好きと言えなくて 1
アスヴィルが離宮に来てから三日。
ミリアムはついにアスヴィルとの生活に耐え切れなくなり、城へ戻ることにした。
アスヴィルとほぼ二人きりの生活にミリアムの心臓がもちそうになかったのだ。
城に戻ってきたミリアムは、アスヴィルから届けられたクッキーを口に運びながら、はあ、とため息をこぼしていた。
ミリアムのためにローズティーを煎れながら、再びお菓子が食べられるようになった主に、リザが安心したような表情を浮かべている。
アスヴィルは大声で愛を叫ばなくなったが、相変わらず、菓子とともに「愛している」と書かれた手紙を届けてくる。ミリアムは読み終えた手紙をテーブルの上において、リザを振り返った。
「ねぇ、リザ。あなた、誰かを好きになったこと、ある?」
「……え?」
リザは目を丸くして手を止めた。
「だから……、誰かを、好きになったことある?」
ミリアムは頬をピンク色に染めて、クッキーを口に入れる。
リザはミリアムにローズティーの入ったカップを差し出すと、そのまま彼女の隣に座って、その顔を覗き込んだ。
「ミリアム様、自覚されたんですか?」
「なにが?」
「アスヴィル様のことです!」
ミリアムはクッキーをのどに詰まらせた。
「な、な、なんで! なんでアスヴィルなんか!」
その慌てふためきように、ミリアムが子供のころからそばに仕えていたリザはピンときた。
「やっぱり。自覚されたんですね」
「……自覚って、なによ」
とぼけたようにそっぽを向くミリアムに、リザは優しく微笑む。
「だってミリアム様、もうずっと前から、アスヴィル様のこと好きじゃないですか」
「―――、……え?」
ミリアムはたっぷりと沈黙し、それから瞠目した。
そんなはずはない。アスヴィルのことは大嫌いだったはずだ。けれどもリザは言う。
「わたしの知る限り、たぶん、ミリアム様が十五歳くらいの時からですよ」
「うそよ!」
ミリアムは真っ赤になった。
「本当ですよ。そのころから、ミリアム様がアスヴィル様を見る目つきが変わりましたもの。わたしにはわかります」
リザが姉のような顔をして言うのを、ミリアムは茫然として聞いた。
(うそよ! だって、わたしはあいつのこと、大嫌いだったんだもの!)
だが、思い返してみれば、アスヴィルの顔を見るたびに心臓がおかしくなりそうになったのは、十五歳くらいの時からだった気がする。
きっかけは何だったかわからない。手紙か、お菓子か―――。けれど、そのころからおかしかったのは確かだった。
(やだ……。わたし、そんなに前からアスヴィルのこと、好きだったの……?)
ついこの前だと思っていた。
あまりに愛していると言われすぎて、きっと絆されてしまったのだ、仕方がないと心のどこかで思っていた。
それなのに、そんなに前から好きでいたなんて――
ミリアムはローズティーを飲みながら、にこにこと微笑んでいるリザを見上げた。
そして蚊の鳴くような小さな声で、
「違うもん……」
自信のなさそうな、つぶやきを返したのだった。
☆
「気持ち悪い」
シヴァは笑み崩れている友人に向けて、そう冷たく吐き捨てた。
離宮から城に戻ってきたアスヴィルは、なぜかひどく上機嫌で、執務室でシヴァの仕事を手伝いながら、常ににやにやと笑っていた。
最初は我慢していてシヴァであるが、いい加減我慢の限界だった。
だが、うっかりその笑顔についてコメントしたことを、彼は次の瞬間大いに後悔する羽目となった。
「ミリアムが可愛いんです!」
ぱっと顔を上げた友人は、花でもまき散らしそうなほどデレデレした顔でのろけた。
どうやら離宮で二人の関係に何らかの進展があったらしいと推測したシヴァだが、誰が好き好んで、妹と友人の色恋沙汰の話を聞きたいものか。砂を吐きそうだ。ということで、シヴァは「よかったな」と一言だけ返して、書類に視線を落とした。しかし。
「ミリアムが、お茶に付き合ってくれるんです!」
ぽいっと書類を放り出したアスヴィルは、シヴァの仕事を邪魔しに来た。
「このあと、温室でお茶するんですよ! すごい進歩じゃないですか!?」
シヴァに言わせれば、この十一年、一緒に茶すら飲めていなかったことの方が驚きだ。十一年もの間、何をしていたのかわからない。
馬鹿馬鹿しくて聞く気にもなれないが、この友人は話したくてうずうずしているらしい。
シヴァはこの後、ミリアムとの約束の時間まで、延々とアスヴィルののろけ話を聞かされ続ける羽目になったのだった。