三人目の仲間
*
とある雨の日の夜、冒険者ギルド『オメテオ・ホーネッツ』がメンバーに提供するボロボロの貸家に、扉をノックする音が転がった。
はーい、と若い娘の声が家のなかから聞こえてくるとずぶ濡れのローブのフードをおろす女は嬉しそうに微笑む。
軋む音をたてて開いた扉の先でずぶ濡れの女を見ると、娘は目を丸くして驚き、すぐさま彼女を家のなかに引き入れた。
「もう、お姉ちゃん、なにもこんな雨の日にこなくたって」
「給料、今日だったから」
濡れて変色したローブを脱いで娘に渡すと、サヴァンナはまた小さく笑う。
「それは……」
サヴァンナが取りだした小袋から聞こえたジャラジャラという音。間違いなくカネが入っているそれを見るなり、娘は表情を曇らせた。
自身が働く大衆向けの飯屋の給料がでた夜、決まってサヴァンナはこの家を訪れる。
毎日毎日、朝から晩まで働いて手にしたカネのほとんどを小袋に入れて渡しに来るのだから、サヴァンナ自身の生活は稼いでいる額に比例しない。
「アイリン、あんたカネが必要なんでしょ。私は別に欲しいものとかないし、食べるものも賄いで十分だから、ほら」
部屋の中央で揺れる角灯の火に照らされ、サヴァンナが優しく微笑んだ。
「でも、これはお姉ちゃんのおカネでしょ。いつもこんなに貰って、私どうやって返したらいいか」
「私がいつ返せって言った? でもまあ、あんたにその気があるんなら出世払いってことで」
目つきが悪く、不愛想というのがサヴァンナをひと目見た者たちが抱く彼女への印象。しかし妹のアイリンは、彼女の笑顔を沢山知っているし、彼女が自分の身を削ってまで誰かに手を差し伸べられるほど優しいことを知っている。
だからこそ、アイリンにはその優しさが苦しかった。
「冒険者って稼げるんでしょ? それにあんたの入ったギルド、なんていったっけ」
「『オメテオ・ホーネッツ』……」
「そこって有名なとこなんだし、飯屋の人たちは入れるだけでも凄いって褒めてたよ」
部屋のテーブルに銅貨と銀貨を詰めた小袋を置くと、すぐにサヴァンナは踵を返す。
「待って、お姉ちゃん」
用事が終わればさっさと帰る。そんなサヴァンナの背中をアイリンが呼び止めた。
「お姉ちゃんは、冒険者にならないの?」
それは、アイリンが以前から抱いていた疑問。身を削って働き、アイリンの「立派な冒険者になりたい」という夢を陰ながらサポートしているサヴァンナだが、彼女自身の口から夢や願望なんていうものを聞いたことがないのだ。
「私はいいよ、興味ない」
アイリンが部屋の脇にかけた、まだびしょ濡れのローブを手に取るサヴァンナ。
「でも、お姉ちゃんならきっと凄い冒険者になれるよ。お父さんより、ずっと凄い冒険者に」
「あの人は私の目標じゃなくて、あんたの目標でしょ。私のこと心配する暇があったら、早く出世して良いトコに住ませてよ」
そう言い残して、サヴァンナは大雨の街へと姿を消した。
*
サヴァンナに叶えたい夢はない。数年後、自分がどうなっていたいという理想像もない。
彼女にとって大切なのは、自分でなく妹のアイリンだった。
アイリンの夢を支えるため、その日もサヴァンナは早起きして飯屋へ出向き、エプロンを腰に巻く。
「おはよう、サヴァンナ」
「おはようございます」
顔立ちは整っていて手足もすらっと長く、飯屋を訪れる男が魅入ってしまうほどの美人。しかし問題なのは、目つきと愛想の悪さだった。
飯屋で働く料理人もホールスタッフも、彼女とかわすのはほとんど挨拶くらいのもので、皆どこか近寄り難いサヴァンナの風貌に怯えている。
「今日はどっちに?」
サヴァンナが、飯屋の主人に問いかけた。
「ええっと、じゃあ、今日はホールに」
「分かりました」
主人まで彼女に怯えるのは、何も風貌だけの話ではない。サヴァンナは、客からの強引なナンパに暴力で応えたことも何度かある。
彼女が手をあげるのはあまりにも度を超えた迷惑な客だったため、その時は注意くらいで済ませているのだが、何しろこの飯屋は冒険者が多く通う場所だ。
屈強な冒険者相手に腕っぷしで分からせるサヴァンナには、とてもじゃないが逆らえない。
「いらっしゃいませ」
昼に近づくにつれて、飯屋は多くの客で賑わいはじめた。
手際よく注文を通し、できあがった料理は素早くテーブルに運ぶ。サヴァンナひとりが店にいるだけで、客の回転は非常に円滑になっていた。
逆同士の話す声が、幾重にも店のなかで響く。
刹那、
「たのもー!」
扉が勢いよく開き、話し声全てを吹き飛ばさんとする大声が飯屋を揺らした。
声の主は、一歩一歩力強い足どりで飯屋に入ってくる少女・エルザ。
星霊族というだけでも珍しく目立つというのに、エルザは他の星霊族と比べても異様なほどに小柄な体をしていて、非常に覚えやすい。
「そこの黒髪の女子、お前さんじゃ」
「私?」
テーブルに運ぶ皿を手にしたサヴァンナへ、エルザの短い指が向かう。
「そうじゃそうじゃ、お前さん儂の仲間になれ」
「話聞くから、そこで待ってなよ」
意外にもすんなり受け入れたサヴァンナ。
その姿があまりにも奇怪だったのだろう、エルザの後ろから恐る恐る飯屋に足を踏み入れたクレイディスが、目を丸くして驚いていた。
突然、知らない子どもが入ってきて「仲間になれ」なんて、普通は相手にしない。だからテーブルに料理を運んだ後、すたすたとエルザの方へ向かってくるサヴァンナはきっと普通ではないのだろう。
そんなことをクレイディスが思ったのも束の間、サヴァンナの手がエルザの頭を上から鷲掴みにした。
「あんた、一昨日ウチで食い逃げしたガキよね」
話を聞くつもりなど、サヴァンナには毛頭なかったらしい。