消えた記憶 3
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セリウスに「自室」だという部屋に運ばれて、ソファに座らされた沙良は、部屋の中をぐるりと見渡した。
ミリアムはここを沙良の部屋だと言うが、部屋をどれだけ見渡しても、沙良には自分の部屋だという記憶がない。
(なんだか、変……)
頭の中が少しぼーっとしていて、ところどこと「何か」が抜け落ちているような気がする。だが、「何か」が何なのかがわからないので、本当に何かが抜け落ちているのかどうなのかもわからない。
「沙良ちゃん、大丈夫?」
部屋に入ってすぐ、ミリアムはセリウスを追い返した。
セリウスがいなくなるのは淋しかったが、ミリアムが怒った顔をしていたから、沙良は黙って彼が出て行くのを見送った。
セリウスが出て行くと途端に心配そうな表情を浮かべたミリアムを見返して、どうして「大丈夫?」と問われているのかと沙良は首をひねる。
ミリアムによると、沙良はついさっきまで気を失っていたらしい。しかし沙良にはその記憶はなく、ミリアムが言う「流星群を見ていた」という心当たりもなかった。
「沙良ちゃん、さっきまで自分が何をしていたか覚えてる?」
「さっきまで……?」
沙良は視線を下に落とした。
(さっきまで……。さっきまで、何をしていたのかな……?)
思い出せない。
沙良は必死に記憶をたどろうとするが、直前に何をしていたのか全く思い出せなかった。
「沙良ちゃん……」
ミリアムは悲しそうな表情を浮かべると、そっと沙良の手を取った。
「じゃあ、沙良ちゃんが覚えていることを教えてくれない?」
「覚えていること……?」
沙良は少し考えこみ、断片的に覚えていることをぽつぽつと語りはじめた。
☆
「シヴァ様、大丈夫ですか?」
沙良がいなくなった部屋で、ベッドの淵に腰を下ろしたまま半ば放心しているようにも見える魔王に、アスヴィルはおずおずと声をかけた。
シヴァは小さく顔をあげ、やおら立ち上がると、無言で窓のそばまで歩いていく。
すっかり静かになった星空を眺めて、シヴァは口を開いた。
「原因を考えていたが、やはり、さきほどの流星群以外の可能性を思いつかなかった」
どうやら、黙り込んでいたのは、沙良がおかしくなった理由を探していたらしい。
アスヴィルもシヴァの隣に並び、夜空を見上げる。
「流星群なんて、数十年の周期でやってくる自然現象ですよ」
「ただの流星群ならな。だがさきほどは、星が途中で妙な動きをした。セリウスが何らかの魔法で干渉したとしか思えない」
「……殿下が、星を操ったと?」
「星を操ったのか、結果的に星が動いたのか、それはわからない」
シヴァは嘆息すると、こめかみをおさえた。
「セリウスを問いただしたところで、答えるとは思えんがな」
アスヴィルが眉を顰める。
「なぜ、殿下はそのようなことを?」
「簡単なことだ。あいつは沙良をほしがっていた。ほしいから手に入れただけのことだろう」
シヴァは窓枠に手をつくと、忌々しそうに舌打ちする。
「あいつが実力行使にでるほど沙良をほしがっていたことに気がつかなかった、俺の落ち度だ」
アスヴィルはシヴァを慰めようと口を開きかけたが、かける言葉がわからずにそのまま閉口する。
部屋に重たい沈黙が落ちたとき、バタンと大きな音をさせてミリアムが部屋に入ってきた。
「沙良ちゃん、寝たわ」
アスヴィルが振り向けば、つややかな赤い髪を指先でいじりながら、ミリアムが難しい顔をしていた。
「ミリアム」
アスヴィルが軽く手を広げると、ミリアムはその腕の中にすっぽりとおさまってシヴァを見上げた。
「お兄様、沙良ちゃんに話を聞いたの。どうやら、ここに来てからの記憶がおかしくなってるみたい」
シヴァは片眉をあげた。
「記憶がおかしい?」
「ええ。そうね……、なんて言えばいいのかしら。お兄様が沙良ちゃんをここに連れてきた、そこまではいいのよ。ただ、そこから先の記憶が書き換えられていると言うか、曖昧と言うか……」
「つまり?」
アスヴィルが訊ねると、ミリアムは考えるようにいったん口を閉ざして、しばらくして話しはじめた。
「例えばよ。お兄様が沙良ちゃんを連れてきたあと、沙良ちゃんの記憶の中では、お兄様に生贄にされそうになったことになっているの。お兄様が言ったふざけた冗談じゃなくて、本当にね」
シヴァは当時、ふざけて沙良を「生贄」と呼んだわけではなかったのだが、ここで口を挟めば話がすすまないので、訂正せずに黙っておいた。
「そして、沙良ちゃんの記憶の中では、沙良ちゃんは一度お兄様に殺されかけているの」
「な……」
アスヴィルが目を見開くが、シヴァは微かに眉を動かしただけだった。
「そして、お兄様に殺されかけた沙良ちゃんを助けたのが、セリウスお兄様。そのあと……」
ミリアムは言葉を切って、気づかわしげにシヴァを見上げた。言うべきかどうかを迷っているような仕草に、シヴァが先を促すと、ため息をついて続ける。
「沙良ちゃんは、セリウスお兄様と結婚したことになってるわ」
「―――」
シヴァの目がゆっくりと見開かれる。
ミリアムは腰に回されたアスヴィルの腕をきゅっとつかんで、眉を寄せた。
「今の沙良ちゃんにとって、お兄様は恐怖の対象でしかないみたい。どうしてこうなったのか……、わからないけど」
「……そう、か」
シヴァは小さく頷くと、もう一度夜空を見上げ、
「ミリアム、しばらく、沙良についていてやってくれ」
少し寂しそうに、そう言った。