第2話 敗者の朝、再び
今日もまた、結人は無言でダンジョンへと向かっていた。
街路を歩くたび、昨日と同じ灰色の空、雑多な人々、そしてバス停で待つ探索者たちの冷たい視線が目に入る。まるで、彼の存在そのものを避けるような世界だ。
(…もう、慣れたはずなのに)
彼は小さく肩を竦め、腕時計に目をやる。時間はちょうど予定通りだ。バスに乗り込み、昨日と同じ座席に腰を下ろす。窓の外では、他の探索者たちが談笑し、装備を点検している。彼らの笑い声、手の動き、顔の角度――どれも、結人には届かない。まるで、透明人間であるかのように世界から除外されている。
(俺は…まだ、何も変わっていない)
ダンジョンの入り口に到着すると、湿った土と苔の匂いが鼻を突く。掲示板の前に立ち、今日の任務を探す。
「スラッジの死骸処理」
「トリックスパローのアイテム回収」
「コガネマルの擬態調査」
(…ああ、全部、昨日と同じだ)
ため息をつき、スマートフォンを操作して「スラッジの死骸処理」を受注する。報酬は5000円。時給換算すればコンビニバイトより少し高い程度。しかし、命を賭ける世界ではあまりにも割に合わない。
(もっと、何か…)
掲示板の端に、Dランク任務の一覧が目に入った。
「バイラントモール(地中獣型)の討伐」
「スモッグビートル(毒虫型)の毒嚢回収」
報酬はEランクの何倍も高い。成功すれば、今日の雑用任務を十回繰り返すよりも遥かに高額だ。周囲にはDランク以上の探索者たちが、余裕の笑みを浮かべて談笑している。
(…いいな)
彼らの会話が耳に入った。
「バイラントモール討伐か。あれ、音に弱いから音響デバイス用意していくぞ」
「毒嚢は潰さずに回収だ。あ、あそこにいるウォッチャー、邪魔だから追い払え」
「あー、あのゴミな」
「…っ」
結人は拳を握りしめる。ウォッチャー――ダンジョンの清潔を守り、探索者を補助する存在。しかし、彼らにとってはただの邪魔者。
「…すみません、邪魔でしたか」
震える声でそう尋ねると、男は鼻で笑った。
「いや、邪魔だよ。お前がいるとダンジョンが臭くなるんだ」
その瞬間、胸の奥で何かが折れた。
(そうだ、僕は…ただのゴミなんだ)
結人は任務受付へ急ぐ。受付嬢はいつも通り、冷たい視線で彼を見つめ、IDカードを無言で受け取る。
(…早く、ここから逃げたい)
胸の奥で、幼い頃の声が響く。
『なぜ、何も言い返せない?』
『このまま、ずっと敗者でいいのか?』
ダンジョン内部。湿った土の匂いと、かすかな血の香りが漂う。壁の苔や岩のひび割れが暗闇の中でうっすらと光を反射し、静寂を破る水滴の音だけが響く。結人は昨日と同じ作業を、まるで機械のようにこなしていく。スライムの死骸を拾い、ビニール袋に詰める。
『スラッジ死骸:腐敗度99%。回収可。』
無機質な文字がゴーグルに表示されるたび、心の虚しさが増す。
(このままでいいわけがない…)
叫んでも手は止まらない。何も変わらず、誰も声をかけず、助けも感謝もない。
(いつか、俺も…)
遠い昔に憧れた「勇者」の姿が、揺れる幻として浮かぶ。しかし、その幻を追う力はない。あるのは、他人の戦いの跡を拾い集める力だけ。湿った床に足跡を残し、血の跡を拭き取りながら、結人は虚ろな目で天井の光を見上げる。
敗者の朝は今日も、そして明日も、きっと変わらない――そう信じて、結人は黙々と作業を続けた。
彼の手元には、戦いの栄光も称賛も、何一つとして届かない。ただ、孤独と湿った土と、かすかな血の匂いだけが存在する。




