夢の代価
クレイディスとエルザの深い深いため息が、夜の街に消えてゆく。
結局、一文無しのエルザが飯屋で食い逃げをしたのは事実だったらしく、その分を稼ぐためにふたりの一日は手伝いで終わった。
「お前のせいでエラい目にあった」
「なんじゃ、お前さんの方はちぃとカネもろうとったじゃろ。働き口見つけたったんじゃから、感謝せぇ」
「まあ、一泊分のカネもらえたのは事実だけどよ」
街の通りには、等間隔に並べられた柱の角灯が石畳を淡く照らしている。
クレイディスたちが座りこむ飯屋の裏口にもひとつ角灯が設置されており、ふたりの疲れきった背に明かりが滲んだ。
「今朝言ってたの、あのサヴァンナって人なんだろ?」
「そうじゃ」
「なんかちょっと無口で恐かったなぁ、仕事はできる人みたいだけど」
「無口で悪かったね」
ふたりの背後にあった戸が開き、サヴァンナが顔をだす。
「サヴァンナさんっ!? いや別に、悪口とかそんなんじゃなくて!」
「いいよ、言われ慣れてる。それよりお疲れ様」
そう言って、サヴァンナがふたりに手渡したのはハムとレタスを挟んだだけの簡単なサンドウィッチ。しかし労働で疲れきったふたりの体には、この味が心地良く染み渡った。
「エルザだっけ、店に来た時に私を仲間にするとか言ってたっけ」
裏口からでてきたサヴァンナがクレイディスたちを長い脚で飛び越え、狭い石畳の道を挟んだ対面で壁に背を預ける。
「魔力の質は、すなわち才能じゃ。お前さんの才能を見込んで、儂の仲間にする!」
「通訳すると、エルザのギルドのメンバーになってくれって」
「通訳なんかいらんわアホ!」
ふたりの姿を見て、サヴァンナが今日はじめて笑った。
「あんたら、面白いね」
「答えは今すぐにじゃなくても──」
「見込んでくれるのはありがたいけど、その話には乗れない」
クレイディスの言葉を遮り、サヴァンナがキッパリと断る。
「イヤ、お前さんは儂の仲間にする! 事情なんか知らんわ!」
「お前はまた、誰にでも事情はあるんだよ。ガキみたいにワガママ言うなって」
「ガキちゃうわアホ!」
エルザのワガママは、昨日出会ったばかりのクレイディスすら呆れるほど。とはいえ、この頑固さと素直さに彼が折れたのもまた事実。
「妹がホーネッツってとこで冒険者やっててね、何かとカネかかるでしょ? だから私はこうして働いて妹の夢を支援してんの」
しかし、このサヴァンナも同様というワケにはいかなかった。
「ホーネッツって、オメテオでもかなり古株の有名ギルドじゃ……」
「まだまだ新入りで、今はウォーレン・ノリスって先輩の世話になってるけど……いつか立派な冒険者になるって目を輝かせながら言うんだよ」
その名を聞いた途端、クレイディスは一瞬だけ眉をひそめる。それもそのはず、『オメテオ・ホーネッツ』の冒険者『ウォーレン・ノリス』といえば、この辺の同業者で知らない者はいない。
冒険者の本業、未開拓の地の探索では大型魔獣を討伐したりと輝かしい実績がある男だし、別の国営ギルドからスカウトされたこともあるという凄腕だ。
そんな男の名にクレイディスが繭をひそめたのは、彼の良くない噂も耳にしたことがあるから。
「妹さん、頑張ってるんだ」
「妹も、あんたたちも、何かに熱中できるっていうのは羨ましいよ。私にはそういうのないから」
「だったら尚更、サヴァンナさんも妹さんと同じ冒険者に──」
「だけど、夢は夢でしょ? 富も名声も手にした冒険者、なんてのはほんのひと握り。夢を追うことを否定はしない、だけどそうやって頑張る姿を自分に重ねたら、恐ろしくなる」
角灯の火に淡く照らされて細長い指で黒髪をかきあげるサヴァンナの姿は、クレイディスの目には美しい絵画のように映った。
「努力が必ず報われる世界じゃないから、人は努力を諦める。今まで積み重ねたものが無駄になった時のことを考えると、足がすくんで動かなくなるのよ」
「なんじゃ、そんなんやりもせずにビビっとるだけじゃろ」
サヴァンナに異論を唱えたのは、エルザだった。
「そう言えるあんたには、夢を追う才能がある。残念だけど、私にそんな才能はない」
夢を追うというのは、常に絶望と背中合わせになる。努力が報われず、全てが無駄になった時、人は必ず絶望する。
夢を追える者は、大きく二種類。
背後にある絶望に気がつかない『バカ』か、背後にある絶望を恐れない『勇者』だ。
そのどちらでもなかったサヴァンナは、最後に「もう食い逃げなんてやめなよ」と言い残して店に戻っていった。