2 愛すべき器物か庇護するべき国民か
暑くて暑くて堪らない炎天下の下、わたしは牡蠣が散乱した自販機のもとへ向かっている。
この暑さでは牡蠣も死んで腐ってしまっているだろう。
「いやスライムさんご足労おかけして申し訳ありません。ちょうどいま通信基地局が三十メーター級の怪物になってしまったみたいで。この町内では電話が繋がらないんです。こんな炎天下の中を交番まで来てくださって……本官、感謝しております」
「ヒヒーン」
「右足のウマもありがとうと申しております」
警官が馬の首を撫でる。
馬は嬉しそうに警官の左足に頭をこすり付ける。
器用である。
それにしても右足の太ももの付け根から馬の背中に繋がっている人がいるとはなぁ。
これも一種のケンタウルスであろうか。
それにしても生活をしづらそうである。
いっそのこと右足の馬を切り離してしまえばいいのに。
その方がふたりとも楽そうであるのに。
本人たちには決して言えないけれど。
「いやいや事件があったら通報するのが市民の義務ですから」
「ヒッ、ヒーン」
馬が感涙してる。
馬が泣いているの始めて見たよ。
頭を撫でたいな。
フォルムチェンジしなくては。
馬の背中に洗濯物のように平べったく架かっている姿から人間のような姿へと形を変えてと。
「おお、これがお噂のスライムさんの変身能力ですか」
「えぇ、スゴいでしょう。結構、自慢の能力なんですよ。自分の意思で変身できるこの力が」
そうして撫でる。
あぁ、たてがみがさらさらしている。
落ち着くさわり心地だ。
よく手入れがされているのだなぁ。
可愛がられているんだね。
「ふふ、立派なものでしょう。このウマは本官の誇りなんです。毎日暇さえあれば全身を手入れしているんですよ。この太陽のようなたてがみ、惚れ惚れしてしまいます」
「ヒィィィン!」
なるほど警官の自慢も納得の馬である。
光沢のある毛皮をもった栗毛のかわいいやつだ。
「あっ、ここです。ここがワーバットもしくはヴァンパイアが牡蠣になった現場です」
「ここですか。なるほど自販機が大破している。被害者が大暴れしたあと牡蠣になったというのは確かみたいですね」
馬が屈む。
それでも地上から距離があると思うが警官には馴れたものなのだろう。
「ワーバットさん、ヴァンパイアさん聞こえますか。応答してください。ワーバットさん、ヴァンパイアさん」
警官が馬の背中から横に落馬するかのように身体を地上に近づける。
曲芸みたいだ。
そして人にするかのように牡蠣を揺すっている。
「なるほど、ただの牡蠣になってしまったようですね。反応がありません。ちょっと待っていてくださいね」
警官が赤と黒の電極のついたメーターをポシェットから出した。
電流を計るのだろうか。
「ほら脳波は電気信号ですから。なにかしら反応があれば意思疎通が出来てるってことですので」
「なるほど、脳波測定器ですか」
赤と黒の電極をワーバットの頭部付近にあった牡蠣に差し込む。
でも牡蠣に脳があるのだろうか。
「ワーバットさん、ヴァンパイアさん聞こえますか。応答してください」
警官が必死に声をかける。
勿論、応答はない。
しかし脳波というか電気信号の方はどうだ。
「良かった。声に対してなのかわかりませんが電気信号があるみたいです。生きていらっしゃいます」
「ふぅ、よかったです。目の前で牡蠣になって、しかも亡くなられたら夢見が悪いですからね」
それに牡蠣が死んでいたら自分が殺したようなものだし。
いや、亡くなったワーバットの死体が生きている牡蠣になった可能性もあるのでは。
……まぁ、いま生きていることがすべてであるか。
「それでわたしはこれからどうすればいいんでしょうか?」
「このまま帰宅してもらって結構ですよ。通報だけでなく現地までご同行いただきありがとうございます。ご協力いただき感謝しております」
警官が頭を下げる。
「ヒーン」
馬も頭を下げる。
「いやいや毎日市民のために汗水垂らして働いてもらっているのですから。これくらい当然ですよ。こちらこそ毎日ありがとうございます。ではこれにて失礼いたします。ウマちゃんもまたね」
一礼してからくるりと背を向け歩き出す。
いいことをすると気持ちが良いな。
そういえば、これからワーバット改めたくさんの牡蠣はどうなるのだろう。
海に放流されるのだろうか。
それとも警官が焼いて食べてしまうとか。
もとは人っぽいし、それは流石にしないか。
き、気になるなぁ。
聞いちゃうかぁ。
でも職務を中断させるのはな。
それに別れをすませたばかりであるし。
しかし聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とも言う。
それに市民の疑問に答えるのも警官の仕事であることだし。
よし、聞くか。
くるりと振り返ってと、
「職務中であるのにすいません。お時間いただけますでしょうか」
警官もくるりと振り返る。
「ええ、大丈夫ですよ。なにかありましたか」
「そのですね。元ワーバットである牡蠣はこのあとどうなるのでしょうか。わたし、少し前に意識を獲得したばかりで全く常識ってものを知らなくて」
「なるほど、それが気になっていたのですね。生きているが意志疎通が出来なくなった場合の扱いは気になるものですからね」
警官が会得したように頷いた。
「ええと、スライムさんも知っていらっしゃるようにこの管区で市民と見なされるには管区の住民と意思の疎通ができなくてはいけません。というよりそれだけですね。意思の疎通ができれば市民です」
「はい、わたしもこの管区の市役所に行って意思の疎通ができるか確かめられました」
そう、自分はこの管区ではじめて現れたスライムというか粘体生命体だったのでかなりハードな調査を受けたのだった。
思い出すだけでゲッソリする。
そしてその管区で唯一のスライムであるからスライムと呼ばれている。
名前が無いわけではないのに。
名前は識別のためのものであるからそれで良いと言えばいいけど。
複雑である。
「本当はこんな存在が不安定な時代なのだから意思の疎通ができない植物でも動物でも市民として認めたほうが良いのではないかって言う意見もありますけど、ニンゲン霞を食っていきている訳じゃないですからね。野菜や肉を食べなくちゃ生きられないのでありますから。やはり線引きが必要なのだと思います。そもそも意思の疎通ができる雲型生命体もいましたね」
「確かにその通りだと思います。生き物すべてに市民権を与えたらわたしも皆も飢えて、苦しんで亡くなってしまいます」
自分だけなら最悪水分があればなんとかなると思うけど。
やはり意思の疎通ができる仲間には他者を犠牲にしてでも幸せになってもらいたいという思いがある。
「話を戻しますと、この管区において市民と見なされる存在は意思の疎通ができるモノまたは意思の疎通ができたモノなんです。ですからこの牡蠣さんたちはもともと意思の疎通ができたワーバットさんかヴァンパイアさんでありますから保護の対象です。専用の施設で生活を補助されることになります」
「よかったです。ホッとしました」
ワーバットとの会話が意思の疎通かどうかは怪しいところもあるけれど。
食べられないと知れたことはよかった。
自分はスライムで人ではないんだけれど。
襲われたとはいえ人型の獣人が食べられるのはカニバリズムを連想してしまう。
惨いように思う。
「ホッとしているところ申し訳ないのですがこの管区が市民として認めるのは意思の疎通ができた牡蠣のみであり、その子孫は保護の対象外なんです。もっともこのような場合は職員で頂いたりはせず、海に放流する形となるのですが」
「そう、なのですか……」
その割り切りを受け入れるのは自分にはきびしい。
でも自分には牡蠣の幼体を世話することはできないし、世話をする義理もないのだ。
文句は言えない。
それからワーバットの単性生殖を想像してしまった。
実際には彼を構成していた身体がオスとメスの牡蠣に変化しただけであるけれど。
彼の身体からその後継が湧きだすのだ。
なんだかグロテスク。
「ちなみに牡蠣は両性動物なんですよ。オスになったりメスになったりするんです。不思議ですよね」
「なるほど、はじめて聞きました。むかしから不思議な生き物というか現象はあったんですね」
警官が場を和ませようと豆知識を披露してくれた。
気遣いがありがたい。
でもそんなに顔に気持ちが出ていただろうか。
それからわたしは警官に改めて別れを告げた。
警官は牡蠣に話しかけながら丁寧に背広に集めている。
本当に親切な人である。
自身の足も馬になってしまっているからわたしたちのような怪物に親切なのだろうか。
いや、いけないな。
そのような邪推をしては。
わたしは警官に背を向けてビル街を歩き出した。
……うやむやになったけれども破壊された自販機は誰がどう処理するのだろう。
お手紙ちょ~だい