1 吸血鬼あるいはいっぱいの牡蠣
カッラカラの喉を細かな砂塵が充たしてくれた。
いやスライムであるのに喉があるのはおかしいだろうか。
いやいや固体や液体を内臓に押し流し、言葉を発する空気を押し出す行為を行う気管は誰がなんと言おうと喉であろう。
口と内臓とが直結していて物理的には無いように見えても行為が行われているのだから。
そう、わたしの精神的には喉は存在しているのだ。
スライムにも喉が存在する。
なんとか嘘つきにならずにすんだ。
たとえ比喩でも嘘はつきたくないものだから。
嘘をつくと閻魔さまに舌を引っこ抜かれると本にも書いてあるし。
そもそも人間に変身してから飲めばよかったのか。
無駄なことを考えてしまった。
「それにしても缶ジュースから砂が出てくるのはナシでしょ……」
自販機に呟く。
自販機に言ったって仕方のないことだけれども。
いやイマドキの自販機には意識があるかもしれないな。
なにがどうなるかわからない先の見えない世界だし。
「この砂、消化できないよなぁ」
お金を払って水分を奪われてしまった。
お金のままであるお金は貴重であるのに。
悔しい、勿体ないことをしてしまった。
「水素と酸素がいったいどうしてケイ素になるんだい。核融合でもなされたので」
なんてどうでもいいことを口走ってしまう。
中身のジュースが砂になることもある。
そんなこと当たり前であるのに。
いまでは本に書いてあるような自然法則はあてにならないことを知っているのに。
もう水素がヘリウムになろうが大爆発が起こることの方が稀なのだ。
なぜだかよくわからないが物事はかって気ままに形を変えるようになってしまったのだ。
「うぅぅぅ、うぅぅぅ」
どこからか全身に黒いローブを纏った誰かが現れたようだ。
真っ黒な頭巾を被っている。
忍者さんだろうか。
震える指でお金を自販機に持っていっている。
「あー、ここの自販機は缶の中身が砂になっているかもしれないから。他のところ行ったほうがいいですよ。砂が出てきたらお金が勿体ないし」
ピッ。
ガチャ、ゴン。
聞いてないし。
返事もなしっすか。
いや自分から親切にしようとしたのだから。
自分都合の行為なのだから。
イライラしては駄目だ。
喉が渇いて気が立っているな、自分。
「ゴホンッ、うううあああぁぁぁ」
砂が中っちゃたか。
だから言ったのに。
うわぁ、おもいっきり身体をのけ反らせて。
さすがに感情表現が豊かすぎだよ。
頭巾も滑り落ちて顔が見えてるし。
黄金色のふさふさした顔に小さな黒目、潰れた鼻、尖り突き出た牙、そして上を向いた大きな耳。
なるほど蝙蝠男もしくは吸血鬼。
こちらを向いてる。
「み、た、な」
いまどき化け物じみた外見のヒトやモノばかりなのに気にするヒトもいたものだ。
「あっはっは、自分も粘体ですから。下等なドリンクに見られたことなんて気にせずにパァっと忘れてください」
「ドリンク?」
小粒のお目目がギラリと輝く。
しまった、喉が渇いていらしたんだった。
ワーバットが両手を高く構えた。
飛び込んでくるか。
「きしゃぁあぁぁーーーッ」
飛び込んできたっ。
ここはビル街。
自販機の前。
なら自販機に逃げる。
「トウッ」
取り出し口から内部へ。
……自販機の中に入ればタダで缶を飲み放題だな。
まぁ、極力そんなことはしたくないけど。
いやでもさっきのお金は回収しても──
「ヴオォォォラララアァアァァ」
ドガン。
バキン。
ボコン。
ベギン。
うおっ、おもいっきりぶん殴っとる。
正気を失ってらっしゃる。
これだから獣人はニガテなんだよな。
気軽にスイッチが入る。
ドガン。
バキン。
バリッ。
もう、自販機の表面が剥がされちゃうな。
ヤバイな。
どうするかな。
スライムだし口に貼り付いて窒息させるか。
それとも身体の中で内臓や血管を破壊するか。
でも相手は獣人だ。
どれくらいで窒息するかわからない。
やり過ぎたら殺っちまう。
できれば殺したくはない。
バリッバリッ。
うえっ、生臭い息が漂ってくる。
腐った魚みたいな臭い。
あぁ口に貼り付きたくない。
でも身体に入りたくない。
でももう開いちまう。
くっそぉぉぉ。
やるしかないかっ。
「くらえッ」
自慢のぷにぷにベトベトボディを圧縮。
五十センチの体長を五センチに。
そしてワーバットの汚い口に突撃。
「おらッ」
バキッ。
やばっ、勢い余って牙折っちゃた。
狭いから。
「イジッ」
痛そうだ。
ごめん、ワーバット。
じゅるじゅる。
うげぇ、唾液がまとわりつく。
「痛ぇ」
口、ザラザラしとる。
口内は歯や舌があるから喉で待機だ。
内臓だと消化液ありそうだし。
「……ウッ……ウッ」
肺から、下から風圧がかかる。
口からもだ。
でもこんなもんじゃな。
自分を動かせやしない。
「……ウッ」
まだ動いている。
「……」
もうすこし。
「」
完全に止まった。
やっと静かになったな。
「ワーバット、待っとれよっ」
身体から飛び出る。
急がなくては。
「まずは拘束して」
身体を引き伸ばして両手両足を縛る。
人間の上半身と紐状の足をもった蛇女スタイルだ。
ワーバットの怪力だと引き千切られるかもしれないけど。
まぁ、いいさ。
「心臓マッサージだっ」
心臓の位置は人間と変わらないよね。
……たぶん。
「イッチ、ニー、サン、シー。イッチ、ニー、サン、シー」
うごかんなぁ。
まずいぞぉ。
これはまずいぞぉ。
心臓止まったままだぞぉ。
ザクッ。
「なにこれ?」
胸を押す重なった両手が串刺しになっている。
「なんじゃこりゃァあァァァ」
縦になった牡蠣が両手を貫通しているっ。
ワーバットを拘束する自分の尻尾にも牡蠣が刺さっている。
えぇぇぇ。
「たくさんの牡蠣になっちゃったな」
ワーバットは牡蠣となっていた。
頭から足まで牡蠣に。
牡蠣が人間のシルエットを作っている。
「……でも殺したことにはならないよね。牡蠣として立派に生きてるし」
ワーバットとしての意識があるかどうかまではわからないけれど。
まぁ、この世界ではよくあることだろう。
科学技術の発展したこの世界はある日を境にひどく不安定になったのだと聞く。
鼻はより良い匂いを求めて伸びて象となり、耳は自分も良い音を奏でようとギターになって、なんて目的意識がある変化なのかどうかは知らないけれど。
とにかくこの世界は今までの自然法則にあてはまらなくなってしまった。
わたしも昔は人間であったかもしれないし、牡蠣であったかもしれない。
つい先日わたしはこのヒガシマチニュータウンの片隅で目覚めたのだ。
以前の記憶はない。
しかしヒトのような言葉を理解しているのだからもとはヒトであったかも……。
いやスライムの脳構造がヒトのようになっているかもしれないし実際のところはわからないか。
むかしは意思を持つスライムなんていなかったと聞くし。
それはおいておいて道路いっぱいの牡蠣をどうしようか。
お手紙ちょ~だい