甘いお菓子につられて
ミリアムは小さな箱の中から溢れそうなほど、こんもりと盛り上がった手紙の数々に頭痛を覚えていた。
そこには、アスヴィルから贈られた手紙が入っている。
届いた途端に燃やそうとしたのだが、リザが「かわいそうです」と言ったため、燃やすことだけは許してやることにして、こうして箱の中に入れていたのだが――
(なんなのこれ、新手の嫌がらせ!?)
日に日に、手紙は増えていく。
ピンクやら黄色やらオレンジやらのカラフルな手紙は、もう三十通くらいになっただろうか。
決して手紙の中身は読んでいないが、ここまで増えると、怖いもの見たさで一つ開けてみたくなるから不思議だった。
ミリアムはそろそろと手を伸ばし、一番上にあった手紙を一つ手に取った。
蝋で封をしてある封筒を開け、二つ折りの手紙を引っ張り出す。
恐る恐る書いてある文面に視線を走らせ、ミリアムは目を見開いた。
――愛している。
時事の挨拶から他愛ない話を経て、手紙の最後は、そう締めくくられていたのだった。
☆
シヴァはもう、本当に嫌になっていた。
シヴァの部屋のソファの上で、クッションを抱きしめ、ゴロゴロしている友人を見やる。
この男はここを駆け込み寺か何かと勘違いしているのではないだろうか。
最近アスヴィルはほぼ毎日のように城を訪れている。
そうして、シヴァの部屋に来ては、こうして一日をすごして出て行くのだ。ものすごく迷惑である。
それもこれも、ミリアムのせいだ。
ミリアムに恋したこの友人は、しかしミリアムに嫌われているという事実を知って慄き、しかしミリアムの姿を一目見たいとこうして城に訪れている始末だった。
シヴァの部屋でいそいそとミリアムへあてた手紙をしたためるのもやめてほしい。
せめてミリアムから一通でも返事が戻ってきていたら、アスヴィルも少しはシヴァの部屋から出て、ミリアムの様子を見に行くなりなんなりするのだろうが、あの愚妹ぐまいは一通の返信も送らない。
まあ、あれだけ嫌っている男からの手紙だ。燃やすか何かして、そもそも開けていない可能性が高いだろう。
アスヴィルがミリアムに恋をしてひと月がすぎた。シヴァの目には何ら進展していないように見える。
けれどもこの友人は、あれだけ嫌われていてなお、諦める気はないらしい。
アスヴィルの密かな趣味によって焼かれたチョコチップクッキーが、シヴァの目の前に山のように積んである。本当はミリアムに持って行きたいらしいのだが、勇気が出ずに持っていけないらしいのだ。そのため、こうしてシヴァの部屋において行くのだが。
(まあ、美味いから、かまわないが……)
最初はこんな甘いものを持ってくるなと文句を言っていたシヴァであるが、興味本位で口に入れたこのクッキーの味に魅了されてしまっていた。だからと言ってこんなに山のようには必要ないのだが、気に入っているからアスヴィルが持ってくることをもう拒まない。
シヴァはクッションを抱えて悶々としている友人を見て、少し憐れになった。
使用人を呼びつけて、アスヴィルが焼いたクッキーを数枚紙に包んで持たせ、ミリアムにもって行けと告げる。
そうしてシヴァは、この勝ち目のない友人の初恋が、少しでも好転することを願ったのだった。
☆
果たして、シヴァの作戦は功を奏した。
シヴァからと言って届けられてクッキーをミリアムはお気に召したのだ。
「やだぁ、なにこれ、美味しい!」
天敵が作っているとは露とも知らないミリアムは、届けられたクッキーぺろりと平らげた。
そして、このクッキーを持ってきた使用人を捕まえると、シヴァにまた届けてくれるよう、伝言を言づける。
こうして、定期的にミリアムの部屋にチョコチップクッキーが届けられるようになったある日のことだ。
コンコンと部屋の扉がノックされて、ミリアムは手ずからその扉を開けに行った。
リザはミリアムが用事を頼んだので部屋にいないのだ。気に入ったもの以外近くにおかないミリアムの部屋には、普段、メイドはリザしかいないのである。
ミリアムは部屋の扉を開けて、そこに立っていた長身の厳つい顔をした男を見て、ものすごく嫌な顔をした。
それと同時に、ドクンと心臓が妙な音を立てる。
しかしミリアムは早くなった鼓動には気づかないふりをして、つっけんどんに言った。
「何の用よ」
アスヴィルはうっすらと頬を染めて、腕に抱えていた籠を黙って差し出した。
「なによこれ」
ミリアムは訝しがりながらもそれを受け取り、ふたを開けて目を丸くした。
そこには、ミリアムが大好きなチョコチップクッキーが山のように入っていたのだ。
ミリアムはぱあっと顔を輝かせて、しかし持ってきたのがアスヴィルだったので、つんと澄まして言った。
「なんなのよ、これ」
「ミリアムが好きだと、シヴァ様が言っていたから持ってきた」
(お兄様、余計なことを!)
このチョコチップクッキーの製作者がアスヴィルと知らないミリアムは、心の中でシヴァの腹を蹴飛ばした。
だが、この山のようにある好物をつき返すのはかなり惜しい。
でも、素直に受け取るのも悔しい。
ミリアムはツンツンしながらも大事そうに籠を抱えて言った。
「なんであんたがこれを持ってくるのよ。いっつもお兄様が差し入れてくれてたはずだけど?」
正確には、シヴァが言づけた使用人が差し入れで持ってきていたのだが、些末なことはどうでもいい。
アスヴィルは少しはにかんだように笑った。
アスヴィルの笑顔をはじめて目にしたミリアムは、愕然と目を丸くする。
(なによ……、こいつ、笑えるんじゃない)
いっつも難しい顔をしているのかと思っていた。ミリアムはまた心臓が変な音を立てたことに気づいたが、気づかなかったふりをした。
「それは、俺が作ってシヴァ様に渡していたんだ」
「へえ、そうなの、あんたが作ってお兄様に―――」
鸚鵡返しに言いかけて、ミリアムはギョッとした。
「ちょっと待ちなさいよ! あんたが作った!? これを!?」
「ああ」
「冗談でしょ!?」
「本当だが」
ミリアムは籠の中身を見下ろした。
甘い香りを漂わせている、すごく美味しいチョコチップクッキーだ。間違いなく、ミリアムが今まで口にしたお菓子の中で、一番おいしい。
(うそでしょ!?)
この厳つい顔をした大男が、どうやったらこんなに繊細で美味しいお菓子を作れるというのだ。想像できない。
ミリアムは製作者が判明したこのクッキーを、つき返してやりたい衝動にかられた。しかしそれをしなかったのは、このクッキーが二度と食べられなくなることを恐れたからだった。製作者はいけ好かないが、これは食べたい。
ミリアムは数秒の葛藤ののち、籠を大事そうに抱えなおすと、アスヴィルに背を向けた。
「そう。じゃあ、これはもらっておくわ」
「ミリアム」
「なに?」
ミリアムはそのまま扉を閉めようとしたが、アスヴィルに呼び止められて肩越しに振り返った。いつものように強気に出ないのは、目の前の好物があるからである。アスヴィルは嫌いだが、怒らせてこのクッキーを没収されるのは困るのだ。
アスヴィルはじっとミリアムを見つめたのち、眦を赤く染めてこう言った。
「愛している」
ばさ、とミリアムは手に持っていた籠を取り落とした。
それからというもの、アスヴィルは頻繁にミリアムの部屋を訪れるようになった。
部屋を訪れる時は決まってアスヴィルお手製のお菓子を持ってくる。ミリアムは嫌な顔をするものの、お菓子まで逃げられては困るので、以前と比べると厭味や暴言や我儘は控えて接するようになった。
とはいえ、まったくゼロということもなく。
「前のフィナンシェ、少し甘かったわ」
「そうか」
「シフォンケーキのときは生クリームがなくては嫌よ」
「わかった」
「珈琲味は苦いから嫌。ココアがいいわ」
「そうか、そうしよう」
ツンツンしながらプレゼントされたお菓子にケチをつけたりしている。
それでも、以前のアスヴィルならば、目をつり上げて怒っていたような気がするが、なぜか彼は怒り出すこともなく、にこにこしながらミリアムの文句を聞いていた。
そのせいか、ミリアムは拍子抜けしてしまって、以前であれば、顔を見るだけで蛆虫を見たような表情になっていたのだが、自然と普通に接することができるようになっていた。
今日も、ミリアムはアスヴィルにもらったカトルカールを前に、ご満悦の表情でフォークを握っていた。
そんな主に、リザが紅茶を煎れながら小さく微笑む。
「最近、アスヴィル様と仲がよろしいですね」
ミリアムはうぐっとカトルカールを喉に詰まらせた。
リザが慌ててミリアムの背中をたたく。
ミリアムは何とか喉に引っかかったカトルカールを飲み下すと、赤い顔をして否定した。
「あ、あんなやつと、仲良くなんかしてないわよ!」
「そうですか?」
「そうよ! すべて、このお菓子のためよ! 表面上の付き合いよ!」
「はいはい」
リザはくすくすと笑った。
ミリアムは理解されていないような気がして、ぷうと頬を膨らませる。
そうだ。すべてはアスヴィルが持ってくるお菓子のためなのだ。決して仲良くしているつもりはない。
ミリアムはちらりと部屋の隅においてある大きな箱を見た。
箱の中には、アスヴィルから贈られてくる手紙が入っているが、それは日に日に増えていく。
(何が、愛している、よ……)
いまだに、ミリアムにはさっぱりわからなかった。
なにがどうなって、アスヴィルに「愛している」と言われることになったのだろう。
わからないが、ミリアムは箱の中にたまっていくアスヴィルからの手紙を、リザがいないときにこっそりと開けて読んでいた。
その手紙は、必ず「愛している」の一言で締めくくられる。
ミリアムは手紙の内容を思い出して、うっすらと頬を染めた。
(なによ、アスヴィルのくせに)
ミリアムはアスヴィルが嫌いだ。それなのに、あの手紙を読むたびに、心臓がどきどき言うのが腹立たしくてしょうがない。
ミリアムは今まで、家族以外の誰かに「愛している」と言われたことがなかった。胸がどきどき言うのは、きっとそのせいだ。
だが、眠る前などにふと思い出してしまう。
あの低い声で「愛している」と言ったアスヴィルの顔を。
「―――!」
ミリアムは慌てて首を振って、大きめに切ったカトルカールを口の中に押し込んだ。
もぐもぐと咀嚼して飲み込むと、リザが煎れてくれたミルクティーで喉を潤す。
(あんなやつ、絶対に好きになったりしないんだから!)
ミリアムはその日、アスヴィルが持ってきたカトルカールのワンホールすべてを、やけくそのように完食したのだった。