消えた記憶 1
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落ちる―――
落ちていく―――
足元はぽっかりと開いた闇で、沙良の体はそれに飲まれるように下へ下へと吸い込まれていく。
嫌だ、頭上に向けて手を伸ばすも、そこには何もなく、誰もその手を掴んではくれなかった―――
ハッと目を覚ますと、沙良はベッドの上だった。
枕元には愛用のテディベア。
上体を起こすと、薄暗い部屋。
窓には板が打ち付けられて薄暗く、シンと静まり返った部屋の中は、広いけれど誰もいなくてひどく冷たい雰囲気を落とす。
今日は―――
沙良は部屋の電気をつけると、壁にかかっているカレンダーを見て、ああ、と合点した。
(そっか……、誕生日)
今日で沙良は十七歳になる。誰も祝ってくれないバースデーだ。
長い夢を見ていた気がする。幸せな夢だったと思う。けれど、どんな夢だったのか、何一つ覚えていないのが残念だった。
沙良はベッドから起き上がると、ぼーっとする頭をすっきりさせるためにお風呂に入ることにした。お気に入りの薔薇の香りのバスボムを手に取り、浴室へ向かう。
今年も、お手伝いさんが部屋の外においたケーキだけを食べて、一人淋しく誕生日を終えるのだろう。
今更、誰かに優しくされたい、愛されたいなどという大それた願望を抱くわけではない。けれどもたった一人きりの誕生日は虚しかった。
(いったいいつまで、こうなのかな……)
ただ生かされている。閉じ込められて、一人きりで。これでは息をしているだけで箱に閉じ込められたお人形と大差ないだろう。もし死ぬまでこうなのであれば、早いうちに死んでしまいたいとさえ思うけれど、いつか出られるのかもしれないという希望が捨てきれない。
沙良はゆっくりとしたバスタイムを楽しむと、服を着て部屋を出た。着替えたパジャマは部屋の外に出しておけばお手伝いさんが回収して行ってくれる。
誰とも話すことのない毎日。声を出さないから、たまに声の出し方を忘れてしまう。
だが―――
バスルームから出た沙良は、目を見張って立ち尽くした。
誰もいないはずの部屋に、一人の男が立っていたからだ。黒い髪に黒い服、黒い瞳。氷のように冷たい雰囲気の、とてもきれいな男の人だった。
男は乱暴に沙良の手を掴むと、そのまま有無を言わさず、沙良をどこかに連行した―――
☆
「お兄様! 沙良ちゃん倒れたんですって!?」
大きな音を立ててシヴァの寝室の扉が開かれると、血相を変えたミリアムが飛び込んできた。
沙良をベッドに寝かせ、意識の戻らない沙良の名を呼び続けていたシヴァは、ミリアムに一瞥を投げるとすぐに沙良に視線を戻す。
「ああ。……星が、爆発したように見えた。そのあとすぐに気を失ったんだ」
「その爆発なら俺たちも見ました」
ミリアムのあとから入ってきたアスヴィル眉をひそめて告げ、眠る沙良に視線を向ける。
「花火みたいに見えたわ。あんなことって、はじめて……」
ミリアムはシヴァのそばに寄ると、沙良の顔を覗き込んだ。
「驚いて……、気絶しちゃったのかしら?」
「大きな音でもしていればそれも考えられるが、特に何の音もしなかっただろう。それに―――」
シヴァは言葉を途中で切って、沙良の頭を優しくなでる。
「シヴァ様も何か感じたんですね」
アスヴィルが窓の外に視線を投げた。流星群は通りすぎ、静かな星空が広がっている。もうじき夜も明けるだろう。
「お前もか」
「はい。微かですが……、妙な魔法の気配を感じました。しかし」
「何の魔法か、わからない」
「……シヴァ様もですか」
「ああ」
二人が難しい顔をするのを見て、ミリアムの表情が曇る。
「二人がわかんないなんて、そんな魔法あるの?」
「いくらでもあるよ」
アスヴィルが苦笑して答える。
「例えば古代魔法は俺もアスヴィルも不得手だ」
「ああ……、クラウスお兄様が研究しているあれね」
ミリアムは沙良の頬に手を伸ばしてつん、と指先でつつく。
「まさか、古代魔法ってこと?」
「それはわからない。だが……、沙良にしか作用しなかった。人間にしかきかないものなのかもしれないな」
「沙良ちゃんが気絶してどのくらいたったの?」
「二時間だ」
「……このまま、目が覚めないなんてことはないでしょうね?」
ミリアムがきゅっと唇をかんだ、そのときだった。
「それはないよ」
突如、第三者の声が聞こえて、シヴァたち三人は顔をあげた。
部屋の入口のところに、うっすらと微笑を浮かべたセリウスが立っている。セリウスは優雅な足取りで近づいてくると、シヴァが座っている側とは反対に回り、ベッドの淵に腰かけた。
「もうじき、目が覚めるころだ」
「セリウス―――」
シヴァがすっと目を細めた。
「お前の仕業か」
冷たい怒気すらはらんでいる声音にも、セリウスはどこ吹く風で笑って見せる。
「さあ? どうだろう」
「セリウス!」
平然ととぼけたセリウスにシヴァが声を荒げたとき、ピクリと沙良の瞼が動いた。
ぼんやりと瞼を持ち上げた沙良は、天井を見上げたままゆっくりとまばたきをくり返す。
「沙良!」
「沙良ちゃん!」
シヴァとミリアムが同時に名前を呼んで沙良の顔を覗き込めば、沙良はゆっくりと視線を動かし、そして―――
「い、いやああああああ――――――っ!」
大きく目を見開いて悲鳴を上げた。
恐慌状態と言ってもおかしくないほどの取り乱しように、シヴァとミリアムが硬直する。
「沙良……」
我に返ったシヴァが沙良をなだめようと手を伸ばすと、それにびくりと怯えた沙良は、身を守るように頭に手をやり、縮こまった。
「ち、近づかないでください……」
泣きながらそう言われて、明らかに恐怖を感じている沙良の様子に、シヴァが愕然と手を引っ込める。
「さ、沙良ちゃん……?」
様子のおかしい沙良にミリアムが戸惑いの声を上げるが、ベッドの淵に座っていたセリウスだけは余裕の表情を浮かべていた。
「沙良ちゃん」
たった一言。セリウスがそう呼んだだけで、ぴたりと沙良の悲鳴が止まる。
沙良は弾かれたようにセリウスを見て、泣きながらその腕の中に飛び込んだのだった。