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旦那様は魔王様!  作者: 狭山ひびき
旦那様は魔王様
65/82

違和感 1

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 奇天烈な外観の邸の中にしては、意外なほどまともだった。

 アンティーク調の家具に囲まれたリビングに通され、紅茶を飲みながら、にこにこと嬉しそうに微笑んでいる父の顔を見上げる。


「君がここに来るのははじめてだねぇ。噂で聞いたけど、お嫁さんをもらったんだって?」


 連れてきてないの? とわくわくしたまなざしで見つめられて、シヴァはどうしたものかと考える。

 シヴァは、父、ルードヴィッヒが少し苦手だった。

 嫌いなのではない。だが、苦手なのだ。この人は、いつもにこにこしていて、考えていることが読めないのだ。幼少期を思い返しても、怒られた記憶はほとんどないのだが、どうしてか子供のころはこの笑顔に威圧感を感じたものだ。


「沙良は……、連れてきていませんが」

「そうなの。残念。沙良ちゃんって言うんだね」

「ええ……」


 会話が続かない。

 やはりステファに手紙を託すのが最善だったと足元を見下ろせば、シヴァの足元に寝そべったステファはくうくうと幸せそうに眠っていた。


「ステファも君が来て嬉しいみたいだね」

「はあ」

「それで……」


 ルードヴィッヒは膝の上で指を組むと、笑顔のまま小さく首を傾げる。


「何の用だろう?」


 君がわざわざ来たのだから、よほどの用事なのだろう、と訊ねられて、シヴァは黙って持ってきていた本を差し出した。

 ルードヴィッヒは本を受け取ると、目を丸くした。


「古代魔法の本じゃないか。君がこんなものを読むなんて珍しいね。興味ないのに」

「事情がありまして」

「事情って?」


 パラパラと本をめくりながら、ルードヴィッヒが訊ねる。

 ルードヴィッヒは古代魔法に精通しているのだ。どうやらその本も目を通したことがあるらしく、読みながら「そう言えば流星群の日だったねぇ」とつぶやいている。

 シヴァは紅茶を飲み干すと、父親を見上げた。


「セリウスが……、沙良に古代魔法をかけました」

「は?」


 ルードヴィッヒが驚いたように顔をあげた。


「セリウスくんが、なんだって?」

「ですから、沙良に古代魔法を……」

「この本に書かれた魔法かい?」

「……本人は、そうだと」


 ルードヴィッヒは本を閉ざして笑顔を消した。


「その……、沙良ちゃんは、セリウスくんの恨みでも買ったのかな?」

「え?」

「だから……、新婚早々、かわいそうだけど、こんなものを持ち出すほどセリウスくんを怒らせてしまったなんて……」

「ま、待ってください」


 シヴァは慌てて父の言葉を遮った。


「その本、何の魔法が書かれているんですか?」


 星と記憶に関する本ということはわかるが、すべてを読み終えたわけではないシヴァには、父の言わんとすることがわからない。

 ルードヴィッヒはキョトンとして、


「え? だから、沙良ちゃんは記憶を消されて廃人になってしまったんでしょう? この本は古代の処刑法に関する本だよ。星を使って記憶を―――生まれてから現在までのすべての記憶を消す魔法が載ってるんだが……あれ、違うの?」

「違います!」


 そんなに恐ろしい内容が書かれていたのか。

 シヴァは額を抑えてため息を吐く。


「……逆です。沙良はセリウスに気に入られてしまったんです。そして、あの阿呆はよりにもよって、沙良の記憶を操作したんです。過去の記憶を上書きして……。おかげで、俺の嫁になったことを覚えていないどころか、セリウスの嫁になったことになっています」


 沙良の記憶がおかしくなり、近づくだけで怯えられるとシヴァが嘆けば、ルードヴィッヒはパチパチと目を瞬いた。


「なるほど、セリウスくんはこの魔法を応用して使ったのか。さすが僕の息子、賢い―――じゃなくて、つまりシヴァくんは、沙良ちゃんの記憶をもとに戻したいんだね?」

「そうです」

「へえ……」


 ルードヴィッヒはしげしげと息子の顔を見た。


「シヴァくんが、一人の女性の記憶にそれほどこだわるなんて……。なんだか夢を見ているみたいだよ」

「……」


 シヴァは反論できずに口を閉ざした。確かに、父の知るころのシヴァであれば、たかだか女一人の記憶の中から自分とすごした時間が消えようと、怯えられようと、気にも留めなかっただろう。だが、自分でも驚くほど、沙良の中からシヴァとすごした時間が消えたことに衝撃を受けたのだ。怯える顔を見た瞬間絶望したのだ。だから取り戻したいと思った。仕方ないじゃないか。

 ルードヴィッヒは優雅な所作で紅茶を口に運ぶと、にっこりとお得意の笑顔を浮かべた。


「沙良ちゃんが、好きなんだねぇ」


 今度は、驚くのはシヴァの番だった。


「……え?」

「どうして驚くの? 愛してるんでしょう? だから取り戻したい。違う?」

「……それ、は」


 考えたこともなかった。

 沙良のことは大切だ。気に入っているし、そばにいないと落ち着かない。妻に迎えたのは確かだし、沙良を抱きしめていると気分がいい。だが、沙良はまだ子供で―――


(好き……、か)


 はっきり言って、この感情が何なのか、よくわからなかった。

 好きか嫌いかと聞かれれば好きだと答えるだろう。だが女性として愛しているのかと聞かれれば即答できない自分がいる。いや、この微妙な距離感を詰めることを、躊躇っている自分がいるのだ。


「……沙良は、俺のものです」


 だから、シヴァが答えられたのは、この言葉だけだ。沙良はシヴァのもの。セリウスにくれてやるつもりは毛頭ないのだ、と。


「そうか。……でも―――」


 ルードヴィッヒがシヴァに本を返しながら、言いにくそうに口を開いたとき。


「ただいまあ、あなたぁー」


 おっとりと間延びした声が聞こえて、波打つ金髪に青い瞳をした、少女のように愛くるしい顔立ちの女性がリビング飛び込んできた。



     ☆



 リビングに飛び込んできた女を見た瞬間、シヴァは平穏の終幕を悟った。

 彼女の背後からは、同じく金髪の、だが赤い瞳をした青年が、ぐったりとした表情を浮かべて立っている。その両手には大量の袋が抱えられており、買い出しにつき合わされたあとだというのは想像に難くなかった。

 女はスキップでもしそうな足取りでソファに座るルードヴィッヒまで近づいていくと、その首に細い腕を回してぎゅっと抱きつく。そして顔をあげ、テーブルをはさんで真向かいにシヴァが座っていることに気がつくと、ぱあっと顔を輝かせた。


「シヴァちゃん!」


 女はルードヴィッヒから手を離すと、ぴょんとテーブルを飛び越えてシヴァに飛びついた。


「やぁん、来るなら来るって言ってちょうだい! 元気かしら? 何年ぶり? やだぁ、眉間に皺なんて刻んじゃって! そうしていると、ホントおじい様そっくり!」


 ぎゅーっと抱きつかれて、シヴァは鬱陶しくなりながらもじっと耐える。


「……お久しぶりです、母上」


 女―――母、フローラはさんざんシヴァに頬ずりをして満足すると、再びルードヴィッヒの隣に移動して抱きついた。

 ルードヴィッヒがにこにこ笑ってフローラの頭を撫でている。

 その間に大量の荷物をおいて戻ってきた金髪の男が、ぐったりした様子でシヴァの隣に腰を下ろす。


「お前も来ていたのか、クラウス」


 セリウスと髪と瞳の色こそ違えど、瓜二つな顔立ちのクラウスは、セリウスの双子の弟だ。

 クラウスはずり落ちかけた片眼鏡を指の腹で押し上げると、シヴァの顔を見上げて小さく苦笑した。


「お久しぶりです、兄上。私は父上に用があり昨日来たばかりですよ。……なぜか、母上に意味不明なものの買い出しにつき合わされましたけどね」

「あら、可愛いじゃないの」

「―――コウモリの剥製はくせいと一角獣の目玉、水晶に掘られた芋虫を可愛いと言うのは、魔界広しと言えど、母上くらいでしょうよ」


 そんなものを買ったのか。

 シヴァは母の趣味の悪さを思い出してため息をつきたくなった。間違いなく、この不気味かつ無秩序な邸の外観は母の趣味によるものだ。母の趣味が殺人的に悪く、また父の芸術のセンスが壊滅的であることから、このような混沌とした邸が産まれたに違いない。


「あら、ちゃんとクラちゃんの服も買ったじゃない」


 のほほん、とフローラが言えば、ギョッとしたのはクラウスだった。


「は……? ちょ、ちょっと待ってください! あのセンスの悪……、いえ、非常に独創的かつ実用的でない、そもそも服なのかどうかわからないあの代物は、父上ではなく私の服だったんですか!?」


 真っ青なクラウスの横顔を見つめて、シヴァは同情を禁じえなかった。


「そうよ? 当り前じゃないー。パパは金色の服なんて似合わないもの。パパに買うなら黒か白、それか赤よねぇ」

「俺には君がいてくれることこそが何よりの贈り物だから、プレゼントなんて買わなくていいんだよ」

「いやーん、ルーイったら!」


 シヴァは帰りたくなった。

 よほど壊滅的なセンスの金色の服だったのか、クラウスは魂を飛ばしかけている。母のことだ、必ず着させるのはわかっている。その時のことを考えて絶望しているのだろう。

 シヴァはぬるくなった紅茶を飲みながら、母をこの場から追い出す方法を算段しはじめた。母がいては話も進まない。なんとかして追い出す必要がある。それには申し訳ないが生贄スケープゴートが必要だ。

 シヴァはクラウスの顔を見上げて、心の中で合掌した。すると、シヴァの視線に何らかの危険を察知したのか、クラウスの顔が青を通り越して白くなった。


「あ、兄上……?」

「すまん、クラウス」


 シヴァは小声で謝ると、くるりと母に向きなおった。


「母上、クラウスのために買ったという服ですが、俺も見てみたいので、今ここで着させてきてはどうでしょうか?」

「兄上ぇ!?」


 クラウスはヒッと悲鳴を上げてソファから立ち上がった。そのまま、反射的に遁走とんそうしかけたクラウスの腕を、フローラが素早い動きで捕まえる。


「そーお? じゃあ、さっそくお披露目してあげるわ!」


 そのままクラウスはフローラに引きずられていく。


「覚えていなさいよ、兄上ぇっ!」


 クラウスの絶叫が虚しくリビングに響き渡った。







「弟を生贄にするなんて、ひどいねぇ」


 フローラとクラウスがリビングからいなくなると、ルードヴィッヒが苦笑を浮かべてそう言った。


「母上がいたら話が進みそうになかったので」

「うん……、それはまあ、否定はできないけど」


 妻に激甘なルードヴィッヒが頬をかく。

 それから、ふぅ、と息を吐くと、シヴァの手元にある古代魔法書に視線を投げた。


「話の続きだけど……、君は、セリウス君がかけた魔法を解きたいんだよね?」

「そうです」


 当り前だろうと頷くと、ルードヴィッヒは困った顔をした。

 ぬるくなった紅茶で喉を潤し、言いにくそうに口を開く。


「……魔法を解く方法は、あるにはあるんだが」

「何ですか?」

「その魔法は、星の力を使って発動させ魔法だ。その魔法を解くためには、かけたときと同じ条件―――、つまり」


 シヴァの顔から表情が消える。


「―――同じ、流星群の夜……」


 茫然とつぶやくと、ルードヴィッヒが小さく頷いた。

 シヴァは思わず両手で顔を覆った。

 同じ流星群がやってくるのは、ちょうど五十年後。あの日やってきたのは、半世紀のサイクルでやってくる流星群だった。


(五十年……)


 その数字に、シヴァは絶望するしかない。

 シヴァたち高位の魔族には、五十年という数字は決して長い数字ではない。もちろん短くもないが、それでも、長すぎる年数ではないのだ。だが、沙良は人間。五十年と言う数字が持つ意味を、シヴァは痛いほど理解する。


「……沙良ちゃんと結婚したと言っていたけれど、沙良ちゃんは正しく君の『妻』になっているのかな?」

「いいえ」

「……そう」

「沙良は、まだ子供なので……」


 シヴァは答えたのち唇をかむ。

 魔族に比べて、人の寿命は短い。だが、人の寿命を、魔族と同じくらい引き延ばす方法はあるのだ。それは、つがいの契約。高位の魔族に一人に対して、たった一人だけ許される契約だった。魂自体をつないでしまう、つまり、契約者の魔族が死ぬまで同じ時を生きる契約。

 沙良を連れてきたとき、シヴァはその契約のことを考えないではなかった。最初は契約してしまおうと思った。実際、連れてきたその日に、魂をつないでしまおうとしたのだ。おそらくあの日、沙良を魔界に連れてきた夜、ミリアムに邪魔さえされなければ、番の契約を交わしていただろう。


 だが、思いとどまった。

 沙良とすごせばすごすほど、シヴァの一方的な思いで沙良を縛ることをためらうようになった。

 契約を交わすか交わさないかは、沙良自身にゆだねようと―――、もう少し沙良が大人になって、彼女が本当にシヴァと一緒にいたいと望んだ時にその契約を交わそうと思っていたのだ。

 それが、沙良を無理やり魔界に連れてきたシヴァの、精いっぱいの誠意だった。


(だが、こんなことになるのなら、いっそ……)


 あの時、無理やり魂をつないでしまえばよかったとシヴァは思う。いっそ、今からでも遅くないかもしれない。けれど、あれほどシヴァを恐れ、逃げ回る沙良を無理やり―――、その時の沙良の恐怖にひきつった顔を想像するだけで、考えるだけで、死んでしまい気持ちになった。


「父上……、ほかに、方法は?」


 ルードヴィッヒはじっとシヴァを見つめたのち、躊躇いがちに口を開いた。


「あるにはあるけど……、おすすめはしないよ」


 シヴァは反射的に顔をあげた。


「父上」

「……俺が黙っていても、きっと自分で探しちゃうんだろうね、シヴァ君のことだから」


 ルードヴィッヒは嘆息すると、迷うように唇を舐めて、それから渋々口を開いた。


「記憶って言うのは、完全には消せないんだよ。今の沙良ちゃんは、記憶が消されたのではなく、なんて言うのかな、もともと描いてあった絵の上に、新しい絵をかかれた状態とでも言えばいいのかな。つまり、沙良ちゃんの心の中には、きちんとその、元の記憶が眠っている。それを力技で起こしてしまえば、きっともとに戻ると思う。でも、君ももちろんわかっているだろうけど、失敗した時のリスクが大きすぎる。下手をすると、君も、沙良ちゃんも、心が壊れて、二度と目を覚ますことはないだろうね」

「……」


 シヴァが沈黙すると、ルードヴィッヒは悲しそうな笑みを浮かべた。


「最悪、沙良ちゃんの心を壊して永遠に目覚めない夢の中に落としてしまうとしても、君は沙良ちゃんの元の記憶がほしいのかな?」


 ルードヴィッヒの言葉は、シヴァには辛辣すぎた。

 返す言葉もなく、ただ黙って膝の上でこぶしを握り締めるシヴァのもとに、ややして能天気な声が降り注ぐ。


「じゃーん! どう? 似合うでしょー?」


 母、フローラが、全身金色の鎧を着こんだようなクラウスを連れてリビングに戻ってきたが、弟のその姿を見ても、今のシヴァに笑う気力はなかったのだった。



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