第5話 小さな違和感
任務を終えた結人は、ギルドの自動ドアをくぐった。
体にまとわりつく埃と、わずかな疲労感。それでも足取りは妙に軽い――いや、正確には軽いのではなく、落ち着かないだけだった。
(……どうして、あの人は僕に気づいたんだろう)
数日前、掲示板の前で出会った黒装束のガーディアン。
「ウォッチャー」である自分を見抜いた、唯一の存在。
その記憶が、頭から離れなかった。
待合スペースの椅子に腰を下ろす。スマートフォンを取り出し、任務報酬を確認。
口座に振り込まれた金額は、たった五千円。
数時間の労働の対価にしては割に合うが、心が弾むには遠すぎる。
(……これで、本当にいいのか?)
そんな思考に沈んでいると、不意に大きな声が耳に飛び込んできた。
「うっそだろ!? これじゃ今月、家賃すら払えねぇじゃんか!」
端末をテーブルに叩きつけそうな勢いで嘆く少女。短めの髪を揺らし、顔を真っ赤にしている。
彼女の隣には、青ざめた表情の少女がうつむいていた。怯えたような仕草で、指先をぎゅっと握りしめている。
(……あの子たち、前に見た寄せ集めパーティの……)
結人の「ウォッチャー」が反応する。無意識に、二人の情報が流れ込んでくる。
『個体:クラフター。状態:生活資金不足。デバイス故障中。』
『個体:ヒーラー。状態:精神的疲労大。ポーション残量ゼロ。』
目に見えない情報が、まるで字幕のように脳裏に浮かび上がる。
彼女たちの任務は失敗に終わったのだろう。
(……同じだ。僕と、似ている)
気づけば結人は、彼女たちに自分の影を見ていた。
孤立し、思うように成果を出せず、じわじわと生活に追い詰められていく。
クラフターの少女は苛立ちを爆発させ、ヒーラーの少女は涙をこらえている。
その温度差が、かえって二人の距離を広げていた。
(仲間がいるのに、こんなふうに……)
結人は首を振る。
彼には、そもそも口論できる相手すらいない。相談できる仲間など、ひとりとして存在しないのだ。
彼らの険悪さは理解できない。だが、羨ましくもあった。
「ウォッチャー」はさらに掘り下げる。
ポーションを使い切るほど戦闘が長引き、デバイスが壊れるほどの負荷を受けた。
それは、的確な判断やサポートがあれば防げた可能性がある。
(……もし、僕が事前に助言できていたなら……)
そんな考えが胸をよぎった瞬間だった。
「よしよし、泣くな。命まで取られたわけじゃねぇんだ」
低い声が割り込んだ。
黒い防具の男が二人の隣に立っていた。
(……あの時のガーディアン……!)
掲示板の前で出会った、あの男。
荒っぽい言葉とは裏腹に、仕草は驚くほど柔らかい。
怯えた少女の肩にそっと手を置き、苛立つ少女には苦笑しながら頭を軽く小突く。
「装備は壊れりゃ直せばいい。ポーションは、俺が持ってる分を分けてやる。ほらよ」
差し出されたのは、小瓶のポーション。
二人の少女は驚いたように目を瞬かせ、やがて涙ぐみながら受け取った。
「……ありがとう」
「ご、ごめんなさい……」
謝罪と感謝の言葉が、かすれた声で紡がれる。
黒い防具の男は「気にすんな」と軽く手を振った。
(……やっぱり、この人は……)
結人は、その光景をただ「観察」していた。
情報としては理解できる。
だが胸の奥をざわつかせるのは、彼の能力では測れない、人と人を繋ぐ絆の力だった。
自分には、それがない。
いくら正確に状況を把握しても、誰も助けられない。
寄せ集めの少女たちが、黒い防具の男に支えられながら去っていく。
結人は、椅子に深く腰を沈め、ぽつりと呟いた。
(僕は……ただの観察者だ)
その胸に残った「小さな違和感」。
それは、自分が本当にこのままでいいのかという問い。
そして、それこそが、彼の孤独な日常を変えていく最初の綻びだった。




