後悔 5
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沙良は窓外をぼーっと見つめていた。
視線の先には中庭をのんびり歩いているシヴァの姿がある。
ミリアムが、シヴァは考え事をするときに、たまに庭を散歩することがあると教えてくれたが、今もそうなのだろうか?
(シヴァ様、怖いのに……)
シヴァは怖い。近くにいると身がすくんでしまうほど怖い。それなのに、最近気づけばシヴァの姿を探していた。
今だって、たまたま外を見ていた時にシヴァの姿を見つけ、目が離せなくなったのだ。
「沙良ちゃん」
シヴァがゆっくり庭を横切って、灌木で作られた迷路の中に入って行く。慣れているのか、複雑に入り組んだ迷路なのに、シヴァは迷うことなく中央の四阿の方に向かって行った。
「ねえ、沙良ちゃん」
「ひゃあ!」
耳の近くで話しかけられて、沙良はびっくりして飛び上がった。
振り返れば、苦笑を浮かべたセリウスの姿がある。彼と会うのは数日ぶりだった。
「やっと気づいた。どうしたの? ぼーっとして……」
セリウスがひょいっと窓の外に視線を向ける。そこにシヴァの姿を発見して、少し寂しそうな表情を浮かべた。
ミリアムは今朝「ちょっとお母様に文句を言いに行くわ!」と意味不明なことを言って出かけており、リザもミリアムについて行ったので、セリウスが来るまで部屋の中には沙良一人だった。
「兄上を見ていたの?」
「えっと……」
沙良はなんとなく気まずくなって視線を彷徨わせる。
セリウスは沙良を背後からふんわり抱きしめると、重ねて訊いた。
「兄上が気になる?」
気になる。だが、そう答えてはいけないような気がして、沙良は口を閉ざした。
セリウスに抱きしめられたまま庭に視線を落としていれば、ふとシヴァがこちらを振り返る。
(あ……)
シヴァと目があって、沙良はきゅっと心臓が締め付けられたように苦しくなるのを感じた。そして、セリウスに抱きしめられているところを見られたことに、言いようのない焦りを覚える。
セリウスもシヴァの視線に気がついているはずなのに、沙良を開放してはくれない。
「沙良ちゃん、俺のこと好き?」
唐突にセリウスが訊ねて、沙良は息を呑んだ。
肩越しに振り向けば、いつもニコニコ笑っているセリウスは真面目な顔をしていて、冗談で訊いたのではないとわかる。
「す―――」
好きだ答えようとして、沙良は言葉に詰まった。
セリウスは好きだ。好きなはずだ。好きなはずなのに、好きと言えない。
困った顔をして、一生懸命好きと言おうとしてなかなか言えない沙良の姿に、セリウスは瞑目して天井を仰いだ。
天井に向けてはあ、と息を吐きだし、泣きそうな表情を浮かべる。
「記憶さえ消してしまえば、手に入ると思っていたのに……」
セリウスは壊れ物を扱うような手つきで、沙良の頭をそっと撫でた。
☆
セリウスは今まで、ほしいものは何が何でも手に入れてきた。
それがどんなものであろうとも、どんな手段を使おうとも、本当に欲しいと思ったものは決して誰にも譲らなかったし、誰かのものであっても遠慮なんて一切しなかった。
そして、今回もそうだった。
沙良がほしかった。
人に全く興味のなかった兄が溺愛している、お人形のような少女。
最初はただの興味だったのに、気がつけば奪ってしまいたくなるほど好きだった。
だから、奪ったのだ。
沙良は、所詮数か月前に魔界に来た少女なのだ。こんなわずかの間に気づいたシヴァとの絆なんて脆いものだと思っていたし、記憶を操作してしまえば簡単に奪えると思った。
実際沙良はシヴァを怖がったし、セリウスに縋りついてきた。それなのに―――
(どうして、兄上を気にする……?)
怖いくせに。怖い記憶を植え付けているのに。それでも震えながら、沙良はシヴァの姿を追う。なぜ?
―――セリウスくん、男なら欲しいものは正々堂々奪いに行かなきゃだめだよ。
―――沙良様がほしいなら、どうして正々堂々好きだと言わないんですか?
二人の言葉が頭を離れない。
正々堂々? そんな言葉、セリウスの辞書には存在しない。ほしいものはどんな手段を使ってでも手に入れるだけ。それなのに、セリウスは生まれてはじめて後悔に似た感情を持て余している。
(……馬鹿馬鹿しい。この俺が、後悔なんてするはずがないだろう)
セリウスはもやもやしながら沙良の部屋を訪れた。
ちょうどその時、沙良は窓の外を眺めていて、呼びかけても気がつかない様子だったので、セリウスは沙良のそばまで歩いていく。
さすがに耳元で呼びかければ気づいたらしく「ひゃあ!」と小さな悲鳴を上げて沙良が振り返った。
「やっと気づいた。どうしたの? ぼーっとして……」
そして、セリウスは沙良がシヴァを見つめていたことに気づく。
(どうして……)
セリウスの胸が苦しくなる。こんな気持ち、はじめてだった。
悔しい、悲しい、苦しい―――、つらい。
「兄上が気になる?」
その問いに、沙良は答えない。
その沈黙が、逆に雄弁に語っているような気がして、セリウスは泣きそうになる。
「沙良ちゃん、俺のこと好き?」
気づけば、訊ねていた。
もしここで、沙良が「好き」と返してくれたら、まだ望みはあると思った。沙良には可哀そうだが、このまま時間をかけて沙良の気持ちを自分に向けることができる気がした。
でも―――、沙良は「好き」を返してくれなかった。
(……かっこわる……)
セリウスは天井を仰ぐ。悔しくて、悲しくて泣きたいと感じることが、まさか自分にあるなんて思いもしなかった。
無茶をして、強引に奪った結果、―――結局、強引に手に入れたいとまで願った子を悲しませることしかできなかった。
「記憶さえ消してしまえば、手に入ると思っていたのに……」
何一つ、手に入りやしなかった。
セリウスは生まれてはじめての後悔にさいなまれながら、沙良の頭をそっと撫でた。