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千物語 I  作者: 松田 かおる


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逃亡者

俺は今、ある「組織」から脱走して逃亡中の身だ。

もちろん、「組織」は脱走を決して許していないので、俺には「追っ手」がつけられた。

その追っ手というのが、


ガシャーン!

「いったーい!」

たった今、背後で派手に看板に頭をぶつけた女だ…




その女は俺が「組織の本部」にいた頃、何度も見かけていたのでよく知っている。

いわゆる「ドジっ子」で有名で、よく廊下で人や物にぶつかったり転んだりして、書類や備品を床にぶちまけていた。

そんな女が俺の追っ手に指名されたというのだから、俺も随分と見くびられたものだ。

あんな追っ手からは、必ず逃げ切ってみせる…




相変わらずアイツは、俺の後をつけてきている。

だがアイツの行動は「尾行している」のが丸わかりで、誰が見ても怪しすぎた。

しかも、必ずと言っていいほど対象者…つまり俺に勘付かれるようなドジをやらかすのだ。

ある時は看板にぶつかり。

またある時は道路の段差につまずき。

そしてまたある時は盛大に犬に吠えられ。

まるで「尾行者のタブー」の見本市のようだった。

つけられている俺が同情してしまうくらい、尾行に全く向いていなかったのだ。


そんなことが繰り返された、ある大雨の日。


例によってアイツは俺をつけていたのだが、今度はよりにもよってトラックが派手にはねた水たまりのしぶきを、たまたま強風に傘を飛ばされたタイミングで見事に全身に浴びてしまったのだ。

さすがに周りの人たちも、アイツを好奇と憐みの目で眺めている。

するとアイツはそれに耐えられなかったのか、

「うわーん!もうやだー!」

とうとう泣き出してしまった。

だが、それを見て誰一人としてアイツに手を差し延べることもなく、無関心を装って通り過ぎて行った。

それどころか遠巻きにクスクスと笑う奴までいる始末だ。

いくら何でもあれは酷いだろう…

俺は思わず「追われている身」ということを忘れて、道端に座り込んで泣いているアイツの方に足を向けた。

「あんなドジばかり踏んでいるんだから、一度くらい顔を合わせても大丈夫だろう」と思ったのもある。


俺はアイツの前に立って

「大丈夫か?」

と言いながら手を伸ばして、ハンカチを差し出した。

するとアイツは俺を見上げて、

「うわーん!ありがとうございますー!」

と抱きついてきた。


そして俺がアイツに言葉を返そうとしたら、

「これを待っていたのよ」

と、今まで聞いたことのない冷たい声で囁かれた次の瞬間、声以上に冷たい感触が俺の喉元を通り過ぎた…

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