4日目
「さて、今日はケーキでも作るかね」
机の上に材料を並べた人間に、興味を隠すことなく近づく魔王は知っている単語に折り紙の時と似た何か感じた。
「ケーキという食べ物は知識として知っている。確か嗜好品だろう」
「はは、そうだねぇ。でも今の時代は、だいたいの家庭が食べたことあるだろうし。家庭によっては、今みたいに自分で作る人もいるよ」
「嗜好品とは……?」
嗜好品以前に目の前で並んでいる材料である、粉、粉、卵でできるのか……? という疑問が頭の中で踊る。けれでも、折り紙も同じであったように、あのペラペラの紙1枚が鶴にも、風船にも成ったのだ。であれば、粉と卵も嗜好品に様変わりはするのであろう。
「……なぁ、人間」
魔王の言葉に袋を開けていた手を止めた人間は、言葉を促すように視線を向ける。何かを言いたそうに口元をもごつかせている魔王を見て、どこかで見た反応だと過去を振り返る。
「ご自身もケーキ作りに参加したい、のだとはっきり言ってはどうです。ちなみに自分は試食担当でお願いします」
突然現れたヒッチに驚きつつも、飛び出た言葉によって人間は鮮明に過去を思い出す。それは幼い孫も同じだった。たくさんの“興味”と、ほんの少しだけの“挑戦”を宿した瞳は、人間じゃなくても同じらしい。
「いや! 私も作りたいとか、そんなことはないぞ! ただ気になるだけだ!」
「遠慮しなくてもいいよ」
「遠慮なんてしていない!」
人間は自分が身に着けていたエプロンを脱ぎ、一人で慌てている魔王へ差し出した。差し出されたエプロンと、人間の顔を交互に見たと思えば、助けを求めるかのように、ヒッチへ顔を向けた魔王であったが、当の羊は魔王が困っているのに一切興味を示すことなく、今日の毛づくろいを始めている。
「~~~~~~っ!! もう! すればいいのであろう!!!」
エプロンをひったくり、首や、腕を通していく。後ろで結ぶ予定の紐は、魔王の体格では結ぶことができず放置された。……後ろから見れば少し間抜けな格好ではあるが、本人も、人間も気にしていない。けれどヒッチだけが、その間抜けな後姿を目に焼き付けるように見つめていた。
「それじゃあ、始めていこうかね」
人間の言葉を合図に、魔王は生まれて初めて——————料理に挑戦をする!
「もう材料は量り終わってるから、このふるいに、この粉を入れてくれる?」
「このコップみたいなのに入れればいいのか?」
「そう。入れたら持ち手がハンドルになってるから、中の粉が無くなるまで握って、離してカシャカシャしてくださいませ」
指示に従いカシャカシャと音を鳴らしながら、粉をどんどんふるっていく。見ている分には地味な作業であるが、やっている本人は実に楽しそうである。ものの数分で終わってしまったが魔王は満足気だ。
次は卵を割って、ボウルへその中身を落としていく。まず見本として、人間が卵を割って見せた。殻の破片も入ることなく、中身だけがボウルへ落ちた。
「これを割るのか……?」
先ほど見たばかりの光景を、もう忘れてしまっているのか卵を割るイメージがわかない魔王に、人間は軽い調子で、いけるいける。と笑っている。
少し力を入れただけで粉砕できそうな殻を、恐る恐る机にぶつける。
————こつん。
なんて可愛らしい音なのだろう! 素敵なことに、卵にはひびの一つも入っていない。
「そんなんじゃ割れないよ。もっと強く!」
「つ、つよく」
人間に迫られるまま、先ほどよりも力を入れて机に卵をぶつければひびが入った。それから、見様見真似でボウルの上で卵のひびに指を突っ込めば——ぐしゃり。
ぬめりとした感覚が、指先から手のひらを通りボウルの中へゆっくりと流れ落ちていく。人間が割った卵とは程遠く、卵黄は破れ、水たまりのように白身へ不快感とともに広がっていく。
魔王が何かを言う前に指先から卵を抜き取り、新たな卵を持たせ割るように促す。不快感を飲み込み、力加減を調整しながら再び挑む。2回目ともなれば、少しだけ、ほんの少しだけ慣れて、黄身を割ることなくボウルへ中身を落としてみせた。
「……手がベタベタする」
「これで拭きな」
渡されたタオルで指先を拭くも、ベタベタ感が手に残っているのか指先をこする。
「次はこれで、いいって言うまで掻き混ぜて。電源はここね」
「これは何だ?」
「ハンドミキサーっていって、すぐに混ぜれる機械だわ。ちなみに、ちゃんとボウルに入れた状態で電源つけてね」
言われるがまま指示に従い、電源を入れれば突き出た2つの金属が高速で回転し始めた。人間が言う通り、これなら早く卵は混ざることだろう。と、思っていました。
「まだ混ぜないといけないのか?」
「まだまだ、ぜんぜん膨らんでないから」
本当に膨らむのか? なんて疑問が頭の中で踊りながらも、根気よくハンドミキサーで卵を掻き混ぜる。どれだけの時間を掻き混ぜていたかわからないが、腕が疲れてきた頃には人間が言った通り卵だったものは膨らみ、その量を増やした。膨らんだことを目安に、魔王がカシャカシャふるった粉と、なにもしてない粉を入れた。
「それじゃあ、また混ぜてください」
人間の言葉に溜息と、文句を飲み込んだ魔王は再びハンドミキサーでボウルの中身を掻き混ぜていく。その間に人間は、黄色い何かを溶かし始めた。なかなかに、いい匂いである。それが溶ければ、混ぜるのはもういいと言われた魔王は、単調で疲れる作業からやっとこさ解放されることとなった。
丸い型に、溶けて液体になったそれを塗りつける。
「何をそんなベタベタベタと塗っているんだ?」
「溶かしたバターを塗って、くっつかないようにするためだよ」
「なにが?」
「ケーキが」
ケーキが型にくっつくというのが理解できないのか、頭に疑問府を浮かべる魔王に「次回は塗らずにやってみようか」と人間は笑った。また“次”がある現実に釣られて、魔王も笑う。
型に混ぜたものを流し込み、少しだけ持ち上げては手を放す動作を数回やったのち、電子レンジに入れる。人間が言うには1時間後に完成するとのことだった。
「焼けるとどうなるんだ?」
「さらに膨らむねぇ」
「さらに膨らむのか?」
「それでフワフワになる」
「……あのベタベタしたものがか?」
人間の言葉を信じられない魔王は、ヒッチの柔らかな毛を指さし視線で再度問いかければ人間は力強く頷いた。なおも信じることも、想像もできない魔王は眉を静かに寄せた。
ケーキが焼きあがるまですることがないため、人間とヒッチは昼寝を、魔王はそんな一人と一匹を——いつのまに、こんなに仲良くなったんだ? と疑問を抱きつつも、マイブームである折り鶴をせっせと作り始めた。
魔王がちょうど20体目を作り終えたときに、電子レンジがピーっと焼き上がりを教えてくれた。少しだけ漂う美味しそうな匂いに、人間のお腹が鳴る。誰よりも待ちきれない魔王は、人間の「熱いよ!」という静止の言葉を無視して、電子レンジの中のケーキへ両手を伸ばした。取り出したケーキを、どうしたらわからない魔王はひとまず机の上に置くことにした。
「大丈夫? 火傷は?」
「この程度で火傷などしない。それより、この後はどうするんだ?」
「まぁ、痛くなったらすぐ言うんだよ。それじゃあ、型からケーキを出すかね」
型からケーキを取り出すために、棚から取り出した大皿の上にひっくり返して乗せた。それから底を押しながら、側面を持ち上げてするするケーキを取り出した。それと最後に、底の部分もはがして、ひっくり返せば完成である。
「……本当に膨らんでいる」
「それじゃあ、切るよ」
適当にケーキを切り分け、めんどくさいという理由で、各自素手で取って食べることになった。
「熱いから気をつけなね」
「だから、この程度の熱では何にもなりはしない」
人間の鬱陶しいほどの心配を流しながら、ふわふわで、あつあつのそれをカパリと大きく開けた口の中へと放り込む。感想が気になるのか、人間とヒッチは静かに咀嚼する魔王を見つめた。おおよそ30秒で飲み込んだ魔王は、ヒッチに白銀の毛と手を伸ばす。ゆっくりと伸ばされた手が、その毛に触れようとした瞬間——————ひょい。
触れるはずだった手は、ヒッチが横に避けたことで何にも触れることはなかった。
信じられないものを見たような瞳で魔王を見るヒッチは、心底理解できないという態度を隠さずにじりじりと魔王から離れていく。
「もしかして今、自分に触れようとしました?」
「どっちが柔らかいのか確認したかったからな」
さぁ、毛を触らせろ。とヒッチへ再び手を伸ばす魔王であったが、ヒッチは華麗に避けていく。そんな二匹の攻防に「コラっ!」と珍しく声を荒げた人間に、動きが止まる。
「行儀が悪い!」
「すみませんでした」
「ご、ごめんなさい……?」
理解して謝るヒッチと、つられて謝っただけの魔王に人間は笑いかける。
「さぁ、食べようか」
一人と、二匹は、柔らかく、甘い初めての嗜好品を楽しんだ。
ちなみに、人間曰くヒッチの毛の方が柔らかかったらしい。




