好きと言えなくて 2
「今日のそのクリーム色のドレス、とてもよく似合ってるよ」
「当然でしょ!」
テーブルをはさんで真向かいに座っているアスヴィルが、幸せそうに微笑みながらミリアムのドレスを褒めると、彼女はツンと顎をそらせてそう答えた。
アスヴィルにお茶に誘われたミリアムは、今、彼と温室で午後のひと時をすごしている。
アスヴィルのことを好きだと自覚したミリアムであるが、だからと言って手のひらを返したように素直になれるほど、簡単な性格をしていない。
アスヴィルに微笑みかけられて頬に熱がたまるのを自覚するが、必死に表情を引き締めて不機嫌な顔を作っていた。
「お茶に付きあってくれてありがとう。忙しかっただろう?」
「当然よ! わたしは忙しいのよ!」
嘘だ。本当は大抵暇を持て余していて、部屋で本を読んでいるかリザ相手におしゃべりをしてすごしている。
ミリアムはアスヴィルが焼いて持ってきてくれたマドレーヌを口に入れながら、ちらちらと横目でアスヴィルの顔を見上げた。自分の気持ちを自覚してから、どうしてかまっすぐ彼の顔を見ることができない。
頬杖をついている彼の大きな手を見ながら、頭を撫でてほしいなと思ったり、抱きしめられて眠ったときのことを思い出して、その腕の中に甘えたいなと思ったりするが、そんなこと口に出せるはずもなく、ちびちびと紅茶を口に運んだ。
(なによ……、鈍いのよ、ばか)
愛していると言うくせに、アスヴィルはミリアムの気持ちや態度の変化にはこれっぽっちも気がついていないようだ。
少しくらい強引に来られたら、ミリアムも素直になりやすいのに、アスヴィルは相変わらず言葉で「好きだ」とか「愛している」とかいうだけで、ちっとも行動に移さない。
離宮でほとんど二人きりでいたときは、ドキドキしすぎて心臓が持たないと思ったものだが、城に戻ってきたら、今度は会う時間がぐっと減って、淋しいなと思ってしまう。
(ちょっとくらい……、せめて手を握るとか、してもいいと思うのに……)
アスヴィルは朴念仁だった。彼はまだミリアムに嫌われていると思っているらしく、自分からミリアムに触れてこようとはしない。
(嫌いだったら、お茶なんか付き合わないわよ、ばぁか)
ミリアムはもやもやしながら二個目のマドレーヌに手を伸ばした。焦がしバターの風味がきいていてとても美味しいマドレーヌのはずなのだが、緊張しているせいか、あんまり味がわからない。
「美味しいか?」
もぐもぐとリスのように頬を膨らませながらマドレーヌを食べるミリアムに、アスヴィルは優しく訊ねた。
「ん」
ミリアムは短く返事をして、こくんと頷く。
アスヴィルはにこにこ笑いながら、口元を指さした。
「ミリアム、そこ、ついてる」
アスヴィルに指摘されて、ミリアムは頬を赤く染めて口元をぬぐった。
「そこじゃないよ」
アスヴィルがくすくすと笑って手を伸ばす。長い指がミリアムの口元をかすめて行って、ミリアムはますます顔を赤く染めた。
アスヴィルが触れていったところが、火傷をしたみたいに熱い。
ミリアムはうつむくと、アスヴィルが触れた口の横を、そっと手で押さえた。
「もう取れてるぞ?」
鈍いアスヴィルはミリアムの気持ちには全く気が付かず、頓珍漢なことを言う。
ミリアムは上目遣いでアスヴィルを軽く睨んだ。
「わかってるわよ」
「そうか?」
アスヴィルは不思議そうに首を傾げる。
ミリアムは悔しくなって、テーブルの下でアスヴィルの足を軽く蹴飛ばした。
「いてっ」
蹴飛ばされたアスヴィルが顔をしかめるが、ミリアムはツンと顔をそらす。
ミリアムは横を向いたまま、紅茶をぐびぐびと飲み干した。
(なによ! 鈍すぎるのよ!)
あれだけ好きだと言いながら、どうしてミリアムの気持ちには気づいてくれないのだろう。
素直に好きだと言えないミリアムは、心の中でアスヴィルをさんざん罵倒しながら、意地っ張りな自分の性格を呪った。
「愛してるよ、ミリアム」
アスヴィルがそうささやいてくれるが、ミリアムは頬を染めてただ押し黙った。
(……わたしも、あなたが大好きよ)
今のミリアムには、心の中で答えるだけで、精いっぱいだったのだ。
☆
ミリアムはリザ相手に愚痴をこぼしていた。
「どうして、愛してるって言うくせに、その次を言えないのかしら!?」
恋愛小説をテーブルの上に山のように積んで、ミリアムはぷりぷりと怒る。
「ほら見て! 本の中の王子様は、愛してると言ったあと、決まって結婚してくれ、とか、付き合ってくれ、とか言うのよ!」
恋愛小説の一冊を開き、リザの目の前に突きつける。
リザはくすくすと笑いながら、ミリアムから小説を受け取った。
「そうですねぇ、確かに、アスヴィル様はあと一押しがたりませんね」
「そうでしょう!?」
「でも、ミリアム様も、小説の中のお姫様のように素直ではありませんよ」
「う……」
リザに指摘されて、ミリアムは口を尖らせた。
「だって……」
「ミリアム様も、もう少しアスヴィル様に優しくなさらないと」
「……だって、アスヴィルが……」
「アスヴィル様は、お優しいでしょう?」
ミリアムはぷうっと風船のように頬を膨らませる。
「リザってば、どっちの味方なのよ」
リザはにっこりと微笑んだ。
「わたしはお二人の味方でございます。だから、ミリアム様も、もう少しだけ、アスヴィル様に歩み寄らなくてはいけませんよ」
「……うー」
「ツンツンしてばかりでは、アスヴィル様もどうしていいのかわかりませんよ?」
「でも……、好きなんて、言えないし……」
「言えないのなら、態度で示せばいいのです」
「どうやって?」
「そうですねぇ……」
リザはぱらぱらと小説をめくった。
「例えば……、ほら、こうして腕に甘えてみるとか」
「無理!」
「じゃあ……、デートに誘ってみるとか?」
「もっと無理!」
「……。抱きついてみますか?」
「絶対無理ぃ!」
「―――ミリアム様」
「だってぇ……」
ミリアムは瞳を潤ませてリザから小説を受け取った。
小説の中のお姫様は、可憐なようでいて、なかなかの行動派だ。ミリアムのように「好き」と言えないなんて初歩的なことで悩まない。むしろ頬を染めて、いじらしく「お慕いしています」なんて自ら告げている。
しかし、ミリアムには到底無理だ。
ミリアムは、自分がこんなに恋愛下手だとは思わなかった。ほかのことなら後先考えず好き勝手に行動できるのに、アスヴィルには簡単な一言すら言えないのだ。
「アスヴィルがわたしの気持ちを汲んで先回りして動いてくれればいいのよ!」
「人の心が読めるわけではあるまいし、そんなに都合のいい話はありません」
スパン、とリザに一刀両断されて、ミリアムはクッションを抱きしめて不貞腐れた。
「アスヴィルが悪いのよ」
「またそうやって……」
リザがあきれてため息をついた時だった。
部屋の扉がノックされて、リザはソファから立ち上がった。
「どちら様ですか?」
主人が絶賛不貞腐れ中なので、かわりに相手に訊ねると、扉の外から「ガーネットですわ」と返答がある。
ミリアムはがばっと顔を上げると、クッションを放り出して立ち上がった。
リザが視線で「どうしますか?」と訊ねると、ミリアム自ら扉に歩み寄り、ガーネットを迎え入れる。
つい二週間ほど前、アスヴィルと仲良く庭を散歩していたブルネットの女は、ミリアムを見て、にっこり微笑んだ。
ガーネットがアスヴィルに寄り添っていた光景が脳裏に蘇って、ミリアムはムカムカしながらその笑顔を受け止める。
「何の用?」
できるだけツンケンしないように努めようとするが失敗して、ミリアムは不機嫌そうな声でそう訊ねた。
ガーネットは機嫌の悪いミリアムにもこれっぽっちも動じることなく、ぱらりと扇を広げると、優雅に口元を隠して口を開く。
「今日は、ミリアム様にお願いがあってまいりましたの」
「なんの?」
ガーネットは双眸を細めると、挑発的に笑った。
「ミリアム様、もう、アスヴィル様を開放していただけませんこと?」
「は?」
「いつまでも、アスヴィル様のお気持ちを宙ぶらりんのままになさらないで下さいと申し上げているのですわ」
「なによ、それ」
ミリアムの額に青筋が浮かんだ。
けれども、ガーネットの心臓は鋼ででもできているのか、リザなら真っ青になるであろうミリアムの冷ややかな視線を、彼女は堂々と見つめ返す。
「その気もないのに、いつまでもアスヴィル様のお気持ちを独占しないでいただきたいのです」
「だから、なんの権利があってそんなことを言いに来たのよ」
ミリアムの声がぐっと低くなる。
ガーネットはパチンと扇を閉ざすと、細い首を傾げた。
「あら、ご存じないんですの?」
「なにが!?」
「わたくし、アスヴィル様の花嫁候補ですの」
「―――!」
ミリアムは大きく目を見開いた。
茫然として何も言えなくなったミリアムに、ガーネットはブルネットの髪を指に巻きつけながら、
「ね? いつまでも、アスヴィル様を独り占めしないでくださいませ」
ふふ、と笑って、話は終わったとばかりにガーネットは背を向ける。
声もなく立ち尽くしたミリアムは、パタン、と目の前の扉が閉まっても、そのまま動けなかった。
「なんなんですか、あの女!? 塩! 塩をまきましょう!!」
リザが憤然と言うが、ミリアムは答えられなかった。
(花嫁……候補?)
アスヴィルにそんなものがいたなんて、知らなかった。
リザが本当に塩を取りに部屋を出て行くと、ミリアムは力なくその場に座り込む。
「……花嫁、候補……」
ミリアムだけでは、なかったのだ。
「嘘つき……」
ミリアムの目に、みるみるうちに涙が盛り上がっていく。
「アスヴィルの、嘘つき……」
――愛していると、言ったくせに。
ミリアムはきゅっと唇をかみしめると、立ち上がって部屋を飛び出した。
(アスヴィルなんか、大嫌い!!)
そうして、ミリアムは黙って城から飛び出した――




