第二十話 赤に染まる栄光
ウララの純白のドレスは、ジジの血で深く染め上げられていた。
その白は、ニャニャーン神聖帝国の象徴であり、無垢と秩序、そして神々の加護を意味する色だった。
だが今、その白は、忠義の赤に侵されていた。
それは穢れではない。
ジジが命を懸けて守った帝国の未来、その盾としての誇りが、ウララの衣に刻まれたのだ。
彼女はその意味を理解するには、まだ若すぎた。
だが、血の温もりと重さは、確かに彼女の肌に伝わっていた。
それは、帝国の理想が現実の犠牲によって支えられていることを、否応なく教えていた。
涙に濡れた瞳は焦点を失い、ウララは呆然としたまま、恐怖に顎を震わせていた。
近衛兵に厳重に守られながら、女性近衛兵に抱き寄せられてゆっくりと出口へと向かう。
近衛兵達は時折現れるニュクスの私兵を瞬く間に撃ち倒し、安全を確認しながら慎重に進んだ。
彼女の足元には、撃ち倒された私兵の血が、道のように広がっていた。
ウララのスカートの裾は、その血だまりを吸い上げていく。
純白の布が、赤に染まる。
ジジの血と異なり、それはまるで、神聖性が侵略されていくかのようだった。
「ジジ……ジジ……」
ウララの消え入るような呟きはこの喧騒によって誰にも届かぬまま、空気に溶けようとしていた。
だが、女性近衛兵はその声を聞いていた。
そして寄り添い、優しく語り掛けた。
「ジジ様を信じてください。あの方は必ず戻ってこられます。
陛下を再びお守りするために……。
陛下はジジ様を出迎えてさしあげてください。
そのために、今は先を急ぎましょう。」
その言葉に、ウララは小さく頷いた。
だが、心はまだ追いついていなかった。
彼女の中で、ジジの笑顔が何度も浮かんでは消え、血に濡れた姿と重なっていく。
外で大きな爆発が発生した。
石造りの壁が震え、窓が砕け、破片が雨のように降り注ぐ。
「あぁぁぁぁぁ!!」
ウララは悲鳴をあげ、腰を抜かして座り込む。
涙が溢れ、頬を伝い、血に濡れたドレスに落ちていく。
近衛兵達は即座に周囲を固めた。
銃口を四方に向け、遮蔽物を探し、ウララを守る盾となる。
女性近衛兵が再びウララを抱き起こし、耳元で囁く。
「陛下、立てますか? ここは、まだ安全ではありません」
ウララは震える手で彼女の腕を掴み、ゆっくりと立ち上がった。
その姿は、生まれたての小鹿のように、震えながらも一歩を踏み出すものだった。
そして彼女は歩き出す。
血に染まった裾を引きずりながら、血だまりの道を進む。
それはまるで
――帝国の未来は、もはや理想だけでは語れない
血塗られた道を歩むかのような予言を思わせた。
一方その頃、ジジは最も激戦の中で指揮を執っていた。
玉座の間から続く地下通路の先、宮殿の外郭へと続く広間は、すでに戦場と化していた。
石造りの壁には銃弾の痕が無数に刻まれ、柱は削られ、床には血が広がっていた。
硝煙が立ち込め、視界は曇り、耳には銃声と叫びが絶え間なく響いていた。
その混沌の中、ジジの視線はただ一人を捉えていた。
ニュクス──玉座の背後から逃げ延び、今まさに外郭へと脱出しようとしている男。
彼は広間の最奥で私兵に囲まれながら、震える手で銃を握り、何度も周囲を見回していた。
ニュクスを守る私兵の数は、近衛兵の三倍。
近衛兵達は広間に突入したは良いが、三倍もの兵力差で撃ち込まれる銃弾の嵐を
柱の陰に隠れて回避したまま、それ以上、一歩も先に進めなくなった。
石造りの柱に銃弾が命中するたびに細かくはじけ、周りに飛び散っている。
時折、近衛兵は反撃しようとするが、身を出した途端に銃撃され、
狙いを定めるまでもなく再び隠れざるを得なかった。
「くそ……ニュクスを逃がすわけには……ぐっ……」
ジジは苦しげに呻く。
肩と腕と脇腹の傷は深く、動くたびに激痛が走る。
本来ならば、戦線を離れて治療を受けるべき状態だった。
だが、彼には退くという選択肢はなかった。
ジジの傍らには、近衛兵長が控えていた。
ノアールの代から仕える古参の家臣であり、ジジが幼い頃から剣術と戦術を教えてきた男。
彼はジジの成長を見守り続け、今この瞬間も、命を懸けてその背を支えていた。
「若様…………いえ、閣下。」
兵長は低く、しかし確かな声で語りかけた。
「ニュクスを取り逃がせば、ウララ陛下にも、オブジディアン家にも危機が及びます。
ここは、どうか私にお任せを。」
ジジは荒い息を吐きながら、怪訝に兵長を見返した。
その瞳には、痛みと焦り、そして深い信頼が宿っていた。
兵長はその視線を受け止め、静かに頷いた。
「閣下が動けぬなら、私が動きます。
この命、ノアール様とあなたに捧げたもの。
今こそ、その誓いを果たす時です」
その言葉に、ジジは何も言えなかった。
ただ、拳を握りしめ、兵長の背に視線を送った。
兵長は嵐のように銃弾が飛び交う中、各柱の後ろに隠れる部下達に指を使ってサインを送った。
それは、長年の訓練で培われた連携の合図。
近衛兵達は即座に反応し、銃口を構え、射線を確認した。
そして、兵長は叫んだ。
「うぉぉぉぉぉ!!!!!」
その声は、戦場の喧騒を突き破るように響いた。
彼は柱から飛び出し、両手に自動小銃を構え、辺り一面に銃弾をばらまいた。
その動きは、まるで舞うようだった。
私兵達は驚き、反射的に兵長に向けて一斉に射撃を開始した。
銃弾が兵長の身体を貫く。
肩、胸、腹、脚──
彼は銃弾を受けるたびに、まるで踊るように体を震わせ、
それでも前へ、前へと進んだ。
その姿は、まるで帝国の盾そのものだった。
命を賭して、未来を守る者の覚悟が、そこにはあった。
そして、兵長が崩れ落ちる直前に、各柱に隠れていた近衛兵達が一斉に飛び出した。
兵長に注意を向けた私兵達は、反応が遅れた。
その一瞬の隙を突いて、近衛兵達は正確な射撃を浴びせた。
一人一人が、私兵を二人、三人と撃ち倒していく。
その精度と早撃ちは、まさに訓練の賜物だった。
私兵達は混乱し、反撃の精度を失い、次々と倒れていった。
数の有利は、瞬く間に失われた。
後は、実力差が物を言った。
激しい戦いの末、ニュクスを守る私兵達は全滅した。
近衛兵達は素早く包囲を形成し、ニュクスを取り囲んだ。
ジジは、動かなくなった兵長のもとへと歩み寄った。
その足取りは重く、痛みに耐えながらも、彼は膝をつき、兵長の頭を抱き寄せた。
「ありがとう……。あなたは陛下とオブジディアン家を守った。」
その声は震えていた。
涙が頬を伝い、兵長の血に混じって落ちていく。
兵長の瞳はすでに閉じられていた。
だが、その表情は穏やかだった。
まるで、使命を果たした者の安らぎに満ちていた。
ジジはその額にそっと手を添え、静かに祈った。
その祈りは、帝国の未来への誓いでもあった。
そして、彼は立ち上がった。
痛みが全身を襲う。
だが、ニュクスを裁くその瞬間までは、倒れるわけにはいかなかった。
この戦いは、忠義と裏切りの交錯だった。
そして今、忠義が勝った。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
近衛兵によって取り囲まれ、ニュクスは観念した。
「ジジ……待ってくれ! 俺たちの仲だろう? 頼む、話だけでも聞」
パシュン
ジジが放った銃弾はニュクスの眉間を貫いた。
そのまま、ジジも膝をついた。
今まで何とか気力で立っていることが出来たが、やり遂げた途端、
一気に力が抜けて、倒れそうになり近衛兵に支えられた。
「陛下……」
その声は、風に溶けるように消えていった。
その場で応急処置が施され、旗艦メルクゥニャムの医療施設へ、担架で急ぎ運ばれた。
だが、ジジはその道中、安堵の表情を浮かべたまま
―― 息を引き取った。
出血性ショックだった。
一方、ウララは無事、メルクゥニャムにたどり着いた。
この反乱はニャニャーン正史において「ニュクスの乱」と伝わり、
これこそがニャニャーン大乱の始まりと定義する歴史学者も多数存在する。
この戦いにおいて、ニャニャーン神聖帝国は第3艦隊提督の若き英雄ジジを失った。
ジジの跡目は生まれたばかりの赤子が継承し、オブジディアン侯爵家の重臣達によって
「当主が成長するまで今後一切、皇室の政務には関与しない」との声明が発せられた。
そして第3艦隊の指揮権をオブジディアン家は返上した。
これはジジがあの悪夢を見た夜に残した遺言書に従って行われた。
彼は死を覚悟し、オブジディアン家を守るための方策を遺していた。
かくして、五大将の時代は終わりを告げ、四大将の均衡が始まった。
だがそれ以上にニャニャーン神聖帝国に時代のうねりが襲い掛かってきていた。
次にこのうねりに巻き込まれるのは誰か……この時点では誰も予想がつかなかった。
五つの星が並び、帝国は奇跡を謳った。
その光は、栄光と呼ばれ、均衡と名づけられた。
だが、星は一つ墜ちた。
忠義の剣は、姉弟の絆を断ち、
白き玉座は、血に濡れ、沈黙の涙を流した。
黒き新星 ジジ、その早すぎる終焉は忠義の代償。
孤独な月 ニュクス、その乱は野心の果て。
陰る太陽 ウララ、その涙は帝国の痛み。
均衡は崩れ、時代は揺らいだ。
それは、奇跡の終わりではない。
それは、次の季節の始まり。
帝国は今、四つの星に委ねられた。
その空には、まだ燃え尽きぬ残光が瞬いている。
次に向かうは、忠義と野心の交錯。
その交わりが、帝国の運命を塗り替えていく。
★★ライト層読者さんへの簡単説明コーナー★★
はーい!作者子ちゃんによる、簡単に説明するコーナー!
硬派な人はスルーしてくださいね。ちょっとやってて恥ずかしいので…。
今回はあとがきに作者子ちゃんよりも有用なオマケもありますよ。
ついに決着しましたね。
激しい戦闘でしたから、苦手な人には少し辛いエピソードだったかもしれません。
ジジさん、ついに目的を果たしました!
でも、無念の退場……。
物語の主人公かと思いきや、まさかの退場です。
そして、ウララさんは相当な心の傷を負ってしまいました。
純粋だった彼女が、血と裏切りの現実を知って、どう変わっていくのか……。
さらに、ジジさんを失ったことで、サイコパス四人衆が残されました。
今回のニュクスの乱は、女帝の命が狙われた相当な大事件です。
これで、彼らも平然とはしていられなくなるはず。
この物語が、さらに大きく動き出しますよ!
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あとがき
今回も特別に2話分をまとめてお届けしました。
第一章の終幕です。
同時に“第二章の胎動”を告げる、極めて重要な転換点でもあります。
皆さまの心に、何が残ったでしょうか?
ジジの忠義、ニュクスの野心、ウララの信念──皆さまなら、誰に心を託しますか?
この一章を通して、英雄達の行動を見抜くことはできましたか?
それぞれの選択が、帝国の運命をどう動かしたのか──ぜひ、皆さまの視点を聞かせてください。
第二章も、時代のうねりが襲い掛かり、波乱は続きます。
どうか最期まで、お付き添いください。
英雄達へ何かメッセージがあれば、ぜひお聞かせください。
私のアドバイザーには先行して先の章も読んでもらっています。
「まさかの一章はウォーミングアップだったな」と評価されました。
次章以降はもっと白熱します。ご期待ください。
ご感想やご意見、スタンプ、どんな些細なものでも大歓迎です。励みになります。 もしよろしければ、次の読者への道標に、評価やブクマをお願い致します。
■■去りし英雄達■■
神聖女帝 ココ・ニャーリ (享年28歳)
流れるブロンドの長髪は神々しく、見る者を惹きつけた。
若くして乱れていた神聖帝国をまとめ上げ最盛期を作る。
人を見る目があり、世襲貴族を退け、5人の大提督を導き、遂に誰もが不可能と
思っていた先駆帝国を喰らう。
だがその際に先駆帝国の秘密兵器によって28歳という若さで崩御した。
3歳の愛娘ウララを遺して。
後世の歴史家の間ではニャニャーン正史に書かれる史上最高のカリスマ女帝ではなく、
人を見出すのが上手い女帝だったとみなされている。
政務にハル、軍務に五大将を見出したことで彼女は最高の帝国を作り上げた。
ハルを失ったことでその片足がもがれ、悲しみに迷った挙句に倒れた事件が
ニャニャーン大乱の始まりとみなされている。
(彼女は神帝ではなくただの一人の女性だった)
神聖皇配 ハル・アージェント (享年30歳)
ココの皇配。ウララの父。伯爵家の出。
大乱期には既に死去。
ココに愛され異例中の異例の恋愛結婚で皇配になった男。
神帝とも歴史で語られるココは、人を見出し人を使う能力は銀河一と言ってよいが、
実務は優秀なものが支える形だった。
軍事・謀略で言えば5提督。政務で言えばハルが担当していた。
そのハルもウララが2歳の時に死去した。
病死とも戦死とも暗殺とも伝わる。
徹底的に歴史から消された皇配。
彼の死後、そのショックからココはウララがまだ若いにも関わらず先駆討伐という政治判断を下した。
結果、ココは自身の死と両親のいないウララという皇女を遺すことになった。
黒き盾 ノアール・オブジディアン侯爵 (享年59歳)
かつての序列1位で軍務大臣を何代も輩出する侯爵家の当主。
トウガ達が台頭する前は”帝国の盾”とも”帝国の最終兵器”とも呼ばれ敵国に恐れられた。
トウガやシズクが台頭してからは一歩引いて第3艦隊の提督に落ち着いた。
堅実な戦略、戦術は隙が無い。
黒き新星 ジジ・オブジディアン侯爵 (享年21歳)
ノアールの嫡子、ウララの幼馴染でもあり、その忠義はノアールやトウガにも劣らない。
若さゆえに他の五大将に及ばなかったが、英雄として片鱗が見え始めており
ウララの剣として神聖帝国をささえることを望まれながらもニュクスと刺し違えた。




