序章
――それは、沙良がシヴァに連れられて離宮を訪れていたころのことだった。
「元気にしているかしら、沙良ちゃん」
アスヴィルの膝の上に座り、恋愛小説を読んでいたミリアムは、本から顔を上げると、はあ、と憂鬱そうなため息をついた。
さすがの兄セリウスも、夜まではアスヴィルとミリアムの仲を引き裂くための妨害工作を画策しないので、夕食後はアスヴィルと二人きりのゆっくりとした時間をすごせる。
アスヴィルはミリアムを抱きしめると、彼女の艶やかな赤い髪を撫でた。
「淋しいのか?」
「もちろん淋しいわ」
「……俺がそばにいるのに?」
少し拗ねたように言う夫に、ミリアムは思わず笑ってしまった。沙良にまで焼きもちを焼かなくてもいいのに。
「あなたはあなた、沙良ちゃんは沙良ちゃんよ。それにちょっと心配なのよ、離宮には変人ジェイルがいるもの」
あの男は根は良いのだが、かなりの変態だ。ミリアムは今でも覚えている。
ミリアムがちょうど十五歳くらいの時だっただろうか。はじめて離宮を訪れてジェイルと会ったとき、あの変態は初対面のミリアムに向かってこう言ったのだ。
―――あなたの血を吸わせてください。
当時、今よりも血の気の多かったミリアムは、そのあと「この変態野郎!」とジェイルをボコボコになるまで殴って地中深くに埋めた。
「あのジェイルか……。まあ、シヴァ様がいるし、心配しなくとも大丈夫だろう」
「そうだといいけど」
ミリアムは小説を閉じて、こてん、とアスヴィルの胸に体を預けた。
アスヴィルの心臓の音を聞きながら、何気なく壁を見て、そこにかかっているカレンダーの存在に気がつく。
「あらやだ」
カレンダーに赤丸がしてある日にちを見つけて、ミリアムはアスヴィルを見あげた。
「もうすぐ、わたしたちの結婚記念日じゃない」
「ああ、五回目の記念日だ」
アスヴィルが幸せそうにへらっと笑う。厳つい顔のくせに、笑み崩れているときは可愛いと思ってしまうのだから、ミリアムも大概である。
ミリアムはカレンダーの日付に視線を戻し、感慨深くつぶやいた。
「そう。もう五年になるのねぇ……」
きっと、五年前の自分は、五年後、アスヴィルとこうしてイチャイチャしていることなど想像できないだろう。
(大っ嫌いだったのに、わからないものよねぇ……)
ミリアムは苦笑して、結婚前する前を思い出した。