第一幕(一)
毎度ばかばかしい話にお付き合い願います。
ここ日本では「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」なんてぇことを申しますが、海を渡ったヨーロッパでは「私たちの齢は七十年、健やかであっても八十年」なんて云うそうです。中世ヨーロッパでの平均寿命は三十歳くらいじゃなかろうかと云う人もおりますので、七十年はかなり盛った数字のようですな。
ヨーロッパだけに、よう盛った。
「おっと、いけません、寝過ごしましたか。あれっ、ここは一体どこでしょう」
ヨーロッパでは人生も半ばのダンテさん、目を覚ましますと、辺りは暗い森の中でございます。道が一本つーっと森の中を通っておりまして、その真ん中にひとりポツンと立っております。前を向いても、後ろを向いても、三間先は闇の中、目を凝らしても闇の先には闇しか見えやしません。
「こりゃ困りましたね、どうやって来たのかさえも覚えていませんよ。まっ、じっとしていても心細いばかりです。足の向く方に進むとしますか」
ダンテさん、とぼとぼと歩き始めました。
「しかし、なんだね、おかしなこともあるもんですね。昨夜は、たしか鯖を半身にさばいて、刺身をあてにお酒をいただきました。かかあに酌させて二杯が三杯、三杯が四杯と進むうちに、いい心持ちになって、ごろりと横になって、気づいたら森の中とは……ははあ、おとついの晩に『先に横にならせてもらうわよ』って、かかあが寝たもんだから、こう、瞼のところに炭で目ん玉描いた仕返しだね。さては、寝ている隙にかかあが足を持って、子どもらに腕や頭を持たせて、ここまで運び込みやがったな」
ぶつぶつ言いながら歩いておりますと、辺りはぼんやりと明るくなり、丘のふもとに出てまいりました。
振り返りますと、今まで歩いてきた道の脇は、それは深い谷になっておりまして、一歩間違えれば命をも落とすようなデンジャラス・ゾーンでございます。そんな道を「こう、瞼に目ん玉描いて」と目を瞑って歩いてきたとは「知らぬが仏」とはこのことでございましょう。
ダンテさん、さすがに歩きどおしで疲れまして、傍らの石に腰かけて一服いたします。
「いやいや、誰とも逢いませんな。茶屋もありませんし、難儀なことです」
袂から煙草を取り出しますと、じゅぽっと火を点け、ぷはーと一服。ダンテさん、普段は家族の手前、長屋から抜け出して近くの公園で吸っておりますので、それは美味い一服です。
「ふわあ、クラクラしますな。『ラーク吸えばクラリ』とは、正にこのひと時」
楽あれば苦ありというわけでございます。