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旦那様は魔王様!  作者: 狭山ひびき
旦那様は魔王様
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消えた記憶 5

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 セリウスは目の前に立ちはだかるシルバーグレーの髪の男を睨みつけた。

 朝目覚めて、沙良の部屋に行こうと部屋を出てところで待ち構えていたアスヴィルと睨み合いを続けて、かれこれ十五分ほどたっている。


「いい加減、そこをどいてくれないかな?」


 イライラした口調で言っても、この男はピクリとも表情を変えない。昔から、そういうところが嫌いだった。アスヴィルは七侯ななこうの一人だが、セリウスは王弟である。王族を何だと思っているのだろうか。


「沙良に何をしたのか、答えるならどいてもいいです」


 先ほどから、この押し問答だった。

 セリウスはいい加減うんざりしてきて、腕を組んで廊下の壁に寄りかかる。


「聞いてどうする?」

「シヴァ様にご報告します」

「……忠犬か」


 はあ、と息を吐いて、セリウスは前髪をかきあげた。

 どうやらこの男は、セリウスが答えるまで立ち去るつもりはないらしい。このままでは、セリウスの行動範囲は自室の中か、自室から廊下に出て半径三歩の範囲内だ。空間移動で移動したところでこの頓珍漢な男はどこまでもついてくるだろう。


 さすがに、鬱陶しい。

 セリウスはもう一度アスヴィルをひと睨みしたのち、諦めた。


「まあいいさ。どうせ答えたところでお前も兄上も手も足も出ないだろうし」


 アスヴィルはピクリと眉を動かしたが何も言わなかった。

 セリウスがパチンと指を鳴らすと、次の瞬間、アスヴィルの頭上に一冊の分厚い本が降ってくる。

 アスヴィルがすんでのところで直撃をさけ、本を手にすると、


「古代魔法だよ。調べたければ調べればいい。調べたところで、途方に暮れることになるだけだろうけどね」


 そう言って、セリウスはアスヴィルの前を素通りし、ひらひらと手を振りながら歩いていく。

 残されたアスヴィルは、古びた本の表紙に書かれた題名を見て眉を寄せた。

 題名すら、彼には読めなかったからだ。



     ☆



 午後になって、沙良はミリアムに連れられてアスヴィルの部屋を訪れた。

 沙良はアスヴィルの部屋の扉をくぐり―――そして、硬直した。


(……、ふりふり?)


 アスヴィルの部屋にキッチンがあることも驚きだが、何よりも沙良を困惑させたのはアスヴィルが身に着けていたエプロンである。

 真っ白な布地は同じく白いレースで華やかに飾られて、裾や、胸元、腰で結ぶ紐まで「ふりふり」している。


(どうしよう……、帰りたい、かも)


 厳つい顔をしたアスヴィルと、どこからどう見ても乙女要素満載の、いっそ十代の女子ですら身に着けないであろうフリフリしたエプロン。そのあり得ない組み合わせは脳に直接爆弾を落とされたくらいの破壊力があり、沙良は一瞬灰になりかける。


 沙良はアスヴィルを見つめたままたっぷり数十秒は硬直し、そうして茫然としている間に、てきぱきとミリアムによって、同じくふりふりした真っ白いエプロンを身につけられていた。

 ハッとすると、すでに髪まで結ばれ、お菓子作りのスタンバイが整えられてしまっている。

 おろおろしている沙良の様子に苦笑を浮かべ、アスヴィルが小さく手招きした。


「作るのは、チョコチップクッキーだ」


 どうしてだか、「チョコチップクッキー」という何に、言いようのない懐かしさを覚えながら、沙良はまだ半ば茫然としたまま、コクリと頷いた。



 

「お菓子作りは奥が深い」


 アスヴィルのよくわからない講釈こうしゃくを聞きながら、沙良は言われるままバターを練る。

 過去にも同じようなことがあった気がするのが不思議だった。


「湿度、温度、材料の比率の違い、その些細な差で出来上がりの良し悪しが左右される」

「……はあ」


 小麦粉をふるいにかけながら、アスヴィルが熱弁をふるっている。

 ミリアムはソファに座ってリザが煎れた紅茶を飲みながらチョコレートを口に入れていた。


「沙良ちゃーん? その人ちょっと馬鹿だから、真面目に聞かなくていいのよぉ」


 チョコレートを口の中で転がしつつミリアムが茶々を煎れれば、アスヴィルはぐっと拳を握りしめて詰めに苦言を呈した。


「人が作ったチョコレートを食べながら何を言うんだ」

「はいはい、チョコはとっても美味しいわよー。だからってねぇ、湿度とか温度とか、果ては砂糖の何グラムの違いとか言われたって、沙良ちゃん困っちゃうじゃなーい」

「それが大事なんだ!」

「……やぁねえ、オトメンって」

「何か言ったか?」

「べーつにぃ」


 ずずっと紅茶を口に入れて、ミリアムが次のチョコレートを手に取った。

 知らないはずなのに、ミリアムとアスヴィルのこのようなやり取りもどこかで聞いたことがあるような気がして、沙良は練ったバターに少しずつ卵を落としながら首をひねる。


(なんか、変……)


 生まれてから一度もお菓子を作ったことのないはずなのに、言われるままに手を動かしながら、この先の工程がわかるような気がしている。

 クッキーの生地が出来上がると、麺棒で生地を薄く伸ばしていく。


「出来上がったら……、いや」


 アスヴィルが何かを言いかけたが、小さく首を振った。

 ハートの形の型で生地をくりぬきながら、沙良が顔をあげる。


「出来上がったら、どうかしたんですか?」


 アスヴィルは沙良の問いには答えずに、ちらりとミリアムを見やった。

 ミリアムがこくんと頷くと、ソファから立ち上がり、背後から沙良を抱きしめる。


「ねえ、沙良ちゃん。出来上がったら、お兄様のところに一緒に行ってほしいの」

「セリウス様ですか?」


 沙良が訊ねれば、ミリアムは少しだけ悲しそうな顔をして首を振った。


「違うわ。……シヴァお兄様よ」


 途端に、沙良の表情が強張る。


「シヴァお兄様、チョコチップクッキー大好きなの。持って行ってあげたらきっと喜ぶわ」


 そうだろうか。沙良はシヴァの顔を思い浮かべて、心が凍りそうになるのを感じた。シヴァは怖い。この世界に連れてこられて、殺されそうになった恐怖は今でも消えない。氷のように冷たい目で見据えられて、ゆっくりと首を絞められていく恐怖は―――


(……あれ?)


 沙良はふと首に手を当てた。

 シヴァのこの世界に連れてこられて、生贄として殺されかけた。首を絞められたはずだ。でも、本当にそうだっただろうか? 

 その時のことを思い出そうとすると、急に頭が痛くなり、沙良は顔をしかめる。

 シヴァは怖い。

 けれども、昨日目を覚ましたときにいたシヴァは―――


「やっぱり、駄目かしら?」


 ミリアムが落胆したような声で言った。


(シヴァ様が、チョコチップクッキー……、好き?)


 わからない。沙良の記憶の中のシヴァは、いっそ人の血肉の方が好物のような冷酷な男なのに、こんな甘いものを、好き?

 沙良の記憶の中のシヴァは、いつも冷ややかな表情を浮かべているのに、昨日の彼の表情は違った。


 ―――もう一度会ったら、この妙な違和感の正体がわかるだろうか。


 沙良は肩越しにミリアムを振り返った。


「……ミリアムも、一緒に行ってくれるんですか?」


 ミリアムがぱっと顔を輝かせた。


「もちろんよ!」

「じゃあ……、行っても、いいですよ?」


 本当はすごく怖いけれど。

 ほんの少しだけ、シヴァという存在が気になった。



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