれど、彼の心は確かに、前を向き始めていた。




