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【1】初めての夢はゾンビゲーム

夢を見るのは初めてだ。


空を飛んだり、怖い怪物に襲われたり、亡くなった人とお喋りしたり。

そんな話を友達や家族から聞かされるたびに、自分もいつか見れるのだろうと楽しみにしていた。

しかし、生まれてから今まで毎夜布団に潜って朝を迎えるまで、一度も見ることは無かった。

目を(つむ)り暫くして意識がなくなり、気がつくと空が明るくなっている。これを何年も繰り返すだけだった。

だが今夜は違った。いつもの様に娘の(せり)()を寝かしつけ、就寝準備を済ませてタイマーをセットし、妻と隣り合わせの布団に横になる。そしてふと気がつくと私――若狭(わかさ) (ほろ)は雑踏の中で立ち尽くしていた。


突然のことだった。あまりにも前触れがなかったので、街中にワープでもしたのかと思ってしまったが、一呼吸おいてようやく気づく。そう、これは夢というやつだ。

人生で初めて見る夢。私はにわかに嬉しくなりながら辺りを見渡す。場所は分からないがオフィスビルが建ち並び、大勢の人と車が行き来している、ごく普通の街並みだ。歩道のど真ん中で棒立ちをしている私の脇を無数の人々が流れていく。

ふと自分の体に視線を移す。スーツにネクタイ姿で鞄を持っている。典型的な、そして普段から着慣れているサラリーマンの姿。周囲にいるほぼ全員も同じ格好をしている。


夢とはいえ突然街中に放り出されても何をしようか困ってしまう。適当に散歩でもしようかと思った所でふと違和感に気づく。聞いた話ではあるが夢というものは、見ている間はそれが夢だとは気付かないのではなかっただろうか?

たとえ現実にはありえない怪物や超常現象を見ても、あたかも本当に起きている事だと思い込み、目が覚めてから「ああ、これは夢だったのか」と気付き安堵する。

するとつまり私が今見ているのは明晰夢(めいせきむ)というやつだな。夢だと自覚できる夢、自分で好き勝手にコントロールのできる世界らしい。

試しに食べ物でも出してみようか? 昨夜食べたアイスクリームが美味しかったなぁ。あれをもう一度食べてみよう。

さっそく念じてみる。コーン付きの白いアイスが目の前に出現する姿を強く想像する。

いでよ、アイス!

…しかし何も出なかった。念じ方が悪かったかな?もう一度試してみよう。


「よお! 幌じゃないか、奇遇だな!」


突然、背後から大きな声で呼ばれた。振り返ると見知った顔があった。

短髪に彫りの深い顔立ちで、ふくよかな体型をしている。――木本(きもと) (しょう)()だ。小学生から高校まで同じ学校に通っていた、年季の入った腐れ縁の友人だ。

彼の顔は嫌というほど見飽きている。わざわざ夢にまで顔を出すこともないだろうに…。


「ああ、うん…」


少しうんざりしながらも返事をする。…いやまてよ、これが明晰夢なら彼をこの世界から消すことが出来るのでは?

さっそく念じてみる。

……祥哉、今すぐ姿を消しなさい。


「これから仕事か? 俺もだよ。…しっかし相変わらず冴えないツラしてるなお前。ちゃんとメシ食ってるかぁ? あ、そうそう今度駅前に新しくラーメン屋が出来るんだ。どうせヒマだろ? 開店したら食いにいくぞ」


一気にまくしたてられる。見た目も言動も現実の祥哉と瓜二つだった。悪い奴では無いのだが強引な所に少し辟易(へきえき)してしまう。初めての夢なのに邪魔しないでくれ…


面倒だったので彼を無視して歩き始めようとしたところで、突然地面が揺れ始めた。

地震だ。かなり大きそうだ。

周囲がにわかにざわめき立つ。ビル街で地震が起きた時はどうすればいいんだったっけ。


「結構デカそうだなぁ。あっちに避難しとこうぜ」


そう言って祥哉は頑丈そうなビルの入り口に向かっていった。

鞄で頭を覆いながらついて行こうとしたが、どうせ夢だし平気だろうと思いなおし、のんびりと周囲を観察する。

殆どの人々が安全そうな場所へ避難をしている。一部の人は頭を守りながらも揺れを無視してそのまま通行している。

ガタガタと不気味な音が鳴り響く中、道路を挟んで反対側のビルの窓ガラスが割れる音がした。一拍遅れてジャラジャラと音を立ててガラス片が歩道に突き刺さる。


「おーい、あぶないぞぉ」


祥哉の叫ぶ声が聞こえる。刺さった所で何ともないのは分かっているが、頭を串刺しにされて起きるのは流石に目覚めが悪いかもなぁ…と思い、いそいそとビルの入り口へ避難した。

ビルの中には入らずに入口の(ひさし)の下に立って揺れが収まるのを待った。数十秒位で収まるだろうと思いながらボンヤリ外を眺めていたが、一向に収まる気配がない。揺れが強くなるわけでは無いが、弱くもならない。また別のビルの窓ガラスが割れる音がした。


随分と長いなぁ、暇だしアイスクリーム召喚のリベンジにでも挑戦するか…と思った矢先、突如として地面に亀裂が入った。

バキバキと音を立てて道路に黒い線が走る。目の前の歩道にもうっすらと隙間が出来ていた。


「なんか、ヤバくないか?」


祥哉が呟いた直後、亀裂から勢いよくガスが噴出した。

爆発こそしなかったものの、大きな破裂音とともに道路が陥没し、足元のいたる所から緑がかったガスが噴き出して辺りに充満する。

ガス管でも破損したのだろうか?でも緑色のガスなんて聞いた事ないなあ…


「建物の中に逃げるぞ!」


呑気に構えていた私は祥哉に腕を引っ張られてビルの中へと入る。

2階まで吹き抜けになっている広いエントランスには多くの人が詰めかけていた。受付嬢が対応に困っている様子でオロオロとしている。

外のガスの噴出が一層強まっていて、反対側のビルが見えないほどの濃い緑色の霧がかかっていた。


通行人が一通りビル内へ避難した後、警備員が急いで入口のドアを閉めるが、既に結構な量のガスが流れ込んでおり、フロア全体がうっすらと緑がかっている。

いかにも有毒ガス然としたものだが、息苦しさや体の不調は感じられない。無味無臭の、見た目だけドギツイただの霧だった。…まあ夢だから当然か。


「一体何が起きてるんだぁ?」


耳元で祥哉が呟く。


「ただのガスじゃ無さそうだね。夢の世界だから何かの不思議物質とかで出来てるんじゃないかな」


「夢の世界? なに言ってんだ?」


質問に答えるのも面倒なので、不思議そうな表情を浮かべる祥哉をよそに、周囲を観察する。

ざっと50人はいるだろうか、避難してきたサラリーマンが皆スマホに目を向けている。

いつの間にか揺れは収まっていた。入り口の隙間から漏れてくるガスを警備員が必死で塞ごうとしている。周囲のサラリーマンの話し声が耳に入ってくる。


「さっきの地震、震度5強ってとこだな」


「こりゃ電車は当分動かないだろう」


「タバコ吸いたいけど、流石に危険そうだなあ」


「うお、なんかスゲェことになってんぞ」


すぐ側でスマホを見ていたサラリーマンが大きな声をあげた。どうやらネットニュースを見ていたらしい。リアルタイムで配信されるタイプの動画だ。周囲に聞こえる様にサラリーマンが音量を上げた。


『…規模の甚大な被害が出ています。落ち着いて命を守る行動を取ってください。繰り返します。たった今、世界規模の大地震が発生しました。海岸付近にいる方はただちにその場を離れて、高い所や頑丈な建物に避難してください。各自治体の指示に従い、落ち着いて行動してください。震源地は世界各地の複数箇所で同時多発しています。世界規模の甚大な被害が出ています。落ち着いて命を守る行動を取ってください。繰り返します。たった今、…』


緊迫したアナウンサーの声がエントランス中に響き渡る。皆が静かにニュースに耳を傾けていたが、放送内容が一巡した後、一斉にザワザワと周りが慌ただしくなる。

外の誰かと連絡を取り合う人、必死でスマホを弄り情報を集めようとする人、無理矢理外に出ようとする人もいる。警備員がどうにか止めようとするが持ちそうにない。あっという間に突破されてしまった。

外の霧はいくらか薄れており、他の建物からも路上に出てくる人が見える。


外に出るべきかどうか迷っていると突然ばたり、と音を立てて隣にいたサラリーマンが倒れ伏した。

まるでそれが合図だったかのように、次々と人が倒れていく。あっという間に広間の殆どが横たわる人で一杯になった。立っているのは私と祥哉、そして受付嬢だけだった。


「だ、大丈夫ですか?」


恐る恐る、受付嬢が近くに倒れている人へ手を伸ばす。

…何か嫌な予感がする…次の瞬間、

がぶり。

噛まれた。

肉を噛みちぎる音がこちらまで聞こえてきそうなほどに、勢いよく受付嬢の腕に噛みついてきた。


「キィャアアアァァ!」


耳をつんざく受付嬢の悲鳴を皮切りに、倒れていた人達がモゾモゾと動き出す。

この光景には既視感がある。よくあるゾンビ系ホラーの定番だ。

そう来たか! まさか人生初の夢がゾンビものとはね。

すぐさま出口に目を見やる。幸い私たちは出口から近い所にいる。動線上に起きあがろうとしているゾンビは3体。すぐに動けば(かわ)せそうだ。


「逃げよう!」


茫然としている祥哉を引っ張って建物から出る。起き上がりかけたゾンビが手を伸ばしてきたが鞄で払い退け、何とか襲われる前に路上へ出ることができた。

夢とはいえゾンビに噛まれて目覚めるのも嫌だなあ…と思いながら、どこへ逃げようか考える。


周りの建物からゆっくりとゾンビ化した人々が這い出てくる。見た目は普通の人と変わらないように見えるが、明らかに手足の挙動がおかしい。糸のもつれたマリオネットのように不恰好な歩き方をし、白眼をむいて口からヨダレを垂らしている。無事な人も何人かいてバラバラな方向へ走っているが、圧倒的にゾンビの方が数が多いようだ。…ビルの中に避難するのは危険すぎる。


「俺にいい考えがある、こっちだ!」


そう言って祥哉は一目散に駆け出した。ぽっちゃり体型なのにやたらとすばしっこい。…まるで物理法則を無視するかのような爆走っぷりだ。遅れないよう慌ててついていく。


歩道が既にゾンビで溢れ始めていた。徐々にゾンビがしっかりと歩くようになってきている。すでに早足くらいの速度で迫ってきていた。歩道は危険なのでガードレールを乗り越えて車道を駆け抜けていく。

道の亀裂が広がっていて走りにくい。この状況では車の通行は不可能だろう。


交差点を曲がって少し細い道に入る。さらにもう一回曲がって路地に入った所で祥哉が突然立ち止まった。


「ここだ。入るぞ」


目の前にあるのは古い一軒家だ。一階の窓が全て板で塞がっている。祥哉は素早くドアの鍵を開けて中へ入る。

続いて家へ入ろうとした時に、


「待って!」


遠くから声をかけられた。振り向くと、こちらに向かって手を振りながら走ってくる人影があった。


「私も入れてください!」


スーツ姿の女性が玄関前まで駆けてきた。すぐ背後にゾンビが迫ってきている。


「どうぞ、早く!」


女性を中へ引っ張り上げてドアを閉める。直後、ドドンという衝撃音がドアを鳴らす。

すぐさまカギとドアチェーンをかける。ゾンビが外からドンドンガチャガチャと音を立ててドアを揺らしている。


「ふう、間一髪だったな」


祥哉が汗を拭きながら呟く。


「この家は何?」


「空き家だよ。来月に取り壊すことになっていて、様子を見にくる所だったのさ。うちの会社が管理していたんだけど長い間放置されててね。以前に近所の悪ガキが不法侵入したことがあってな、一階の窓も全部塞いであるんだ。…んで、こちらの方は?」


女性に視線を向ける。


「すみません、あの、急に周りの人たちがおかしくなって。慌てて逃げようとした所にあなたたちがいたので、ついてきてしまいました」


ゾンビがバンバンと窓を叩く音が響く。3人揃ってビクッと体を震えさせるが窓の板はしっかりと固定されているらしく、びくともしていない。


「…ゾンビに追いつかれなくて良かったよ」


私はそう言いながら女性を改めて見た。スーツを着た典型的なOLだ。丸顔で、髪は肩に触れる程度の長さで綺麗な黒髪をしている。


「…()麻子(まこ)?」


「えっ?」


「あっいえ…お名前は?」


「…由麻子です。小門(こもん) 由麻子」


やっぱりだ。この顔は毎日見ている。妻の由麻子だ。…しかし旧姓を名乗っている。


「どうして名前を?」


「いや、どうしてというか…夫婦…だよね?」


「えっ? 私がですか? 違いますけど…誰か別の方と勘違いされてませんか?」


「えっ?」


どう見ても妻にしか見えない、しかし妻と同じ名前のこの女性は私の事は知らないらしい。うーん、この夢の世界では私達は面識がないという設定なのだろうか…ややこしいな。

由麻子には怪訝そうな顔をされたが、それ以上深くは聞かれなかった。

お互いに軽く自己紹介を済ませ、一先ずは現状確認をすることになった。


まず、この家は二階建ての、取り壊し間近の古い一軒家だ。古いといってもかなり丈夫そうで、一階の窓も板でしっかりと塞がれているため、暫くはゾンビが入ってくる心配も無さそうだ。

電気、ガス、水道は止まっていて家具類も何も無い。

ゾンビ物でよくある、実は傷をつけられていて後で発症、なんてことが無いようにお互いの体をチェックする。と言っても服も破れておらず、腕と足の見える範囲だけだが…問題はなかった。

持ち物はスマホと鞄だけ。鞄の中身は何故かカラッポだった。他の二人も同じ。スマホは既に圏外で、GPSも機能していない。

時刻は午前10時。2階の窓から確認したところ、外の霧は少し晴れていたが、街中がゾンビで溢れかえっているようだった。ゾンビはとても素早く動き回っており、今ここから出たらあっという間に襲われるだろう。


「こんなもんか。ひと通り調べたけど食べ物は無かったな」


お腹をさすりながら祥哉が呟く。


「その事なんだけど、心当たりがあるんだ」


今までの一連の展開には既視感があった。私は過去に同じ体験をしている。少しずつ記憶の糸を手繰り寄せていく。

そしておもむろに2階へと上がっていった。


「おい、どうした?」


慌てて二人もついてくる。

2階には部屋が二つある。…どっちの部屋だったかな?

迷いつつも一方の部屋に入る。部屋はやはりカラッポで、路地に面した窓と押し入れがあるだけだ。躊躇(ためら)わずに押し入れに入って天井板を外す。

…やっぱりだ。

そこにあった物を引っ張り出して祥哉に手渡す。


「ええっ!?」


二人の驚く声が聞こえる。

祥哉の手にはビニール袋が下げられており、中には大量の食料が入っていた。

食料といっても、いわゆる栄養補助食品というやつで、保存性の高いブロック状の非常食だ。

さらに屋根裏の奥に手を伸ばすと、2Lのペットボトルに入ったミネラルウォーターが三本出てきた。

…間違いない。これはゲームの世界だ。






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