死神の甘い執着は私を殺す
古びた塔の最上階にある小さな部屋の窓から、わたくしは外を眺めてぼんやりと首筋を触って思い出す。
貴方と初めて出会った日のことを。
――そう。
あれはわたくしが十歳の頃、お母様に最期のご挨拶をした時だった――。
***
「姫様、アイビー姫様。さぁ、お母様に最期のご挨拶を」
「ええ」
侍女長に促されて、お母様が眠る棺の前に立ったわたくしは、そっとそのお顔を覗き込む。
お母様は美しく化粧が施され、白い死装束を纏ってはいるものの到底死者には見えず、まるでお人形が眠っているように見えた。
「お母様、とても綺麗だわ」
「長年ご病気に苦しまれておりましたが、最期は眠るように安らかだったそうです」
「そう」
その様子を思い浮かべたのか、侍女長が涙ぐんで話す。それにわたくしは頷いて白い百合の花を一輪、お母様の首元を見ないようにしながら、お顔の横にそっと入れた。
「お母様、どうか安らかに」
静かに呟いて、瞳を閉じる。
そして次に瞳を開いた時、不意に違和感を感じた。わたくし達しかいない筈のお母様の私室に、もう一人誰かが居るような違和感を。
そうしてサッと周囲に視線を走らせれば、やはり本来いる筈のない存在が、部屋の隅に立っていることに気がついた。少々躊躇ったが、思い切って声を掛けてみる。
「貴方はどなた? 何故お母様の私室にいらっしゃるの?」
それに訝しげな声を上げたのは、わたくしの後ろに控えていた侍女長だ。
「姫様? どなたのことをおっしゃっているのです? このお部屋には、姫様とわたし、そして王妃様以外は誰も居りません」
「あら? でもそちらに黒いフードで顔を隠した背の高い男性が立っていらっしゃるわ。――ねぇ貴方。貴方は誰なの?」
そう言ってわたくしは、黒いフードの男性に向かってゆっくりと近づいて行く。
「姫様!?」
母の死に、悲しみで幻覚でも見ているとでも思ったのだろうか? 侍女長がわたくしを静止しようとするが、構わず男性の元へと歩く。
だって幻覚な筈がないわ。確かこの目に見えているのだもの。
そうして男性の目の前でピタリと歩みを止めたわたくしは、彼を見上げて微笑んだ。すると先ほどまでは、微動だにしなかった男性の体が微かに揺れる。
「さぁ、教えてちょうだい。貴方はどなたなの?」
「……俺が見えるのか?」
発せられた声は少し高音な上に存外若々しくて、わたくしは目を見開く。
そしてなんとかそのフードに隠されたお顔を見ようと首を伸ばすが、目深に覆われたフードが影になって叶わない。
「ちょっと貴方、そのフードを外してくださいな。わたくしに貴方のお顔を見せて」
「何故?」
「貴方のお声がとても気に入ったの。お顔も見たくなったわ」
「…………」
わたくしの言葉に男性は黙り込む。しかしそれは拒絶というよりも、戸惑いの色を感じた。
「……はぁ。分かった」
そしてわたくしの熱心な眼差しに観念したのか、男性は溜め息を吐いた後、ゆっくりと黒いコートから両手を出してフードへと手を伸ばす。
その手は男性特有の節くれだったものではあるものの、白く滑らかで美しい。
そしてその手がフードに手を掛けて、そっと取り払われた時、わたくしはハッと息を呑んだ。
「まぁ……!」
現れたのは、まるで精巧な人形のように美しい白銀の髪の男性。その瞳は血のように赤く、長い同じく白銀の睫毛がびっしりと生えている。歳の頃は少年と言っても差し支えのない容姿だろうか。
その美しさは先ほど見たお母様のお姿をも凌駕しており、わたくしは見惚れるままに彼へと囁いた。
「貴方のお名前を教えて」
「俺に名前は無い。……ただ、死神と。そう呼ばれることはある」
その答えにわたくしは微笑む。
「そう、では貴方のことを〝死神さん〟と呼ぶわ。わたくしのことは……」
「金の髪に碧の瞳の王国至宝の美姫、アイビー王女だろ。それよりいいのか? 侍女長が血相変えて飛び出して行ったが」
彼の言葉に振り向けば、確かに侍女長が居なくなっている。彼女らしくなく扉が開け放たれたままになっており、余程慌てていたものと思われる。
「いいの。きっとお父様に報告しに行ったのだわ。わたくしが悲しみのあまり幻覚を見たのだって」
「実際俺の姿は普通、人間には見えない。つまりお前は幻覚を見ている状態と言える」
「違うわ」
そう言ってわたくしが彼の手を握れば、死神さんは驚いたように目を丸くした。
「こうしてわたくしと触れ合うことが出来るのですもの。貴方は決して幻覚などではないわ」
「お前は……」
死神さんが何事かを呟いて、わたくしの手をきゅっと握り返してくる。
そんな彼の仕草にドキリと鼓動が跳ねるのを感じながら、わたくしはにっこりと微笑んだ。
「これからよろしくね、死神さん」
これがわたくしと死神さんのはじまり。
そしてわたくしの初恋のはじまりでもあった――。
***
「姫様、お髪はどうでしょうか?」
「ありがとう、とても素敵な髪型で気に入ったわ」
「勿体無いお言葉です」
恐縮したように目を伏せた侍女の体は微かに震えている。それを鏡越しに伺い見て、わたくしは微笑んだ。
「お化粧も整ったし、もう下がっていいわ。疲れたでしょう? 休んでいなさい」
「はい」
わたくしの言葉に深く頭を下げた侍女の表情は、どこかホッとした様子だ。そしてそのまま静かな所作で、部屋を辞して行った。
「ふぅ……」
「随分と嫌われたものだな。これで何人目だ?」
「!」
侍女が去った扉を見つめて無意識に首筋を触っていると、背後から声が掛かった。振り返ればよく知った人物が立っていて、わたくしはホッと力を抜いて微笑む。
「五人目よ。それにしても何を他人事のように。嫌われているのは死神さん、貴方のせいでもあるのよ? わたくしは〝死神姫〟なのだと、城中の噂の的なのですもの」
「それは八年前、アイビーが侍女長の前で俺に話し掛けたのが切っ掛けだろう。完全に自業自得だ」
「あらそうだったかしら」
死神さんの言葉にそうわたくしは嘯いて、ゆっくりと座っていた化粧台から立ち上がる。
「今日は一段と着飾っているな。赤いドレスが金の髪に映えてよく似合っている」
そう言って彼は横に流した腰まであるわたくしの髪を一房手に取る。その優美な仕草にはどこか色香を感じて、知らずわたくしの胸が高鳴るのを感じた。
「……今日はあの方がお越しになるの。だから」
「隣国の王子。……アイビーの婚約者か」
その言葉に頷いて、そっと彼を見た。すると死神さんは、その秀麗な顔を苦虫を噛み潰したように歪めている。
もしかしてわたくしがこれから男性に会いに行くことに妬いてくれているのだろうか?
先ほどまで憂鬱だった気持ちが軽くなっていくような心地になった。
「ねぇ死神さん」
「ん?」
手に取った私の髪を弄びながら、わたくしの声に首を傾げたそんな死神さんの仕草は、どこか普段よりも幼く感じる。
「わたくしはもう十八歳になったわ。年を越せば、王子様の元へ嫁ぐことになっている」
「ああ」
そう頷いて、死神さんはわたくしをジッと見つめた。
「アイビー。初めて出会った時には幼かった少女が、もうすっかり大人の女性だ。元々美しかったが、今のお前の美しさの前には、どんな女も敵わないだろう」
「……貴方は変わらないわね。今も出会った頃のままだわ」
「俺は人間じゃないからな」
そう言って微かに笑みを作った死神さんの内心は分からない。けれど、わたくしの心を焦燥感で満たしたのは確かだった。
嫁ぎたくなどない。王子に会いたくもないのに。
今この瞬間も、死神さんが一言「行くな」と言ってくだされば、わたくしは――……。
***
「――ねぇ、聞いた? アイビー王女の婚約者」
「隣国からこちらへ向かう道中に落馬して……でしょ? やっぱり王女の噂って、本当なのよ」
「〝死神姫〟だっけ。王妃様とのお別れの際に、侍女長が王女と死神が会話するところを見たのよね。それから彼女付きの侍女達が相次いで突然死して、更には王子様もなんて……」
「ねぇ、王妃様も実は……なんてこと」
「えー、まさか……?」
王子が落馬して死んだ。
その一報は、ちょうどわたくしが王子様をお出迎えする為に私室を出た際にもたらされた。
そしてすぐさま謁見の間へ向かうよう、国王であるお父様からお言伝を賜ったので、わたくしはこうして玉座に座るお父様の前へと進み出ている。
「お父様……」
「アイビー……、其方は王妃の大切な忘れ形見。どのような噂が流れようとも、其方には幸せに嫁いで貰いたいと願っていた……」
まるで懺悔するかのように震える声を絞り出して語るお父様の表情は、苦悶に満ちている。きっと周囲の者達の責めから、わたくしを庇いきれなくなったのだろう。
わたくしは緩く首を振った。
「いいのです、お父様。わたくしが死神さんと会話が出来るのは事実。もちろんだからと言って、わたくしの周囲の人物が次々とお亡くなりになるのは偶然ですが。しかしそれはもう今更誰も信じないでしょう」
お父様のお力によって、今まで〝死神姫〟の噂は城内に留まっていた。しかし隣国の王子にこのような不幸があった以上、王国内ひいては隣国にまで噂が届くのは時間の問題だろう。
「許してくれ……。許してくれ、アイビー……」
その言葉を合図に、左右から出て来た兵士達に退出を促される。わたくしはそれに従い、最後にそっと玉座でガタガタと体を震わせるお父様を視界に収めて微笑んだ。
「ごめんなさい、お父様。十八年間育てて頂いたご恩は一生忘れません」
扉が完全に閉まるとお父様のすすり泣く声が聞こえ、わたくしはそっと自分の首筋に触れた。
***
「アイビー。こんな辺境の古びた塔に押し込められて、本当によかったのか?」
「あら、死神さんいらっしゃい」
塔の最上階にあるベッドしかない狭く粗末な部屋。
〝死神姫〟を放置することも出来ず、かと言って実の娘を手に掛けることも決断出来ない優しいお父様が下したのは、この部屋でわたくしを一生幽閉するということだった。
その部屋の窓からぼんやりと外を眺めていたわたくしは、死神さんの訪れにパッと顔を明るくした。
「ごめんなさい。飲食は決められた時間にしか兵士が持ってこないから、紅茶を貴方に出すことも出来ないの」
「いや、それは構わない。それよりもその髪は……」
驚いたようにして、死神さんがわたくしの髪に手を滑らせる。しかし肩までしかない髪では、すぐに死神さんの手は止まってしまう。
「ここでは以前のように好きにお風呂に入ることも出来ないから、切ってしまったの。ドレスも随分と簡素なものになってしまったし……。折角貴方が褒めてくれたのに、わたくし美しくなくなってしまったわね」
「――いいや」
自嘲気味に呟けば、死神さんに強い口調で否定される。それに驚いて彼の顔を見上げれば、思いがけず真剣な表情をしており、わたくしの鼓動が跳ねた。
「アイビーは美しい。昔も今も、それはどんな時でも変わらない。……ほら。今この瞬間も、とても美しい魂の色をしている」
「んっ……」
そう言って死神さんに首筋を舐められる。その表情はどこかいつもと違ってギラギラとしていて、わたくしの中でドロリとした愉悦が生まれるのを感じた。
突き動かされるまま、わたくしは手を伸ばしてゆっくりと彼の美しい白銀の髪を撫でる。
「魂の色がどんなものかはわたくしには分からないけど、貴方が望むのならお好きになさっていいのよ?」
髪を撫でる手にうっとりと目を細めながら、死神さんは緩く首を振った。
「俺は誰も彼も無作為に召し上げている訳じゃない。人間には死期が近づくと、首に黒い輪が現れる。俺はその輪が現れた人間しか召し上げない。例えばアイビーの母親や、侍女達。……そして、お前の婚約者であった隣国の王子」
「まぁ。ではその皆さんには、首に黒い輪が現れていたということなの? わたくしの周囲にばかり、偶然は重なるものなのね」
「それは本当に偶然なのか?」
「え?」
首を傾げたわたくしを、死神さんがピタリと見据える。
「アイビーの母親はともかく、侍女達はお前が指名していた。婚約者候補からあの王子を選んだのも、アイビーお前だ。なぁアイビー、お前は本当は彼らの死を分かっていたんじゃないのか?」
「……何故死神でもないわたくしが、彼らの死を知ることが出来たと思うの?」
「お前は俺の姿を見ることが出来る稀有な人間だ。だったら首に現れる黒い輪が見えても不思議じゃないと思ったんだが……違うか?」
「……違わないわ」
わたくしは死神さんににっこりと微笑む。
――そう。
わたくしは分かっていて、彼らを周囲に配置した。
黒い輪について気がついたのは本当に偶然だ。棺に収められたお母様の首元にくっきりとついた、その禍々しい痣。あまりに恐ろしく、その時のわたくしはお母様の首元を見ないようにしていたのを覚えている。
黒い輪のもつ意味を理解したのは、死神さんを見つけた後だった。
城内に他にも黒い輪を首につけた者達が居ることに気がついたわたくしは、最初はただの好奇心でその内の一人を私の侍女にした。
すると暫くして、その侍女は天に召されたのだ。その次も、そのまた次も。
それによって城内ではジワジワと〝死神姫〟の噂が広まっていったが、わたくしの婚約者選びには影響することはなかった。
婚約者候補の中からわたくしの気に入った相手を選ばせてくれたのは、優しいお父様の親心だろう。
だからわたくしは迷わず選んだのだ。
くっきりと首に黒い輪をつけた隣国の王子様を。
「――アイビー」
「何かしら?」
話し終えたわたくしを見て、死神さんが困惑したような顔をした。
「分からない。何故自ら〝死神姫〟と噂されるように仕向けた? お前は多くの人々に愛されていた。本来ならば、このような場所で死ぬべきでは――……」
その唇を塞ぐように、そっとわたくしの唇を重ねる。
「アイビー……」
唇を離して見つめ合えば、彼の血のように赤い瞳がさざ波のように揺れていた。
「誰に愛されていようと、何よりも貴方だけに愛されたかった。二人きり、貴方の腕の中で最期を迎えたかったの」
一国の姫としては勝手過ぎるその願いを叶える為に、わたくしは幼いあの日から行動してきた。
周囲から蔑んだ目で見られようと、恐怖で遠ざけられようと、貴方がいればそれでいい。
「愛しているわ、わたくしの死神さん。どうかわたくしを貴方の元に連れて行って」
「っ……、アイビー!」
掻き抱くようにして強い力で抱き寄せられる。その息も出来ないくらいの力強さに、わたくしはうっとりと彼の背に手を回す。
「俺だってずっと、ずっとアイビーだけを愛している……! けれどお前王女で、婚約者がいて、人間で……。諦めなければと、何度も何度も自分に言い聞かせてきたんだ……!」
激しく囁かれる愛の言葉に、わたくしの頬にスッと一筋の涙を流れる。
「何故諦めなければならないの? わたくしは初めて会ったあの時から、貴方のものですのに」
――そう。
あの時から既に囚われてしまっていたのだ。この、美しい死神に。
「アイビー、俺のアイビー……」
うわ言のように繰り返しわたくしの名を呼びながら、死神さんがわたくしの首筋に触れる。
それにわたくしは微笑んで、自らの黒い輪のついた首筋を死神さんに差し出す。
「愛しているわ、わたくしの――……」
そうして全てが真っ暗に染まった時、ようやくわたくし達は結ばれたのだ。
=死神の甘い執着は私を殺す・了=
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