2日目
魔王は困っていた。
自分の都合で呼んだ人間の食生活について、非常に困っていた。
「人間はいったい何を食べるんだ……?」
一人きりの自室に零れた声は、誰も拾うことはなかった。
何を隠そう魔王は、“魔王として産まれた生物”ではなく“魔王となった生物”なのだ。遥か昔にすべてを捧げた代りに、なにもかも失った。その中の1つが食事である。
話を戻して人間の食事についてだが、魔王はおおむね人間が何を食べるかは知っている。しかし他の生物と比べて多種多様なため混乱しているのだ。肉も、草も、なんでも食べる人間は、逆に何を食べているのかわからない。
わからないなりに、倉庫にある程度の食物は保管してある。いくら異世界から人間を呼んだのが衝動的といえ、少なからず用意はしていた。……用意していたからこそ、衝動的に呼んでしまったのだけど。
「本人に聞くのが一番早い、か」
行動が決まれば、あとは早く。魔王は颯爽と自室を出て、人間がいる部屋へと向かう。その間、頭の中には昨日人間から教わったことを反芻する。そうこうしているうちに、部屋の前へと到着する。遠慮のえの字もないまま、扉を豪快に開けた。
「人間! 聞きたいことがあるのだが!」
ゲンカンという場所で、靴を脱ぎ飛ばしながら、ズカズカと部屋へと押し入る。部屋の奥から人間が「いらっしゃい」と歓迎した。声に導かれるように、進めばそこには、
「魔王様、ちゃんと玄関にて靴は揃えましたか?」
————————部下であるヒッチが、寛いでいた。
仕事ができるヒッチは、魔王よりも早く食事の問題に気が付いたらしい。人間曰く、似た食べ物があるから恐らく料理できるから大丈夫とのこと。ただ1年間生活するには、心もとないとのことで一部は育てることになった。人間は食べ物を育てたことがあるらしく、なんとかなるだろうとのことだ。育てる場所は、すでにヒッチが用意しているらしい。
「それにしても、やけに張り切っているな」
「なんのことでしょうか」
「わかりやすい嘘を言うな」
まだ2日目なのだが、人間を呼んだ魔王よりもヒッチのほうが人間を気にかけていた。その事実に魔王は、呆れたように笑いながらも楽しそうだ。
「にしても、暇になってしまったな」
「仕事してください」
「なにを言っているんだ、仕事なんてないだろ——————ずいぶんと前から」
暇だ、暇だと喚く魔王に、人間が一枚紙を出す。
正方形の紙は表が赤く、裏が白い。正直渡されても困る。こんな紙切れ一つで、暇が潰せるとは思えない。
「“折り紙”だよ」
「“オリガミ”とは、なんだ?」
とりあえず渡された紙を受け取ってみたが、やはりただ色がついた紙でしかない。疑問に思っていれば、人間は“オリガミ”を折りたたんでいく。いや、折りたたんだと思えば、開いて忙しない。目を逸らしたわけではないのに、気が付けば鳥が完成していた。
「……これはなんだ」
「これは折り鶴って言うんだよ」
魔王の目の前に置かれた鶴は、確かに先ほどまではただの正方形の紙だった。平面だったのものが、立体になった事実に魔王も、ヒッチも驚きを隠せない。
「持ち上げても?」
「どうぞ」
許可を取り、恐らく頭部である場所をつまみ上げ、自身の目線まで持ち上げる。様々な角度から確認するが、やはりさっきまでのペラペラと同じ紙であるらしかった。熱心に折り鶴を見つめる魔王に、人間は楽しそうに口を開く。
「孫はわたしより器用でねぇ。よく足を生やして遊んでいたわ」
「足を生やす……?」
「こちらが思っている以上に、あなたがたは器用な生き物だったのですね」
ヒッチの言葉を、首を横に振りながら人間は否定した。人間が幼いころは数少ない娯楽の一つだった。時代が進んで娯楽が増えても、なんだかんだ理由をつけて折るため、1回も折ったことないという人間の方が少ない。とのことだ。
「折り方がわかれば、誰でも折れるからね。あんたもやる?」
「では、ご教授いただこうか」
教えるの下手だから、ごめんね。と、茶目っ気に笑う人間に、魔王も笑みを返す。それから一人と二匹は、ひたすらに紙を折る。あーでもない、こーでもないと言いながら、20分かけて完成したそれは、グシャグシャで鳥にも見えない。いや、前向きに言うなら死を間際にした鳥に見えないことはない。
「…………」
沈黙する魔王に、人間は「形になったねぇ」と拍手を送る。ヒッチはそんな二人を横目に毛づくろいした自身の毛を見て満足そうだ。15分かけて整えた白銀の毛は輝いていた。ちなみに力加減がわからず5分で2枚の折り紙を破いた魔王に比べ、ヒッチは1枚目にして、しっかり折られた美しい折り鶴を完成させた。
「三度目の正直でよかったねぇ」
「む? なんだそれは?」
「一回目や、二回目が上手にできなくても、三回目で上手にできたって意味の言葉だよ」
「では、もし魔王様が三回目も失敗したら?」
ヒッチの質問に対し、魔王は「不敬だぞ」と眉を寄せる。
「そしたら、二度あることは三度あるだね」
「なるほど。二度起こったことは、もう一度起こるということですね」
「そうそう。賢いねぇ」
ヒッチのことを魔物ではなく、器用で賢い羊とでも思っているのか、ためらいなどなく白銀の毛を優しくなぜる。大人しく撫でられるヒッチに内心驚きつつも、魔王は自身の折り鶴に妥協できず、折り紙に手を伸ばす。
魔王が納得できる折り鶴が折れたのは、それから5時間後のことだった。