あなたが好き 2
お気に入り登録、評価などありがとうございます!
部屋から出て、また廊下を進んでいると、今度は左側にある扉の奥から声が聞こえた。
部屋に入ると、十二、三歳ほどに成長した沙良が、ソファに座っていた。
窓には外側から板が打ち付けられている。
部屋は広いが冷たい感じがして、ソファに座る沙良の目の前には、イチゴのショートケーキがおいてあった。
「……また、ひとりの誕生日か」
沙良がぽつんとつぶやく。
「小林さんが気をつかってくれて、ケーキをくれるだけましなのかな」
沙良はフォークの先で入イチゴをつつく。食べる気配はない。
やがて、沙良はフォークをおいて、ソファに仰向けに寝転がった。
天井を見つめた目に涙が盛り上がり、目尻からこぼれて落ちていく。
「……いらないなら、どうしてわたしを産んだの?」
シヴァは沙良のそばに近寄って、触れることができない涙に手を伸ばす。
抱きしめたいのに抱きしめられず、シヴァは触れられないとわかっていても手を伸ばすことしかできない。
「……すまない。俺のせいだな」
聞こえているはずはない。それでもシヴァは言わずにはいられなかった。
沙良が生まれる前――、事故にあった沙良の母親を助けたから。生まれる前の沙良の魂に興味を持ってしまったから、こうして沙良を苦しめることになった。
沙良を迎えに行く十七歳の誕生日の朝まで、何もしなかったからこういうことになった。
魔族にとって十七年はあっという間で――、全く気にもしていなかったのだ。
適齢になったら迎えに行く。それまで無視し続けたシヴァが、悪い。
もっと早くに――、沙良が生まれてすぐにでも攫ってきていれば、違ったのだろうか。
幼いころに攫って、彼女が幸せだと思えたかどうかはわからないが、少なくとも、一人ぼっちだと泣かせることはなかったかもしれない。
「わたしなんて、産まれてこなければよかったのに……」
頼むからそんなことは言わないでくれ――
衝動的に、シヴァは沙良を抱きしめようとして、腕がすり抜けた瞬間、部屋は無人にかわっていた。
☆
次も、その次も――
扉を開けるたび、シヴァは沙良の涙に出会う。
そのたびにシヴァは沙良が抱きしめたくなって、手がすり抜けて歯噛みした。
奥に続く廊下も、どのくらい進んだのかはわからない。
シヴァに会う前のたくさんの沙良は、一人ぼっちがつらいと泣いていた。
そのたびにシヴァは、沙良を産んだ両親を呪い殺したい気分になり――、そして、そういう環境を作った原因の自分をそれ以上に呪った。
廊下をひたすら歩く。
歩いて歩いて――、とにかく進んだ。
やがて、廊下の突き当りが見えて、目の前に大きな扉があらわれる。
何の声も聞こえない。
シヴァはしばしば逡巡し、これより先に進むとべきところがないので、ゆっくりと扉を押し――、息を呑んだ。
部屋の中にはたくさんの沙良がいた。
十七歳の姿の、シヴァがよく知る沙良の姿だ。
その沙良が、何十人も部屋の中に立っている。
シヴァは立ち尽くして、何十人もの沙良を見つめた。
「……沙良?」
声をかけると、沙良たちはいっせいにシヴァを見て微笑みかける。
口々に「シヴァ様!」と呼ばれて、シヴァは眩暈を覚えた。
沙良が記憶を失ってから久しく見ていない沙良の笑顔。しかし、ここにいる沙良のどれが本物なのか――はたまた、すべてが本物なのか、シヴァには判断つかなかった。
今まで開けた部屋とはあまりに違う光景に、シヴァはどうしていいのかわからない。
今までの部屋の中の沙良は泣いて――、そこまで考えて、シヴァはハッとした。
泣いていたのだ。今までの部屋にいる沙良は、全員泣いていた。
涙を止めたくて、それでも止めてあげることができなくて、何度も悔しい思いをしながら進んできた。
シヴァはたくさんの沙良たちの間を歩いていく。
沙良たちは楽しそうに笑って、シヴァの名前を呼んでくる。
でも、――違うのだ。
シヴァは何人もの沙良の間をすり抜けて、そして――
「見つけた」
たくさんの沙良の影で、部屋の隅で膝を抱えて、泣いている沙良を見つけた。
沙良のそばに膝を折ると、沙良はゆっくりと顔をあげる。
今までの部屋にいた沙良たちと違い、彼女はシヴァの目を見た。
「こんなところにいたのか」
シヴァは沙良のそばに膝を追って、彼女の頬に手を伸ばす。今まで触れることすら叶わなかった沙良たちと違い、彼女の頬に触れることができた。
頬を伝っていく涙をぬぐって、目尻を撫でる。
沙良は、ひくっとしゃくりあげて、「ごめんなさい」と言った。
「ごめんなさい……、忘れちゃって、ごめんなさい、シヴァ様……」
沙良はそう言ってまた泣きだす。
シヴァは沙良を引き寄せて腕の中に抱きしめた。
抱きしめた瞬間、沙良がびくっと肩を揺らして、それからゆっくりと体の力を抜く。
「俺は怒っていない。……俺の方こそ、迎えに来るのが遅くなって、悪かった」
沙良はひーんと泣きながらシヴァにしがみついてくる。
シヴァは沙良の背中を撫で、目尻に唇を寄せて涙を掬い取る。
「帰ろう、沙良。……もう一人にしないから、俺と一緒に帰ろう」
耳元でささやけば、沙良はなおも泣いてシヴァにしがみついた。
いつの間にか、周りにたくさんいた沙良たちは消えて、部屋もすべて消えていた。
扉をくぐる前の、無数の白い粒が浮かぶ闇の中に戻っている。
ふと、沙良の体が淡く光ったことに気がついて瞠目したシヴァの目の前で、沙良の姿が幼子にかわった。
それは、廊下を歩き、一番はじめの部屋で出会った、五歳ほどの沙良の姿だった。
「……沙良?」
シヴァが驚いてこれをかければ、幼い沙良はシヴァを見上げてニコリと笑った。
「あのね、さらは、シヴァさまがむかえにきてくれたから、さみしくないよ」
そう言って、幼い沙良は背伸びして、シヴァの頬にちゅっと口づけた。
☆
シヴァはゆっくりと目を開けた。
「お兄様?」
ミリアムの声がして首を巡らせれば、彼女は座っていたソファから腰を浮かせた。
部屋の中にはミリアム以外誰もいない。
「……どのくらい、時間がたった?」
「丸一日よ。それで、お兄様が目を覚ましたってことは……」
ミリアムの視線が、ベッドに横になっている沙良へと向く。彼女の瞼はまだ上がっていなかった。
「沙良?」
シヴァは沙良の頬に触れて、静かに声をかける。
すると、沙良の睫毛がピクリと揺れて、のろのろと瞼が持ち上がった。
「沙良ちゃん!」
ミリアムがベッドに駆け寄って、目を開いた沙良に飛びつくようにして抱きしめる。
沙良はミリアムに抱きつかれたまま、少し不安そうな表情を浮かべているシヴァの顔を見上げた。
しばらく何も言わずにじっとシヴァの顔を見つめて――、その顔が、くしゃりと泣き笑いのような表情になる。
「シヴァ様……、わたし……」
沙良の瞳に怯えた色がないのを確かめて、シヴァはほっと胸を撫でおろした。
こういうとき、何と言えばいいのかはわからない。
だが、なんとなく、この言葉が正しいような気がした。
「――おかえり、沙良」
沙良はぽろりと涙を一つこぼして、笑った。
「ただいま、シヴァ様」