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千物語  作者: 松田 かおる


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ガラスの籠

私の目の前に、一人の男がベッドに横たわっている。

彼にはたくさんの管が繋げられ、口元には酸素吸入のマスクが着けられている。

そんな姿を見て、私は昔のことを思い出していた。




あれはもう、どのくらい前になるのだろう。

思い出すのも難しい昔のような、つい先月くらいのような気もする「あの日」、私は彼にここへ連れてこられた。


しかし彼は私を束縛するようなことはなく、自由にすることができた。

彼は私に、なんでも欲しいものを与えてくれた。

きっとそれは、彼なりの愛情だったのかもしれない。

なのでその代償として、私は彼への愛情で報いた。


そんな生活をどれだけ続けてきた頃だろうか、ある日彼は私に言った。


-ここから出て行きたくなったら、いつでも出て行って構わない-

-君の人生だ、君の自由にすればいい-

と。


そう言われるまでもなく、私にはいつでも「自由」になるチャンスがあった。

だけどできなかった。


彼のもとから逃げ出すのは簡単だった。

ただ、今の暮らしを手放すことが私を躊躇させた。


私のためになんでもしてくれる彼。

そんな彼のために、可愛い声でさえずる鳥のように愛情を返す私。

私はまるで、ガラス細工の籠の中で飼われている鳥のようなものだった。

華奢なガラス細工の籠を壊して外に出ることはできるが、それは同時に砕けたガラスの破片で身体じゅうを傷つけることになる。


傷つくことを、私は恐れたのだ。


だけどそれも、彼と言う存在があればこそだ。

今のような、意識があるのかどうかも判らない、私がそばにいることも判らないかもしれない男のもとにいたい訳ではないのだ。




意識が戻ったのか、彼が目を開いた。

すると私がいることに気づいたらしく、何か言いたげに口を開いた。

危険を承知で彼のマスクを外す。

やがて彼は、切れ切れの言葉で私に言った。


「今まで済まなかった」

「もう自分のことは忘れて、自由に生きなさい」


それを聞いた瞬間、私の中で何かが爆発した。


「済まなかったと思うんだったら、今すぐ元気になりなさいよ!」

「元気になって、しっかりと私に詫びなさいよ!」

「…私のこと、ずっと可愛がってよ…」


そう言いながら私は、涙をぼろぼろこぼしていた。

その涙は悲しさなのか怒りなのか憎しみなのか、それとも愛情なのか…

私自身でも解らなかった。


だけど私の懇願とも言える呼びかけに彼は応えることなく、また意識を失ったようだった。


そして医療機器の音だけが拡がっては、部屋の中に消えていった。

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