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旦那様は魔王様!  作者: 狭山ひびき
ミリアムのドキドキ大作戦☆
9/82

スケスケは恥ずかしいのです!

 ミリーがもったいつけながら取り出したものを見た瞬間、沙良は口に含んでいた紅茶を吹き出してしまった。

 それは、午後のティータイムのときのことだ。

 ミリーが持ってきたアスヴィルお手製のショートケーキに舌鼓を打っていた沙良は、瞳をキラキラさせて「プレゼントがあるんですぅ」とミリーに差し出された箱の中身を見て、そこに入っていた、光沢のあるきれいな布に首を傾げた。

 薄紫色の、薄い布のように見える。

 フォークをおいて、口の中に残ったケーキを紅茶で胃に流し込みながら、沙良はその布をじっと見つめる。

 正直、布なのはわかったが、それ以外はよくわからなかった。


「むふふふふ!」


 ミリーは怪しげな笑い声をあげると、箱の中にきれいに畳んでおさめられている布を取り出した。


「じゃーん! 沙良様の新しい夜着ですよぉ」

「ぶっ!」


 ――こんなくだりで、沙良は紅茶を吹き出してしまったのである。



     ☆   ☆   ☆



 沙良はハンカチで口の周りをぬぐうと、ミリーが両手に持ってヒラヒラさせている夜着を指さして、わなわなと震えた。

 薄紫色のそれは、ミリーが動かすたび、蝶が羽ばたくように揺れている。


「そんなの服じゃありませんっ!」

「何言ってるんですか、ちゃんと服ですよぉ。ほら、袖も襟もあるでしょ?」


 沙良はぶんぶんと首を振った。


「袖と襟があっても、そんな、す、す、す――」

「スケスケ?」

「そう! そんなスケスケな服が服なはずありませんっ」


 沙良は全力で叫んだ。

 肺活量が乏しいので、叫んでもたいして大声にはならないのだが、それでも沙良にしては頑張った方だ。

 ぜーぜーと肩で息をしながら、ミリーがヒラヒラと揺らして見せつけてくる夜着を見て、いやいやと首を振り続ける。

 ミリーが持っている夜着は、持っているミリーの姿が透けて見えるほど薄い素材だ。レースカーテンよりも薄い。


「そんなの着たら、全部見えちゃいますっ!」

「だからいいんじゃないんですか」


 一生懸命訴えたのに、ミリーはあっけらかんと答えた。


「スケスケ。いい響きですよねぇ。わたし、チラ見せよりスケスケの方が好きなんですよぉ」


 意味がわからない。

 言葉が通じなさすぎて、沙良は泣きそうになった。

 ここできちんと拒否を示しておかないと、ミリーに強引にそのシースルーの夜着を着させられるのは目に見えている。

 誰が見るわけでもないとわかっているが、たとえ見る人がいなくとも、そんなほとんど裸に近いような姿にはなりたくない。むしろ裸の方がまだ恥ずかしくない気さえする。

 だが、ミリーに言葉で勝てる気がしなくて、沙良は「あうあう」と口を言葉なく開閉させた。

 そんな沙良に、ミリーはにっこりと満面の笑顔を浮かべて、一通の手紙を差し出した。


「はい、ミリアム様からですよぉ」


 ミリアムとはシヴァの妹である。

 沙良がこの世界に来た夜、一度会ったきり顔を合わせていなかったが、そのミリアムからなんの手紙だろう?

 沙良は薄いピンクの可愛らしい封筒を開き、同じ色の二つ折りの便せんを広げた。

 沙良ちゃんへ、ときれいな文字で手紙ははじまった。



『沙良ちゃんへ

 わたしからのプレゼント

 気に入ってくれたかしら?

 ピンクと紫で悩んだんだけど

 うちの旦那が紫って言うから紫にしてみたの。

 是非、着てみてほしいわぁ。

 透け感も申し分ないし

 体のラインもきれいに見せてくれそうなのを選んでみたのよ。

 これでうちの朴念仁なお兄様もイチコロね!

 また感想聞かせてちょうだいね。

 愛をこめて       ミリアム』



 沙良はたっぷり数十秒は沈黙した。

 手紙を持って硬直する沙良の前で、ミリーは相変わらず夜着をひらひらさせている。


「ほらぁ、可愛いですよぉ、沙良様ぁ」


 沙良は、油をさし忘れた古びたブリキ人形のように、ぎこちなく首を動かした。

 確かに、可愛いか可愛くないかで答えろと言われれば、可愛いと答える。

 だが、それは自分が身につけないという前提あっての話だ。

 おそらく、ミリアムのように神がかったスタイルの持ち主の女性であれば、このスケスケな夜着でさえ、きっと芸術作品のように着こなせるのだろう。

 だが、沙良は、どちらが前かうしろわからないようなペタンコな体型だ。しかも細いせいでシヴァの言葉を借りるなら「貧相」である。

 似合うはずがない。

 もちろん、たとえスタイルがよかったとしても、沙良は絶対着たくないが。

 沙良は手紙を丁寧に折りたたんで封筒に戻すと、言葉で勝てないなら沈黙で勝てとばかりに黙り込んだ。

 ミリーがヒラヒラさせている夜着を見ないよう視線をそらす。


「沙良様ぁ?」


 ミリーが顔を覗き込むが、沙良はぎゅっと目をつむって拒絶した。

 ミリーのことは大好きだが、それとこれとは話が別なのだ。

 そうして沙良は断固として拒絶を示したのだが、ミリーがおとなしくなるまで目を閉じていたため、気がつかなかった。

 にんまり、とミリーが人の悪い笑みを浮かべていたことに――



     ☆   ☆   ☆



 ――夜。


 シヴァはソファに腰掛けて「渋々」本を読んでいた。

 今朝、突然やってきたアスヴィルに、延々と愚痴を聞かされた挙句、無理やり手渡された本だった。


 ――少しは女心を学んでください!


 女心とは無縁そうな(いか)つい顔をしたアスヴィルに女心が何たるかを語られ、手渡された本は恋愛小説だった。

 ミリアムの本棚から持ってきたらしい。

 どう考えても嫌がらせである。

 アスヴィルは、ミリアムとイチャイチャできなかったことが、よほど腹立たしかったようだ。

 だが、シヴァに恋愛小説は、無理がありすぎた。

 最初の三ページで嫌になったシヴァは、ぽいっと本を放り投げると、ソファにごろんと横になった。

 沙良と仲良くしろと言われたが、どう仲良くしろというのだ。

 実のところ、沙良をこちらの世界に連れてきてから、シヴァは沙良と数えるほどしか会っていなかった。

 数日に一度、アスヴィルから菓子作りを学んでいる沙良が、作った菓子を持ってシヴァの部屋を訪れることが、ここ最近の唯一の接点である。

 菓子を持ってきた沙良は、シヴァの部屋で茶を飲んで、二言三言のささやかな会話をし、去っていく。

 ミリアムやアスヴィルは不満のようだが、シヴァはそれで十分だと思っていた。

 沙良は子供だ。

 嫁として連れてきたことは間違いないが、だからと言って沙良に「嫁」であることを求めてはいない。

 はあ、とシヴァはため息を落とした。


 ――そのとき。


 ポンッ


 ワインのコルクが抜けるような音がした。

 なんだ、と億劫そうに起き上がって、部屋の中に視線を走らせ――シヴァはぎょっと目を剥いた。

 窓際に沙良が立っていた。

 その顔は、ほとんど放心状態のように茫然としている。

 それだけならまだいい。

 沙良は、服として機能しているのかもどうか怪しいシースルーの夜着を着ていて――


「ぴ、ぴきゃああああああああ!」


 一瞬後、シヴァの部屋に沙良の絶叫がこだました。



     ☆   ☆   ☆



 ――時刻は、一時間ほど前に遡る。


 夕食後、ミリーが煎れてくれたハーブティーを飲んだあと、沙良は夜着に着替えとようして首を傾げた。

 いつも着ている、薄ピンクの夜着が、ない。


(あれ?)


 くるぶしまである、ふんわりした素材のその夜着は、いつもベッドの上に畳んでおいている。

 たぶん、お昼すぎまではベッドの上にあったはずだ。

 沙良は念のためベッドの周りに落ちていないかどうか探して、そこにないとわかると、クローゼットを開けた。

 クローゼットの中は、お姫様が着るような豪華なドレスがたくさんかかっている。

 ミリーが揃えたものだが、日に日に増えていくような気がして、最近、沙良はひそかに怖くなっていた。いつかクローゼットに収まりきらなくなるのではないだろうか。

 その、レースたっぷりのかさばるドレスの間もくまなく探し、沙良は困ったように眉尻を下げた。


「ない……」


 夜着がない。

 沙良は自分の格好を見下ろした。

 ミリーによって着せられた、ヒラヒラ、ふわふわしたドレス姿である。こんな格好で眠れるはずがない。

 途方に暮れていると、コンコンと軽やかなノックのあと、部屋の扉からミリーが顔をのぞかせた。


「沙良様ぁ、そろそろ着替えますよね?」


 最近、この無駄に布面積の広いドレスの脱ぎ方を覚えた沙良だが、ミリーはこうして、よく着替えを手伝いに来てくれる。

 沙良はミリーを見て、困った顔で訴えた。


「それが、パジャマがないんです……」


 ミリーはにっこり微笑んだ。


「ああ、あの夜着は、洗濯に出してますよぉ」

「え?」


 いつの間に洗濯に出したのだろうか。

 洗濯するにしても、いつもはかわりの夜着がベッドの上においてあるのだが。


「あの、ミリー。それじゃあ、かわりのパジャマは……?」

「ああ、ちゃんと持ってきましたよぉ。大丈夫です」


 沙良はホッとした。

 ありがとう、とミリーが持ってきたかわりの夜着を受け取ろうとして、沙良は、ピシィ、と凍りついた。


「はいどうぞー」


 にんまり、と笑ってミリーが差し出したのは、例によって、あのスケスケのミリアムからのプレゼントの夜着だったのだ。


「さ、着替えましょ」

「いやですー!」


 打てば響くように即答して、沙良は慌てて部屋の隅に逃げた。


「えー? でも沙良様、その格好で眠るんですか? それとも裸で?」

「う……。ミリー、それ以外に、かわりのものってないんですか……?」

「かわりの夜着はこれしかないんですよぉ」


 そんなはずはない。

 沙良は知っていた。沙良用の夜着は、ちゃんと何着も用意があるのだ。

 沙良は半泣きでミリーをちょっと睨んだ。


「嘘です。ちゃんとあるの知ってます」

「いつもはありますけどぉ、今日はこれしかないんですぅ」


 わざとだ。沙良は確信した。

 ミリーは意地でもそのスケスケの夜着を着せたいらしい。

 沙良は部屋の壁に張り付いて、ささやかな抵抗を試みた。

 ミリーは沙良のベッドの上に座ると、ひらっと夜着を広げておいた。


「沙良様が、どうしても裸で寝たいって言うなら、わたしは別にいいんですけどぉ。でも、風邪ひいちゃうと大変だし、できれば着てほしいなって思うんですよねぇ」


 そんな薄っぺらい夜着が、どれほど暖を取るのに役立つのかはわからないが、裸、と言われて沙良はごくっと唾を飲み下した。

 裸は嫌だ。

 だけど、そのシースルーの夜着も嫌だ。

 せめてガウンか何かがあればいいのに、と部屋の中に視線を彷徨わせるが、それらしいものはどこにもなかった。


「ほらぁ、沙良様、ベッドに入ってしまったら一緒ですよぉ。別に、これを着て城を歩き回るわけじゃないんですからぁ。それにこれ、着心地はすっごくいいはずですよぉ?」


 さあさあ、と促されて、沙良はじっとその夜着を凝視する。

 薄い。

 すごく薄い。

 ベッドの布団の小さな花の柄が透けるほど、薄い。

 だが、ミリーの言う通り、ベッドに入ってしまえば大丈夫だろう。

 恥ずかしいのは、着替えている間だけだ。すぐにベッドにもぐりこめばいいのだ。

 このままミリーと押し問答していてもらちが明かないのは沙良もわかっている。

 沙良は嘆息して覚悟を決めた。


「わかりました、それに着替えます……。でも! 明日はちゃんと、いつものパジャマを用意してくださいね?」

「はいはい、わかってますよぉ」


 沙良が諦めてくれてご満悦のミリーは、うんうん、と何度もうなずいて沙良のドレスを脱がしにかかった。

 手慣れたもので、脇のところで編み込むようにクロスされている紐も、するすると外していく。

 そうして沙良を下着姿に剥くと、ミリーは薄紫色のシースルーの夜着を沙良の頭からかぶせた。

 ばっちり下着が透けるその夜着は、沙良のほっそりした体のラインに沿うように流れて、膝が隠れるくらいまでを覆った。

 沙良は顔を真っ赤にした。

 想像以上に恥ずかしい。

 自分の体を隠すように腕を交差し、背を丸めて、「それじゃあ、おやすみなさい」と慌ててベッドに入ろうとした沙良の手首を、ミリーがやんわりつかんで押しとどめた。

 ミリーの満面の笑顔が――怖い。


「せっかくだからぁ……」


 ミリーがぎゅうっと沙良の手を握りしめて、言った。


「シヴァ様に、見てもらってきてください!!」


 ポンッ


 ――こうして、沙良はミリーによってシヴァの部屋まで魔法で飛ばされてしまったのだった。



     ☆   ☆   ☆



「いやああああああ!!」


 シヴァの目の前で、沙良は絶叫しながら部屋の中をパタパタと走り回った。

 よほど混乱していると見える。

 だが、さすがのシヴァも突然現れたシースルーの夜着姿の沙良に軽く混乱していた。

 なにがどうなって、沙良がここにこんな姿で現れたのかが、さっぱりわからない。

 沙良は叫びながら部屋の中を走り回り、ベッドを発見すると、隠れるところを見つけたとばかりにその中に入り込んだ。

 頭から布団をかぶり、まるで雪だるまのように丸くなって、咲良はぷるぷると子ウサギのごとく震えている。

 シヴァはその様子をしばらく無言で眺めていたが、ふと、朝にアスヴィルが言っていたことを思いだした。

 アスヴィルは、ミリアムが沙良の夜着を選んだと言っていた。


(なるほど、これか……)


 シヴァは頭痛を覚えた。

 ミリアムの選んだ夜着を着せられた沙良が、そのまま悪戯でこの部屋まで飛ばされた――、おおよそ、こんなところだろう。

 シヴァは沙良を怖がらせないようにゆっくりとベッドに近づくと、その淵に腰を下ろして、こんもりと盛り上がった布団をポンポンと叩いた。


「沙良」

「ぴっ」


 沙良は変な声を上げて、頭のてっぺんまで布団を引き上げ、ほんの少し覗いていたつむじさえも覆いつくした。完全に布団の塊と化し、どこからも沙良の姿は拝めない。

 シヴァは根気よく待ってみたが、いっこうに沙良が布団から頭を出さないと知ると、ため息を吐いてもう一度声をかけた。


「沙良、いつまでもそうしていないで顔くらい出したらどうだ」


 ややあって、ごそごそと布団が動いた。

 目の部分だけがひょこっと布団から覗いて、シヴァは苦笑する。涙目だ。

 シヴァは少し考える。

 沙良を、もう一度彼女の自室へ送り返してやってもいい。

 そうした方が、沙良も落ち着いて休めるだろう。――だが。


 ――頼むから、もっと沙良と仲良くしてください。


 アスヴィルの言葉を思い出す。

 このまま、まんまとミリアムの策にはまるのは面白くないが、もしこのまま沙良を彼女の自室まで返してしまったら、アスヴィルのことだ、また次の日も訳のわからない嘆願書をもって「俺のために沙良と仲良くしてください」と自分勝手な言い分を並べに来るだろう。

 それはそれで、面倒くさい。

 シヴァは自分の都合と沙良の都合を天秤にかけ、あっさり自分の都合を取った。

 無言で沙良から布団をはぎ取ると、


「きゃああああああっ」


 と叫んで逃げようとする沙良を捕まえて、ベッドに横たえると、素早く隣に横になり、布団をかぶった。

 とりあえず布団で体が隠れたことで叫ぶのをやめた沙良だが、今度はシヴァと同じ布団に入っているという状況に硬直する。

 シヴァは沙良が逃げられないよう、腕の中に抱き込んだ。


「寝ろ」


 短く告げると、沙良の肩がビクンと跳ねる。

 魔法で部屋の中の灯りをすべて消すと、部屋を照らすものは窓から入り込む星明りだけとなる。

 腕の中で、沙良が少しだけ動いた。

 恐る恐ると言うように頭を上げて、上目遣いにシヴァの顔を見る。

 部屋が薄暗いのでしっかり見えないのか、いつもはあまり直視してこないのに、やけにじっと見つめられた。


「あ、あのぅ……」


 なぜこんなことになっているのか、と言いたそうだ。


「恨むなら、ミリアムとアスヴィルを恨め」


 沙良は首をひねった。

 だが、シヴァはそれ以上の説明を放棄して、ゆっくり目を閉じる。

 やがて、シヴァの規則正しい寝息が聞こえはじめたが、シヴァの腕に抱き込まれた沙良は、極度の緊張と混乱で、夜遅くまで眠りにつくことができなかったのだった。

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