第12話 水路の影に潜むもの
水路の奥――どろり、と赤黒い粘液が灯りを呑み込み、《グロテスク・スライム》が通路を塞いだ。腐臭が鼻を突き、苔の上で靴底がいやな音を立てる。
「前に出る。俺が受ける」
蒼井は迷いなく、展開型シールドを前に滑らせ、半身で間合いを詰めた。その切れ長の目が鋭く細くなる。
「やっべ、足場つるっつる! でも見て見て、目くらましドローンいくよ!」
陽向が腰のベルトから小型ドローンを放つ。青白い光が水面を乱反射し、通路に幽かな残像を撒いた。
「……く、臭い……血みたいな模様、苦手、かも……」
彩葉は胸の前で指先を結び、回復の詠唱を小さく刻む。声は震えているのに、魔力の通りはぶれていない。
結人はゴーグルのスキャナーを起動し、粘体の内部の揺れに視線を這わせた。
(粘液溶解、分裂傾向……核が見える。けど、はっきりは追いにくい。分裂直後の硬直が狙い目――)
「行く!」
蒼井は盾を構え、スキル【シールドバッシュ】で踏み込んだ。低い一撃――
ぶしゅ、と鈍い破裂音。スライムは割れて、二体に増えた。
「増えた!? おいおい、マジかよ!」
蒼井が舌打ちするより早く、二体から触手がしなる。粘液が弾け、蒼井の肩口をかすめた。
「ひゃっ……! 慎くん、傷……!」
彩葉の瞳が怯えに揺れ、詠唱がかすれる。
「平気だ。浅い」
蒼井は軽口で押し返すが、足場は悪く、防御角度が詰まる。
「ひなた、罠は――」
「置きたいけど! ここ超狭い! ワイヤー張るスペースが死んでる!」
陽向は器用に体勢を低くしながらも、苔で足を滑らせた。「うぉっと……っ、今のナシ!」
スライムは通路を塞いでじりじり迫る。彩葉の瞳が怯えに揺れ、詠唱がかすれた。
「ちょ、ちょっと待って……怖い、けど……やれる、はず、だよね!」
(押し切られる。打開――)
結人は息を短く吐くと、声のトーンを少しだけ上げた。
「陽向さん! 足元の苔とそこに落ちてる金属片、丸めて団子に! 小さい方へ投げて、核の周りに張り付かせます!」
「え、苔団子? ガラクタで? ……いいじゃん、そういうの好き!」
陽向は即座にかき集め、素手でぐしゃっと握り込む。
「いっけぇ!」
ぶちゅ。苔の団子が小スライムの表層に食い込み、金属片が核の周りでざらつきを作る。うねりが一瞬だけ濁った。
「今です、右下!」
「了解!」
蒼井は触手をシールドで流し、半歩ずらしてから、その盾を叩きつけるように振り抜いた。核を打つ手応え――小スライムは崩れて水へほどけた。
「ナイス! 一体ダウン!」
陽向が親指を立てる。「苔団子、発明かも!」
「慎君、腕……回復する、よね!」
彩葉が掌をかざす。スキル【ヒール】の柔らかな光が傷を覆い、ケガが癒やされていく。
「助かる。サンキュ」
蒼井の声は短いが、確かな礼だった。残る一体が、怒ったように膨張する。触手が二本、蒼井の死角から伸び――
「蒼井さん、左上で受け流して、後ろ半歩!」
結人の一声に、蒼井は迷いなく体を動かした。スキル【鉄壁の構え】を発動し、自身の防御力を上げつつ、手際よく盾の角度を変え、触手を滑らせる。
(核は――)
スキャナーの線が揺れる。水面反射と粘液の濁りで、位置がぶれる。
(見失う……やめろ、落ち着け)
「陽向さん、残骸にワイヤー引っ掛けて固定を! 引き千切らなくていい、動きを止めるだけ!」
「まかせて! ほいっと――」
陽向の手首が回り、ワイヤーが粘液の塊に絡む。鉄骨アンカーに引っ掛けると、巨体がごりっと鈍く止まった。
「彩葉さん、次の衝撃に合わせて回復の準備を――“来る前”に置いてください」
「う、うん……来る、前……来る前……!」
彩葉は震えを押し込むように息を整え、光を薄く滲ませておく。「今だ、よね!」
スライムが反動で暴れる直前、蒼井の肩に光がすべり込む。衝撃は受け流され、動きの乱れは最小限で済んだ。
「決める!」
蒼井が息を吸う。
「核は右奥、揺れが浅い部分です!」
結人の指示と同時に、蒼井は盾で粘体を凹ませ、露出した核に剣を叩き込んだ――
ずるり、と粘体が崩れた。水路に静寂が戻る。
「ふぅ……終わり、だな」
蒼井はシールドを畳み、呼気を整える。
「ねえ、見てた? あたし今、苔とガラクタでモンスター止めたんだけど? 天才じゃん?」
陽向がにやりと笑う。
「結人君の指示、ほんと助かった、かも! 私、怖かったけど……ちゃんとできた、かも!」
彩葉は胸に手を当て、ほっと息をついた。
蒼井が結人を見やる。
「……やるじゃん、結人。お前の読み、なかったら危なかったわ」
「い、いえ。皆さんの動きが見えてきただけです。僕は――繋いだだけですから」
結人はそう謙遜しつつ、ゴーグルのスキャナーを起動した。水路の壁にへばりつく、発光するキノコのような物質に目を留める。
「これは……《光苔》。ダンジョン内の特定の箇所にしか生えない、珍しい採取アイテムです。この水路の生態を【観察】したところ、胞子が多数残っていました。そのおかげで、隠れていた場所を見つけられました」
そう言って、彼は慣れた手つきで道具を取り出し、光苔を丁寧に採取し始める。
陽向が目を輝かせた。「やっべぇ! ゆいとくん、そういうのも得意なんだね!」
「ウォッチャーの基本スキルは【観察】と【記録】ですから。それに、これがあれば陽向さんのドローンの光量も上げられるかもしれませんし、彩葉さんの回復魔法を補助するアイテムも作れるかもしれません」
蒼井も結人の手元を覗き込み、わずかに驚いた表情を見せた。3人パーティーだった時には、戦闘後の採取などはあまり気にしていなかったからだ。
「結人がいると、戦闘以外の部分でも助かるな」
結人の採取する姿を前に、3人は「ハズレ枠」と呼ばれた男が、戦闘だけでなく、このパーティーにとってどれだけ必要な存在か、改めて認識した。
朽ちた水の匂いの中、四人は短く頷き合った。
“ハズレ枠”と呼ばれた寄せ集めが、はじめて「勝ち筋」を自分たちの手で掴んだ――そんな手応えが、濡れた石畳を確かに踏ませた。




