消えた記憶 7
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「―――」
シヴァはかれこれ三十分ほど立ち尽くしていた。
目の前には玄関の扉―――らしきもの―――がある。
分厚く重厚な木製の扉には、なぜか、ケーキやキャンディー、ティーカップ、ティーポット、花、雪だるま、イルカ―――、もう並べるのも馬鹿らしくなるような数々の彫刻が無秩序に彫られていて、ご丁寧にカラフルかつファンシーに色まで塗られている。
視線を滑らせると、でん、と大きな邸の壁はパステルカラーに塗りたくられていて、そこにも意味不明な絵がたくさん描かれていた。
この邸の住人は頭のネジが一万本くらい緩んでいるに違いない、そう思わせるほど奇天烈な外観の屋敷に、シヴァの魂は抜けかけた。
(―――はじめてきたが、これほどとは……)
正直、この中には入りたくない。
どれほど奇想天外なことになっているか、想像だにできないからだ。ブラックホールの中に無計画に足を踏み入れるくらいの危険を感じる。
それが、かれこれ三十分も中に入らず、玄関の扉の前で立ち尽くしている理由だった。
シヴァは現実逃避しそうになる脳で、どうにかしてこの中に「まとも」なものがないか探そうと視線を滑らせた。
邸は無理だ。諦めよう。
庭に視線を滑らせたシヴァは、柘植がウサギや象、キリンや鳥と言った形に整えられているのを見て、これはまだましだと頷いた。
そしてさらに奥を見て、噴水の中央にメデゥーサの石膏像が立っているのを見て言葉を失う。噴水の淵からは無数の蛇の石像が頭を出しており、よくよく見ると、噴水の中は水ではなく、怪しい赤い液体だった。
ぞっとしたシヴァは、庭の反対側に視線を巡らせ、息を呑む。
ミリアムが持っている茨姫の小説の中かと言いたくなるほど大量の茨が絡まっており、その中央はトンネルのようになっていて、その奥から真っ白な虎がこちらに駆けてきた。
「わふっ」
犬のような鳴き方をして、そのホワイトタイガーがシヴァに襲いかかる―――もとい、じゃれついてくる。
立ち上がればシヴァの身長ほどある巨大で重たい体躯の持ち主に飛びかかられて、シヴァはよろめいたが、べろべろとザラザラする舌で顔を舐めてくる虎を何とか抱き留める。
「ステファ、お前、茨の中にいるのか……」
ホワイトタイガーのステファは、城にいるころに父が飼っていた虎だった。父が城から去るときに一緒に連れて行ったきり、シヴァは彼とは一度も会っていなかったが、どうやらステファはシヴァのことを覚えていたらしい。
よくよく目を凝らすと、絡みつく茨の奥に、大きな木の小屋のようなものがあるので、そこがステファの住居なのだろう。
シヴァの顔を舐めて満足したステファは、飛び掛かっていたシヴァから前足を離し、すとんと地面に立つと、すりすりと巨体をすり寄せてくる。シヴァは頭を撫でてやりながら、
「お前の主人は、あの中か……?」
一縷の期待を込めて、そう問いかける。
すると、賢いステファがゴロゴロと喉を鳴らして、一度だけ「がう」と鳴いた。
「そうか……」
シヴァはがっくりとうなだれる。
そうして、ステファと目線を合わすようにその場にしゃがみこむと、彼の頭を撫でながらこう言った。
「よし、ステファ。今から手紙を書くから、それをお前の主人に届けてくれ。あとは任せ……」
「シヴァくん?」
ステファに伝言を押しつけてさっさと退散しようとしたシヴァだったが、突然聞こえてきた低い声に絶望した。
奇天烈な外観の玄関の扉が開かれ、中から一人の男が顔を出している。
黒髪に黒い瞳、セリウスによく似た顔立ちの男の顔を見た途端、シヴァはため息をつきながら言った。
「……お久しぶりです、父上」
そう、奇天烈かつ奇想天外な邸に住んでいるのは、前魔王陛下だったのだ。