第十一幕(三)
「ひとつ教えてもらえませんか」
「なんでしょう」
「第二圏で風に飛ばされる亡者、第三圏で雨に打たれる亡者、第四圏で罵りあう亡者、第五圏の泥沼にいる亡者がいましたでしょ。どうして、このディースの中で罰せられないんですか」
「ダンテさん、いい質問です。それはですな、無抑制、悪意、正気を逸した獣性という天に嫌われる三つの性向の内、無抑制の罪が神に背く程度が小さい。この外で罰を受けていた亡者は、無抑制の罪を負う者、神の裁きは減じられている。これは『倫理学』に説明されているな。『自然学』を読めば、哲学はそれを学ぶ者に、神の知性と思し召しによって、自然がどのような道筋を辿るのか示しておる。『創世記』の初めにもあるように、弟子が師匠に従うように、人間は自然に従い、神の孫のように振舞うのです。自然と労働によって生活の糧を得て生きるように定められているのにも関わらず、高利貸しは働くことなく利子に頼って生きているから重い罰を受ける。こういうことだな」
「はあ、む、むよ、むよ。むよ……もう一度お願いします」
「なんじゃ、二文字しか覚えていないとは。もう一度言うので、よく聞きなさい。無抑制、悪意、正気を逸した獣性という天に嫌われる三つの性向の内、無抑制の罪が神に背く程度が小さい。この外で罰を受けていた亡者は、無抑制の罪を負う者、神の裁きは減じられている。これは『倫理学』に説明されているな。『自然学』を読めば、哲学はそれを学ぶ者に、神の知性と思し召しによって、自然がどのような道筋を辿るのか示しておる。『創世記』の初めにもあるように、弟子が師匠に従うように、人間は自然に従い、神の孫のように振舞うのです。自然と労働によって生活の糧を得て生きるように定められているのにも関わらず、高利貸しは働くことなく利子に頼って生きているから重い罰を受ける。わかりましたか」
「むよ、むよくせい……に、じゅうせい……ですか。わかりました。じゅうせいじゃ、仕方ない。あっしも、じゅうせいだったら許しちゃいます。じゅうせいが三つもあったら、そりゃあ、神さんだって許しちゃいますよ。なんなら、追加でもう一個じゅうせいいっちゃう? てなもんです」
「ダンテさん、わかっておらんじゃろ」
「わかってますよ。むよくせいが、じゅうせいで、程度が小さい。『倫理学』や『自然学』に書いてあるって……ねっ」
「ねっ、じゃなかろう。もう一度言いますよ。最後ですから、よく聞きなさい。無抑制、悪意、正気を逸した獣性という天に嫌われる三つの性向の内、無抑制の罪が神に背く程度が小さい。この外で罰を受けていた亡者は、無抑制の罪を負う者、神の裁きは減じられている。これは『倫理学』に説明されているな。『自然学』を読めば、哲学はそれを学ぶ者に、神の知性と思し召しによって、自然がどのような道筋を辿るのか示しておる。『創世記』の初めにもあるように、弟子が師匠に従うように、人間は自然に従い、神の孫のように振舞うのです。自然と労働によって生活の糧を得て生きるように定められているのにも関わらず、高利貸しは働くことなく利子に頼って生きているから重い罰を受ける。どうです? わかりましたか」
「わかりました。もう、すっかり、わかったので、先に進みましょう」
「本当にわかったのですか。なぜ、高利貸しは重い罰を受けるか答えてみなさい」
「そんな簡単な。簡単すぎて答える気にもなりませんよ。さあ、先に進みましょう。ああ簡単、簡単」
「いいから、答えてみなさい」
「えぇそうですか。いいんですか、答えますよ。重い罰を受けるのは、ですね……働くことなく氷菓子を食べてですね……えぇ……それだけではない。初めに……そう、初めにソーセージを食べました」




