第4話 交錯する視線
その朝、結人は、いつもより早い時間のバスに揺られていた。窓の外を流れる景色は、いつもと変わらないはずなのに、心の奥は妙にざわついていた。昨夜、ノートに書き残した一言――「観察の可能性」。その言葉が、彼を強く突き動かしていた。
(……少し、試してみよう)
向かった先は、いつものEランク探索者掲示板ではなかった。今日は、ひとつ上の階層。中級者が集うDランク任務の掲示板だ。
広いロビーは朝から活気にあふれ、武具を背負った探索者たちの声と気配で満ちている。結人は壁際に立ち、雑踏に身を溶け込ませながら「観察」を始めた。視線の先、掲示板を取り囲む者たち。その立ち居振る舞い、装備の小さなほころび、声に混じる焦りや期待。彼の「ウォッチャー」スキルは、それらを網の目のように拾い上げていく。
『個体:剣士。状態:装備の耐久度低下、刃に微細なヒビ。』
『個体:魔法使い。状態:ポーションポーチ空。回復手段欠乏。』
『個体:軽装戦士。状態:防具破損、右肩部防御値低下。』
次々と文字のように情報が浮かび上がる。耳に入る会話と重ねれば、より鮮明になる。
「バイラントモールだって? あいつの外皮、俺の剣じゃ通らねぇよ……」
「ポーション切れだし、長引いたらやばいな」
「修理代も払えねぇ。これ以上壊れたら詰む……」
結人は心の中で整理する。剣士は硬い敵を苦手とする理由を抱え、魔法使いは持久力に不安を残し、軽装戦士は防具の脆さに怯えている。断片を繋げば、彼らの戦力構図や焦燥感まで浮かび上がるのだ。
(……やはり見える。僕にしか見えない綻びが)
だが同時に、胸の奥に冷たいものも広がる。見えても、それを伝える力はない。器用で、だが極められない。彼自身の在り方を思い出させる皮肉な光景だった。
「――ちっ、やれやれだ」
低く吐き捨てる声が、隣から聞こえた。結人が顔を向けると、黒と紺を基調にした軽量防具の男が立っていた。濃紺の髪は整えられ、切れ長の瞳は鋭い。白シャツに黒いスラックス、だが所々に追加の補強パーツが取り付けられている。胸元に輝く耳掛け型デバイス、小型のシールドブレスレットが左腕に装着されていた。
(ガーディアン……? いや、装備の改造が普通じゃない)
「ウォッチャー」が作動する。
『個体:ガーディアン。状態:戦闘準備完了。』
『装備:軽量化改造、防御より機動性重視。シールド展開型、換装痕跡あり。』
『動作:微細な姿勢変化、反応速度良好。』
結人は思わず目を凝らす。ガーディアンといえば、堅牢な鎧と大盾で仲間を守る役割が常識だ。しかし目の前の男の装備は真逆――機動性と応用性に寄せられている。盾役が避け、動き回る? 定石から外れた矛盾が彼の直感を刺激した。
じっと見つめていると、その男がふと横目を向けてきた。口角をわずかに上げ、からかうように言う。
「……なあ、お前。俺の顔にホコリでもついてるか?」
「えっ……」
「いや、そんな真剣に見つめられると照れるんだが? ……もしかして惚れた?」
軽口に、結人はたじろぐ。彼は慌てて視線を逸らしたが、男は楽しそうに笑った。冗談を交えながらも、その瞳には探るような光が宿っている。
「……あー、違うな。お前、観察してただろ。俺の動きとか、装備とか」
心臓が跳ねる。誰にも気づかれないはずの「ウォッチャー」。それを一瞬で見抜かれた。結人は言い訳を探すが、その男は片手をひらひらと振った。
「別に悪く思っちゃいねぇよ。むしろ面白い。だが――そういう目は隠すもんだぜ。戦場じゃ命取りになる」
軽い調子だが、その言葉には妙な重みがあった。経験に裏打ちされた声。結人は言葉を飲み込み、ただ立ち尽くす。
男は掲示板をひと目見て、鼻を鳴らした。
「……ふん、今日も微妙なのしか残ってねぇな。ま、俺には関係ねえか」
そう言って踵を返す。その背中は軽やかだが、どこか孤独を纏っていた。周囲のざわめきの中で、その背だけが鮮やかに浮かび上がるように思えた。
(……あの人は何者だ?)
違和感と、不思議な興味が心に残る。観察の目で拾ったはずの情報が、かえって謎を深めた。ウォッチャーに映らない部分――彼の在り方そのものが、結人には強烈に焼きついた。
やがてその姿は雑踏に消えていった。結人はしばらくその場に立ち尽くす。手帳に浮かんだ言葉を思い返す。
「観察の可能性」――それは、人の欠点や綻びを暴くだけではない。時に、未来へ繋がる出会いをも照らし出すのかもしれない。
彼の孤独な日々は、この日、小さな変化を迎えたのだった。




