#12 放課後ソーイング
「うん、だから、その……あー、違う違う!裏から!」
「こう、ですか?」
「そうそう!いいね!」
どういうわけか、放課後の教室で“タク先生のお裁縫講座”が開かれていた。
相原さんは、まるで爆弾処理でもしているかのような緊張感で針を構えている。その真面目さがなんだかおかしくて、ちょっと可愛い。
「……難しい、ですね」
相原さんはふぅっとため息を吐いた。
完璧優等生の声がかすかに疲れていて、そのギャップが俺には新鮮だった。
「ま、誰でも最初はそんなもんだよ」
俺は笑ってフォローを入れる。
全知全能の神と呼ばれる彼女が、たった一本の針に手こずっている光景。そうそう見られるものじゃない。目に焼き付けておこう。
「七瀬くんは、なんで裁縫ができるんですか?」
相原さんが首を傾げる。
「んー。ちょっと前、姉にぬいぐるみの服作ってくれって頼まれてさ。YouTube見ながらやってみたら案外楽しくて、気づいたらハマってた感じ」
俺が経緯を説明すると、相原さんは少しだけ目を丸くした。
「趣味があるって、いいですね」
「まぁ、そうかもな」
何気ない会話。その一つ一つがくすぐったくて、口角が勝手に上がってしまう。
そういえば、相原さんの趣味ってなんだろう。メイド喫茶以外なら……。やっぱり、長距離走者だからランニングとか?
……いや、聞くのはやめておこう。
俺は、口から出かけた質問を慌てて飲み込んだ。
噂では、相原さんは陸上部に籍を置いているものの、ほとんど練習に顔を出していないらしい。
それでも結果は残すもんだから、同じ部員たちの妬みを買っているんだとか。
あの性格なら何を言われても気にしてないだろうけど、なんとなく陸上の話は地雷な気がした。
俺は危なっかしい針先を見つめながら、沈黙を埋めようと口を開く。
「ってかさ、黒のフェルトで何作ろうとしてるの?顔つきの胡麻団子?」
俺がからかうように尋ねると、相原さんは拗ねて顔を赤くした。
「……そんなわけないです」
「じゃあなに?」
秒針がほんの少し動いた。
「……犬」
ぶっきらぼうに響く声がツボに入って、俺は思わず吹き出した。
相原さん、見た目によらずめちゃめちゃ面白い。
ポーカーフェイスだと思ってたけど、思いのほか感情と表情筋が直結しているタイプだ。
「……えっと、七瀬くん。ここまで縫ったら、次はどうすればいいですか?」
相原さんは手を止め、じっと俺を見つめた。おいおいやめてくれよ、そんな顔されたら照れちゃうじゃんか。
犬になる予定の黒いフェルトは、いびつながらも形になっている。
意外とやるじゃん。次は、中に綿を詰める工程だ。これでぐっと“マスコット感”が出る。
「もっと奥まで詰めていいよ、うん」
俺のアドバイスに、相原さんは「はい」と真剣に頷き、白い綿をぎゅうぎゅう押し込む。
もっと肩の力を抜いて良いのに。でも、律儀で健気な仕草がまた愛おしい。
「じゃあ次は、フェルトを縫い合わせて」
膨れたフェルトの口を閉じる作業。少しコツがいるが、ぎゅっと押さえながら縫えば簡単にできる。しかし――
「あ、あれ?」
一瞬目を離した隙に、あら不思議、綿があふれるイリュージョンが起こっていた。さすが不器用女王。
「おいおい」
慌ててサポートしようと思い、俺は布の隅を掴む。次の瞬間――
――グサッ!
「いだだだだだだ!」
「きゃーっ!ご、ごめんなさい!」
相原さんの握る鋭い針が、俺の親指を突き刺した。じわりと滲む赤い血を見て、相原さんはパニック状態。
「ほ、ほんとにごめんなさい!えっと、絆創膏……じゃなくて、消毒!?どっちですか!?」
慌てふためく姿が可愛くて、俺はつい笑ってしまう。
「大袈裟だって。そんな痛くないし、これくらい平気だから。安心して」
ほんとは嘘。
だいぶガッツリ刺されて痛かったけど、男というのは好きな子の前ではかっこつけたい生き物なのだ。
俺が強がって笑うと、相原さんはほっとしたように安堵の表情を見せた。喜怒哀楽がハッキリしている相原さん。うん、かなり良い。
「……難しいようだったら俺がやろっか?」
俺はぎこちなく提案する。
「……お願いしてもいいですか」
相原さんは決まり悪そうにそう言って、俺にフェルトを押し付けた。
「おう。任せとけ」
差し出されたフェルトを受け取り、俺は針を動かす。
それにしても、相原さんの縫い目の荒さといったら。
近くで見ると角度も幅もめちゃくちゃで、ギリギリ布と布が繋がってる、というレベル。思わず笑ってしまいそうになる。
「……よし、できた。完成」
俺は、なんとか完成した犬のような黒い布を掲げた。
「わぁ!すごい!」
相原さんは嬉しそうに声を上げる。例の真っ黒な瞳に、きらんとハイライトが光った。
彼女のガタついた縫い目と、俺のまっすぐで几帳面な縫い目。なんとも不恰好だが、その唯一無二のミスマッチ具合が愛おしい。思いがけず2人の共同作品が誕生し、心がくすぐったくなった。
「……じゃ、完成を見届けられたってことで。俺、そろそろ帰るわ」
椅子を引いて立ち上がる。
「私も、勉強してから帰ります」
相原さんが言った。
この流れで勉強できんのかよ。さすがの最強メンタル。結局中身はバケモンだな。
俺は笑って「お気をつけて、また明日」と手を振った。
相原さんも頬を綻ばせて「ありがとうございました」と小さく会釈。
俺は、喜びで数センチ浮かれたまま階段を降りる。
「……あ」
昇降口に着いてようやく、取りに行った忘れ物の存在を思い出す。まあ、明日でいいか。
教室に財布を置いてきてしまったが、それ以上に大切な何かをもらった気がするからな。
俺は靴紐を結びながら、1人静かに笑った。
しかし――
俺はそっと指先を見る。
「……なかなか、痛いぞ」
家に帰ったら絆創膏を貼らなくては。
俺は小さく苦笑した。




