第22話 波乱の炎
湿り気を帯びた風が、苔むした岩壁を吹き抜けていく。ここはDランクダンジョン《スモッグホール》。薄い霧のような瘴気が漂い、視界をわずかに曇らせていた。通路の奥からは、不気味な羽音が響いている。
「……慎重に行こう。烈さん、前に出すぎないでください」
結人はゴーグルを下ろし、光量を調整しながら声をかけた。
「気をつける!でも、前に行かなきゃ殴れねぇ」
烈は拳を握りしめ、笑みを浮かべる。その赤金の瞳は、暗がりでも燃えるように輝いていた。
「烈、突っ走ったら俺の防御が間に合わねぇぞ」
蒼井が肩をすくめて笑うが、烈は豪快に返す。その裏に仲間を意識する気配が見え、結人は一瞬だけ安堵した。
後方で、彩葉が小さな声を上げた。
「……なんだか、この先すごい嫌な感じかも」
次の瞬間、通路の影から群れをなしたスモッグビートルが現れた。
「きた……!」
結人は小型スキャナーをかざし、表示されるパラメータを瞬時に読み取る。硬い外殻、毒煙、突進速度。接近されれば厄介だ。
「やっべ、もうお出ましか」
陽向が工具ベルトを叩きながらにやりと笑った。
「行くぞ!」
烈が駆け出す。
「まだだ、烈さん! 止まって!」
結人の声に、烈は踏みとどまった。約束を思い出したように拳を構え、息を潜める。
「蒼井さん、前に!」
「任せとけ!」
蒼井は小型シールドを構え、飛んでくるビートルの突進を受け流す。衝撃は強烈だが、彼は身をよじって勢いを分散させ、隊列を守る。
その背後で陽向が即席罠を仕掛ける。
「粘着ネット、展開――っと!」
射出されたワイヤーが三匹のビートルを絡め取った瞬間、勝利を確信しかけたその時――
烈の拳が赤熱し、罠ごと叩きつけた。爆発的な衝撃が広がり、ネットは引き裂かれ、瓦礫が飛散する。
「烈っ、ちょっと待って――!あんたの拳、タイミング合わせてよ! 罠も意味なくなるだろ!」
陽向が叫ぶも、烈は笑いながら次の標的へ突進。
「悪ぃ! 拳が止まんねぇんだよ!」
烈は少しは結人の指示を理解しつつも、楽しさに負けて飛び込む。
その拳から放たれる衝撃波は、まるで爆発でも起こしたかのように、硬い甲殻を持つビートルを粉々に砕いていく。魔力の爆風でビートルが吹き飛ぶたび、仲間の隊列は乱れ、蒼井の防御も過剰な負荷を受ける。
「……すごい。でも危なっかしい!」
彩葉が思わず口にする。
「だな。俺がカバーしねぇと」
蒼井はシールドを構え、烈の背後に迫るビートルを受け止めた。
(ちょっ、ちょっと待ってください! もう少し連携を……!)
結人の指示も轟音にかき消される中、烈はただ楽しげに拳を振るい続けた。ビートルを瞬く間に殲滅していくその姿は、確かにパーティーが抱えていた火力不足を一気に解決してくれた。しかし、その代償も大きかった。衝撃波が瓦礫を飛ばし、クエスト用の素材も粉々になった。
「きゃっ……!」
瓦礫が弾け飛び、彩葉が思わず小さな悲鳴を上げた。それを庇うように、蒼井は半歩後退する。
「烈! 少しは周りを見てくれ!」
蒼井の苛立ちに満ちた声が響く。結人もすぐにゴーグルを装着し、状況を再分析する。
(まずい……このままじゃ任務の目標も、みんなの安全も確保できない……!)
結人は咄嗟に仲間の位置を確認し、戦術を修正しながら指示を出す。
「彩葉さん、後方に下がって! 烈さん、抑えて!」
烈は、まるで結人の指示など聞こえていないかのように、さらに奥へ進んでいく。拳は赤く輝き、次のビートルを撃ち落とす。
彩葉はデバイスを握りしめ、息を荒げた。
「……烈君、予測できない動きで……回復が追いつかないかも!」
結人は深呼吸し、冷静さを取り戻そうと努める。烈の行動は、陽向の自由奔放さを遥かに上回る予測不能さだった。
(彼の力を制御するのではなく、この嵐の中で、いかにみんなを守るか……)
結人の頭の中で、新たな戦術が再構築されていく。
「蒼井さん、左右を警戒して突進に備えて! 彩葉さんは回復を優先、陽向さん、次の罠は後方に設置!」
烈は勢い余って暴走し、隊列が何度も乱れた。素材や周囲に被害が出るたび、結人の眉は深く寄る。
群れを殲滅した後、廃墟に静寂が戻った。煙が立ち込め、倒れたビートルの残骸が散らばっている。烈は満足げに拳を鳴らした。
「ふぅ……最高に燃えたぜ!」
その声には、熱血さと楽しさが混ざり、仲間は複雑な表情を浮かべる。
結人は腕を組み、深く息を吐く。
(烈さん……力は頼もしい。だが、このままじゃ仲間としての運用はまだ不安……)
彩葉は肩で息をしながら結人に視線を向けた。
「……烈君、強いのはわかるけど……やっぱり近くにいると怖いかも!」
蒼井はシールドを小脇に抱え、苦笑する。
「力はすげぇ……でも、このままだと俺たちの命、いくつあっても足りねぇな」
陽向は少し顔をしかめながらも、笑みを浮かべる。
「罠は壊れたけど……烈、やっぱ面白いなぁ……うーん、でも次は計画通りにやってほしいよ!」
結人は戦場を見渡し、眉をひそめた。烈の力は確かに圧倒的。しかしその背中は、まだ制御不能な炎のように見えた。




