愛してると言わないで 1
アスヴィルにはじめて愛していると言われてから、十年ほどたった。
ミリアムは二十五歳になっていた。とはいえ、外見は二十歳程度である。長寿の魔族は、ある一定年齢になると、外見年齢の年の取り方が非常に緩やかになるのだ。
午後、ミリアムは両親に呼ばれ、彼らと温室でティータイムをすごしていた。
ふんわりと緩やかに波打つ金髪を光沢のある白いリボンで一つにまとめ、まるで少女のように青い瞳をキラキラさせているミリアムの母は、おっとりと頬に手を当てて、突然爆弾を落とした。
「それで、アスヴィルちゃんとは、いつ結婚するのかしら?」
「ぶーっ」
ミリアムは口に含んでいたハーブティーをぶちまけた。
「あらあらあら」
ミリアムの母は相変わらずおっとりと、ハンカチで愛娘の口の周りをぬぐう。
にこにこと優しい微笑みを浮かべている父が、その隣で、テーブルの上を拭いていた。
ミリアムの父である魔王は、黒髪に黒い瞳の華やかな顔立ちをしている。髪の色と瞳の色こそシヴァと同じだが、優男風の柔らかい外見はセリウスの方が受け継いでいた。
「お、お、お母様! なんてことを言うの!?」
「あらぁ、だってー」
「だってー、じゃないわよ! 何度も言うけど、わたしとアスヴィルは何の関係もないの! 無関係!! 結婚なんてありえないわ!」
「えー」
「えー、じゃなくて!」
ミリアムの母は途端悲しそうな顔になって、夫である魔王の胸に甘えた。
「あなたぁ、ミリーちゃんが、結婚しないって」
すると、妻にベタ惚れな父が、すがるような目でこちらを見やった。
「結婚しないのか、ミリアム」
しかし、ミリアムはそんな視線で折れたりはしない。
「しないわよ!」
きっぱり否定する娘に、二人は落胆を隠せないようで、はあ、と肩を落とした。
「ミリーちゃん、アスヴィルちゃん、かっこいいじゃないの。どこが嫌なの?」
「全部よ!」
「全部って、どこ?」
「どこって……」
ミリアムはアスヴィルの顔を思い出した。
短めのシルバーグレーの髪に、青灰色の知的そうな双眸。顔立ちはシャープで、かなり整った部類に入ると思う。眉間のしわは玉に瑕だが、リザはそれがチャームポイントだと言っていた。
背は高く、がっしりしているが、筋肉がつきすぎているというほどでもない。抱きとめられると、安定感が――
ミリアムはそこでぶんぶんと首を振った。
うっかり十五歳の時に、木から落ちて抱きとめられた時のことを思い出してしまった。
「とにかく、全部よ!」
ミリアムはまだ納得がいかなそうな母の視線は無視をして、煎れなおされたハーブティーを口に運んだ。
どこが気に入らないのかと問われれば、正直具体的には上げられない。
でも、ミリアムにとってアスヴィルは天敵なのだ。それは、五歳の時から変わらない。
ミリアムの母はしょんぼりすると、夫によしよしと頭を撫でられながら言った。
「あのねぇ、パパとママ、そろそろ田舎に引っ込もうと思うのぉ」
「は?」
「シヴァちゃんも、もういい年だし、魔王になってもらっても、いいんじゃないかなーってパパが」
ねー? と妻に同意を求められ、父は微笑んで頷いた。
「本当はもっと早くに隠居するつもりだったんだが、お前が産まれたし、もう少しここにいてもいいかと、代替わりを先延ばしにしていたんだ」
「そうなの……」
ミリアムは少し寂しくなった。ミリアムはこのバカップル夫婦の両親が嫌いではないのだ。
「だから、せめてミリーちゃんが結婚してくれればいいのになぁって思ったんだけど」
「なんでそこはお兄様たちじゃなくて、わたしなの」
「だってぇ、セリウスちゃんはミリーちゃんが結婚しないと結婚しそうにないし、シヴァちゃんに至っては、馬鹿馬鹿しいって言って相手にしてくれなんだものぉ」
「なるほど、それでわたしなの……」
「だから、ね? アスヴィルちゃん、いいと思うのー」
「いやよ」
「……チッ」
おっとりした母の口から、小さな舌打ちが聞こえた。だが、ミリアムは聞かなかったことにする。このおっとりした母は、スイッチが入ると口が悪くなるのだが、そういうときは関わらない方が賢明なのだ。
母の毒舌が飛び出す前に、ここは退散した方がいいなと、ミリアムが立ち上がりかけたその時。
ドカーン!
遠くで何かが爆発するような音がして、ミリアムは額を抑えた。
まただ。
この十年、嫌というほど聞いてきた音である。
犯人は、ミリアムの次兄セリウスと、数年前にグノーから代替わりして七侯の一人になったアスヴィルだった。
あの二人は恐ろしく仲が悪く、何かにつけて城の中で喧嘩をして爆発を起こしている。
十年続いていることなので、両親もすっかり慣れっこだった。
「あらあら、またやってるのねぇ」
突如響いた爆発音に、毒舌スイッチを入れ損ねた母は、おっとりと頬に手を当てた。
ミリアムは、はあ、とため息をついた。
「今度はなんで喧嘩しているのかしら」
母は、ミリアムの発言を聞いて、不思議そうに首を傾げた。
「あらぁ、理由なんて、決まってるじゃないの」
「え、そうなの?」
ミリアムの母は、楽しそうに目を三日月の形にして、にんまりと笑った。
「あの二人の喧嘩なんて、ミリーちゃん、あなたの取り合い以外あるはずがないでしょう?」
ミリアムは瞠目した。
「ふふふ、ミリーちゃん、もてもてねぇ」
いや、そのうち一人は実の兄なのだが。
だが、ミリアムは突っ込みたくても、突っ込む気力がなかった。
十年続いたこの騒動の原因が、まさか自分にあったなんて、これっぽっちも気がついていなかったのである。