#1 絶体絶命
やばい。やばいやばいやばいやばい――!
「ちょっ、凛ちゃん先輩、どけてください!!」
「え、ななちゃん?急にどうした?」
そう言って先輩は首を傾げるけど、今は呑気に説明なんてしている場合じゃない。
とにかく店のキッチンの隠れないと、俺の社会的地位が危うくなってしまう。
先輩を押し抜けて乱暴にバックヤードに滑り込み、俺は一命を取り留めた。
「……はぁ、はぁ、危なかった……」
バクバクとうるさい心臓をなだめながら、事態を飲み込もうと必死に深呼吸。
大丈夫だ。おそらく、向こうは俺の存在に気づいていない。
学校では特段接点があるわけでもないし、何しろ今はこんな格好なのだから。
俺はフリルのハンカチで冷や汗を拭い、セーフセーフと自分に言い聞かせる。
……しかし。
「……あれ、絶対相原さんだよな?」
思わず溢れる疑問。
俺は、頭を悩ませる。
冷静になればなるほど、目の前で起こった信じがたい現実を飲み込めなくなってきた。
もしかして、あれは幻覚か?相原さんのことを考えすぎた俺が作り出した妄想?――いや、そんなはずはない。
真っ白な肌と、光を吸収する艶やかな黒髪。全てを見透かす――カズに言わせれば、見下す――ような猫目に、きゅっと結ばれた意思の強そうな唇。
残念ながら、絶対に相原アスカだ。そっくりさんなんて有り得ない。
「……はぁ」
俺は盛大にため息を吐く。
同じクラスになって以来、俺は相原さんのことを密かに目で追っていた。
直接話したことはほとんど無いけど、憧れのような、淡い恋心のような。
休日にも関わらず偶然好きな子に会えるなんて、普通なら喜ばしいことだ。
――ここが、女装メイド喫茶じゃない限り……。
七瀬匠海、17歳。
3月30日生まれ、O型。
趣味は料理。特技はイラストと裁縫。それから、機械いじりも。
柏ヶ丘学院高校2年生、帰宅部、バイトガチ人間。
学力は中学時代がピーク。運動全般がダメダメ。
そして、自分で言うのもなんだが、なかなか顔がいい部類。
しかも、かっこいいではなく、かわいい、の方……。
「はぁぁぁぁぁ」
相原さん騒動の後、俺は閉店準備をしながら凛ちゃん先輩――松岡凛太郎先輩に事態の一部始終を説明していた。
「……えっ?ってことは、さっきの黒髪ちゃんがななちゃんの気にピってこと?」
「……おそらく」
俺は机を拭きながら盛大に項垂れる。
「……相原さんって、メイド喫茶とか行くタイプなんだ……」
思わずそんな言葉が漏れる。
ここまで膨らみ続けてきた相原さんへの理想が、たった一瞬で音を立てて弾けてしまったようだ。
そんな俺を見て、凛ちゃん先輩が不思議そうに尋ねた。
「なに、そんなにショックなの?」
うーん。俺はぎこちなく笑って答える。
「まぁ、それなりにショックですよ。だって、好きな子が女装メイド喫茶でお絵描きオムライス頼んでたら嫌じゃ無いっすか?」
俺が力無く笑うと、先輩は「そういうもんなのか」とあっさり飲み込んだ。
「じゃ、お疲れ様です」
「うぃ。おつかれー」
俺は金髪のウィッグを外し、メイドのななちゃんから男子高校生の匠海に戻る。
女装メイド喫茶・は〜もに〜♡はうすでアルバイトを初めて1年と2ヶ月。
順調に指名チェキの枚数も増え、今日まで何も問題なく女装メイドとしてお給仕を全うしていた。
それなのに、クラスメイト――それも、高嶺の花的存在のクラスメイトに遭遇してしまうなんて。
俺は、ため息混じりに空を見上げた。




