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「ふっ、冬澤先輩……私と、付き合ってください!!」
(はあ?)
居住区A-201で起こった<花>の侵攻から数日が経過した。少し派手に能力を使ってしまった手前、警戒していたが――連日流れる<花>関連のニュースでもこれといって目立った話題は出ていない。
政府軍部のくびきを逃れた白い<花>を宿す<花瓶>は、どうやら今回も無事に逃げおおせることができたようだ。
そんなことはさておいて、昼休みの廊下で鈴葉がそれを見かけたのはほんの偶然だった。
「――いや、俺あんたのこと知らないんだけど」
平坦に凪いだ低い声。人だかりから頭一つとびぬけた、彼の横顔が遠目に見える。そこに浮かぶのはいつも通りの無表情だが、鈴葉には彼が非常に面倒くさそうにしていることが、それこそ手に取るようによくわかった。
「せ、先輩と同じ図書委員会に所属しています。一年の○○です」
(『そんなのいたっけ?』って顔してますねぇ……柊は人の顔覚えられないから)
「――そんなのいたっけ……?」
(あ、言っちゃった)
廊下のど真ん中で下級生に現在進行形で告られているこの男こそ、ここ首都第一高校随一のイケメンと名高い男――冬澤柊だった。
顔も良ければ頭もよく、運動神経も右に出る者はいない。その一方で、不愛想で人を全く寄せ付けない冷たい態度とミステリアスな雰囲気から、ついた異名は「首都第一の“氷の王子”」(本人非公認)。学校の内外問わず多くのファンがおり、いたるところにファンクラブ(これもまた本人非公認)が乱立しているありさまだった。
「王子がまた告白されてるわ」
「これで何回目?」
「今年度に入って十八回目。新記録更新よ」
こんな衆人環視で告白するなんて正気の沙汰とは思えない。廊下のあちこちから向けられる好奇の視線と、そこに滲む嫉妬や羨望。鈴葉は内心顔をしかめた。
「委員会の当番活動で困っているときに助けていただいて――あれからずっと、先輩のことが頭から離れないんです。まずはお友達からでいいんです、だから……」
「よく知らないやつと付き合う気はない。退け、邪魔だ」
やはりというかなんというか、柊は期待のこもった眼差しをすげなく一蹴する。その深い藍色の瞳が、鋭く冷たい色をして相手ををねめつけるのはもはや見慣れた光景で。その様子をじっと見つめながら――鈴葉は心の中で首を傾げた。
(柊のことなんてなんにも知らないくせに、どうして彼女にしてもらえるなんて思うんでしょう?)
鈴葉には不思議でならない。
柊に告白するならば最低限、彼が目立つことをこの上なく嫌っているということを、彼がそばに置く人間を非常にえり好みする性格だということを、彼には既に“愛情”を抱く相手がいるということを、知っておくべきだっただろうに。
彼の身長と体重を、血液型を、食の好みを、得意な科目と不得意な科目を、あの女は知っているのだろうか?
夏を抱きしめているときの表情を、千尋の頭を撫でるときの手の動きを――鈴葉にキスするときのちょっとした癖を、あの女は知っているのだろうか?
それを知る努力を怠ったまま、どうして柊に自分を知ってもらえると思ったのだろう。
考え込む鈴葉を置いて、目の前のやり取りは展開していく。
「ま、待ってください! まだお話が」
「――うるさいな。邪魔だっつってんだろ」
「どうして分かってくれないんですか!? 私は、本気で」
ここまで拒絶されて食い下がるなんて、よほど押しが強い性格なのか、あるいは柊の苛立ちが見えないほどに鈍感なのか。柊はうんざりとその場を去ろうとしていたが、彼女はその腕を両手でつかんで引き留めていた。
「っ、」
「私のことを知らないのなら、知ろうとしてくれればいいじゃないですか! そんなに冷たく……ひどいです、先輩」
(なんなんだろう、この女は)
柊が珍しく焦っている。元来人に触れられるのは得意じゃない彼が、それでも無理にその手を振りほどかないのは相手に怪我をさせる恐れがあるからだ。柊の優しさの上に胡坐をかいて、そのうえ自分を知ってほしいだなんて――なんて傲慢な女だろうか。
(……ふざけやがって)
長いまつ毛の陰から覗く、深緑の瞳がゾッとするほど冷たい色をして、目の前の光景を見つめる。取るに足らない人間が、この世界で一番愛しい存在に触れているのが死ぬほど不愉快だった。
「柊はわたしたちのだぞ、クソ女が」
吐き捨てた言葉は誰にも聞かれることはなく、廊下の床に落ちて消える。その瞬間、鈴葉は人だかりを裂いて歩き始めていた。