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やすらぎ

 しばらくしてメイデンが戻ってくる。


「おまたせ。コーヒーを買ってきたよ」

「ありがとう。コーヒー飲むの初めてだ!」


 エトピリカは早速コーヒーを口にする。


「うわっ、なんか苦い!」

「あれれ。甘いミルクコーヒーとかのほうが良かった?」


 メイデンは無糖のブラックコーヒーを買ってきたのだった。


「ううん。はじめての味だから驚いただけ。飲み物って苦いんだね!」


 飲み物全般が苦いわけではないだろうが、エトピリカの中では売られている飲み物は皆苦いものだと印象付けられた。


「パンに合いそうなものと言ったらコーヒーかなと思って」

「そうだ。パン。まだ温かいうちに食べないとね!」


 エトピリカは包み紙からパンを取り出す。まだフカフカで柔らかなパンを頬張る。


「お味はどう?」

「美味しい! こんな美味しいものは初めて食べた!」


 エトピリカは涙を流していた。


「パンでそこまで感動するなんて。いままで、お金は何に使っていたの?」


 メイデンは若干引き気味だった。


「貯めているよ。宇宙へ行くために、船を買う資金にするからさ」

「たまには、こういったものに使いのもいいでしょ。なにか美味しいものを買って帰ろうと提案して良かった!」

「ご飯は拾えるもので十分だと思っていた。温かい食事って、こんなに素晴らしいものなんだね」

「食事は大事だよ?」

「飢えさえしのげれば、それでいいものだと思ってた…」


 喰うや喰わずやの瀬戸際で生き抜いてきた孤児の少年にとって、腹さえ膨れれば何でも良かったのだ。残飯や廃棄食品だけで生き延びてきた。

 少年の衝撃体験を伴う食事はあっという間に終わった。買ってきたパンの数が少ないわけではない。だが、貪り喰らう飢狼を前には物の数ではなかった。


「ごちそうさまでした!」

「食べるのはやっ! 少し横になったら? ほら」


 メイデンは膝枕を促した。エトピリカはどうして良いかわからなかったが、メイデンにコロリンと横にされて、彼女の膝を枕に仰向けになった。



 再び、吹き抜ける風が公園を凪いでいく。



 静かな昼下がり。周りにも少なからず人はいるが、誰も二人を気にするものはいない。


「風が気持ちいい……」


 エトピリカは眠気に包まれた。お腹いっぱいまで食べるのも稀であったし、暖かい日差しと心地よい風がずっと張り詰めたままだった精神をリラックスさせたようだ。

 エトピリカは気がついたら眠っていた。


「おやすみ、エトピリカ」


 メイデンはエトピリカの髪を優しく撫でた。



 エトピリカは精神をだいぶすり減らしていたのだ。今後の生活がどうなるのかわからない不安と戦っていた。躍起になって仕事を探した。心は疲れ切っていた。

 今は微睡みの中。

 それは苦を苦と思うことすら出来なかった者に与えられた休息。

 過酷を生きる命。他の「誰か」に身を委ねて休む事もできなかった孤独。

 そんな苦難の渦中にあった少年はだいぶ救われていた。

 誰かという存在。

 生き物ではない寄り添う者は、寝息を立てる少年を静かに見守っていた。

 膝枕はメイデンの型式には標準でインストールされている機能に過ぎない。

 イベントモードのメイデンがここぞとばかりに動いただけだ。

 それが安らぎと平穏の一日を形作った。


 日がやや傾き始めた頃、少年は目を覚ます。


「あら、おはようエトピリカ」


 少年が目を開けた先にはメイデンの顔があった。


「僕、眠っていた?」


 エトピリカは起き上がった。


「うん。疲れていたんだよ。ここのところ張り詰めたままだったでしょ?」

「自分ではわからなかったよ……」


 無理をする者は大抵自覚がないままレッドラインを超えている。


「今日は十分休めた?」

「ありがとう。少し楽になったかな。そろそろ帰ろっか?」

「うん」


 その日は二人で手を繋いで帰り道を歩く。メイデンが積極的に手を繋ぎに行ったのもある。

 それは平穏な一日を締めくくる象徴のような光景だった。

 エトピリカ達が一息付けるようになって数日。ただ、緩やかに日々が過ぎ去っていった。


「今日はヒゲ爺のところに行ってみようかと思うんだ。そろそろ次のお仕事の話があるかもしれないし」


 エトピリカはおもむろにそう切り出した。


「もうしばらく遊んで暮らしたらいいんじゃない?」

「せっかくだから、お金は将来のために貯めておきたいんだ。それにさ、働いていないと何か落ち着かなくて」


 ここ最近のエトピリカは手持ち無沙汰だった。食料集めや廃棄品収集をするくらいで、あとは一日何もせずにいた。仕事が無いので仕方がないが、お金を使う習慣もないので何も出来ない。メイデンが話し相手にいなかったならば、エトピリカは何をしていたのだろうか。


「エトピリカはじっとしているのが苦手なんだね」

「メイデンはどうして平気なのさ?」

「私はほら、待機状態なら節電しているだけだから」


 アンドロイドなのだから、何もしないでいる事は苦でもないのだ。


「僕はなんか苦手だなぁ」

「エトピリカ、ワーカホリックかもよ。診断を受けてみたら?」

「医者は金がかかるから駄目。じゃ、行ってきます」

「はーい」


 エトピリカはボロ屋を飛び出した。今日のメイデンはお留守番だった。



 だがしかし、少年の想像を超えた出来事が待ち受けていた。順調かと思われた先行きに、全く懸念もしていなかった展開。

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