離宮は今日も大騒ぎ
シヴァはうんざりしていた。
沙良を連れて離宮に戻ると言ったシヴァに、なぜか四人もついてくると言い出して、想定外のエルザとバードもつれて離宮に戻ってきたまではよかった。
それから、なぜか女子会をすると言い出したリリアにエルザと沙良が連れ去られ、静かに夜を過ごそうと思っていたシヴァの元へジェイルとバードがやってきた。
「それで、どうすればいいと思いますか!」
頭を抱えたジェイルは、顔を赤く染めて叫んだ。顔が赤く染まっているのは酒が入っているからだ。たいして強くもないくせに赤ワインを一気に飲み干すからそういうことになる。
シヴァはウイスキーの入ったグラスを揺らしながら、白けた目をジェイルに向けていた。
バードもウイスキーを片手にクルミを口に入れながら、ジェイルに冷たい視線を投げている。
「どうすればいいのか聞きたいのはこっちだ。ジェイルが馬鹿なことをしたせいで、こっちまでプロポーズしにくくなっただろう」
なんなんだ。シヴァは少しイラっとした。こいつらはここを駆け込み寺と勘違いしているのではないだろうか。シヴァは寝酒を飲んだ後は静かに眠りたいのだ。それなのに勝手に押しかけて、くだらないことばかり並べているのはどういうことだ。
「バードはまだいいだろう、二番煎じじゃないんだから! 僕はもう一回聞かれてるんだよ。同じセリフなんて言えるわけないじゃないか……。どうしよう。どうしたら……」
ジェイルは唐突に立ち上がると、部屋の中をぐるぐると歩き回りはじめた。もともとおかしな男だが、酔いもあって、輪をかけておかしくなっているらしい。
シヴァはカラカラとウイスキーのグラスに入った氷を揺らしながら、目の前をちょろちょろと歩き回るジェイルに向かって無言でクッションを投げつけた。
「ぶっ」
顔面でクッションを受け止めたジェイルが、よろけた足をもつらせてその場にしりもちをつく。
「い、いたたた……」
「鬱陶しいな、帰れ!」
「そんな! 相談にのってくれたっていいじゃないですか! ―――そうだ! シヴァ様はどんなプロポーズをなさったんですか?」
ジェイルはシヴァのそばまで這っていくと、救世主を見たかのようにキラキラとした瞳でシヴァを見上げた。
なぜかバードまで興味津々な視線を向けてくる。
シヴァは顔をしかめた。
「そんなもの、していない」
シヴァが面倒そうに答えると、二人の目が丸くなる。
「え?」
「シヴァ様、プロポーズなさらなかったんですか?」
「……だったらなんだ」
シヴァはジェイルをじろりと睨んだ。だが、酔っぱらっている彼は睨まれたくらいではひるまないらしい。拳を握りしめて意味不明なことを言いだした。
「シヴァ様! プロポーズと言うのは女性の憧れですよ! 夢ですよ! それなのに、プロポーズしていないなんて……、沙良ちゃんがかわいそうですよ! きっと心の中で泣いていますよ! 今からでも遅くありません! 僕たちと一緒に沙良ちゃんにプロポーズしましょう! きっと喜びます!」
「……」
この酔っ払いめ、とシヴァは舌打ちする。沙良にプロポーズ? そんな暇もなく嫁にしたのだから今更何を言えというのだ。馬鹿馬鹿しい。
シヴァはウイスキーを一気に飲み干すと、プロポーズ計画を練っている二人を見て嘆息した。
そんなに必死になるほど、プロポーズとやらは大事なのだろうか。
(くだらない……)
シヴァはからになったグラスにウイスキーをつぎ足して、やけ酒のようにグラスをあおった。
☆
「うそ、シヴァ様にプロポーズされてないの?」
奇しくも、沙良もシヴァと似たようなことでエルザとリリアに問い詰められていた。
沙良は蜂蜜入りのホットミルクを飲みながら、こくんと頷く。
「たぶん。あれはプロポーズじゃなかったと思いますから」
「あれ?」
「あれってなに?」
エルザとリリアがキラキラした目で詰め寄ってくる。
広いベッドの上に輪になるように座り込んで、リリアとエルザはあんず酒を飲んでいた。ほんのり上気した頬を見れば、二人がほろ酔いだと言うのはすぐにわかる。
気持ちのいい程度に酔いも回った今、沙良と魔王シヴァのなれそめの話は格好の酒のつまみだった。だが。
「生贄って言われたんですよね」
ほわわん、とした口調で沙良の口から飛び出した単語に、二人は目を剥いた。
「はい?」
「生贄?」
沙良は邪気のない顔でコクリと頷く。
「はい。お前は俺の生贄だって言われました」
エルザとリリアは顔を見合わせた。それからともにグラスをサイドテーブルの上におくと、左右からひしっと沙良を抱きしめる。
「ごめんね、思い出したくなかったよね」
「あんたも大変だったのね」
「……あのぅ」
どうしてかものすごく同情的な視線を向けられて、沙良は困惑する。やっぱり「生贄」はプロポーズじゃなかったんだなと頭の隅で考えながら、言ってはいけない単語だったらしいと少し後悔した。
「別に、シヴァ様にひどいこととかされてませんよ?」
「生贄って言われたのに?」
「はい。そのあと、改めて花嫁って言いなおしてくれましたし」
「……シヴァ様の冗談って、ジェイル以上に破壊力があるのね」
冗談にされた。いや、冗談だったのか? 沙良はだんだんわからなくなって、はあ、と気の抜けた返事をした。
「そんなことより、エルザさん。ジェイルさんのプロポーズは受けるんですか?」
沙良が話を向ければ、エルザは顔を赤く染めた。
「え、な、何よ急に……」
「だって、ジェイルさんはエルザさんにプロポーズする作戦を練っていたんですよね? ということは、そのうち本当にプロポーズしてくるんじゃないんですか?」
「そうよ! エルザ、受けるんでしょう?」
わくわくした視線を一身に受けてエルザはたじろいだ。
この一か月、ジェイルの心を取り戻すことだけを考えていたので、いきなりプロポーズされる側になると思うと思考がついて行かない。
もちろん、本当にプロポーズされた場合、受ける以外の選択肢はないが、ジェイルにプロポーズをされると考えるだけで顔から火が出るほど恥ずかしかった。
エルザはサイドテーブルの上においたあんず酒を取ると、それを一気に飲み干した。
「わ、わたしのことより、リリア、あんたはどうなのよ! バード様が指輪を用意してるの、わたし知ってるわよ!」
「ええっ?」
リリアは素っ頓狂な声を上げた。
「指輪? うそっ。やだ、どうしよう……!」
リリアは両手で頬をおさえてうつむいた。
「そんな、わたし、心の準備が……」
「わたしだってそうよ! ジェイルと結婚なんて……、考えたことなかったもの」
おろおろしはじめた二人を見て、沙良はちょっとだけ羨ましくなった。
プロポーズされる前にいつの間にかシヴァの花嫁になっていた沙良が、この先プロポーズされる機会は訪れないだろう。
シヴァが結婚してくださいという姿は全く想像できないが、二人を見ていたら、プロポーズされてみたかったなと少し残念に思う。
けれどもシヴァにこの世界に連れてこられて、以前と比べ物にならないくらい幸せをもらったと感じている沙良は、そんな贅沢な悩みは、ホットミルクを飲んで忘れることにしたのだった。
☆
次の日――
目が覚めた沙良がシヴァのいる部屋に戻ったとき、シヴァはものすごく機嫌が悪そうだった。
「どうかしたんですか?」
ジェイルたちなら回れ右をして部屋から出て行きたくなるような様子のシヴァに、沙良は動じることなく声をかける。この世界に来た当初怖くて仕方がなかったシヴァだが、一緒に生活して優しいということを知った沙良は、多少シヴァの機嫌が悪くても気にならなくなった。機嫌が悪くても沙良に向かって当たり散らすようなことはしないからだ。
沙良がそばによれば、シヴァは心なしか穏やかな表情を作る。それでも深く刻まれている眉間の皺に、沙良は首をひねった。
「疲れているんですか?」
なんとなくそんな気がしただけなのだが、どうやら当たっていたらしい。シヴァは頷くと、隣に座った沙良の頭をぽんぽんと撫でた。
「寝不足なだけだ」
「寝不足?」
ジェイルとバードが明け方までシヴァの部屋でプロポーズの作戦を練っていたことなど知らない沙良は、どうして寝不足なんだろうと不思議に思う。さらに、どうしてプロポーズしなかったんだと酔った二人にさんざん絡まれてシヴァの機嫌が最悪なのだが、それも沙良が知るよしのないことだ。
夜中に見回りに来た時に聞こえ漏れた声でなんとなく事情を知っっているゼノが、シヴァと沙良の目の前に朝食を用意しながら小さく笑った。
「昨夜は災難でございましたね」
同情していると言うよりは面白そうに言ったゼノに、シヴァは恨みがましい視線を向けた。
「気づいたなら止めてくれ」
「私が口を挟んだところで、昨日のあの様子でしたら止まらなかったと思いますよ」
確かにそうかもしれない。首を傾げている沙良の横で、シヴァは嘆息する。
本当ならば、静かに過ごすために離宮を訪れたのだが、とんだ騒動に巻き込まれ、ようやく終わったと思えばジェイルたちに絡まれて、まったく静かにすごせていない。
プロポーズでもなんでもいいから、さっさとすませて、早くここから出て行ってほしい。
シヴァの心の声が聞こえたのか、沙良のためにミルクティを入れながら、ゼノが言う。
「残念ながら、もうしばらくかかりそうですよ」
「なに?」
「プロポーズにはシチュエーションが大事だそうです。絶対に頷いていただける最高のプロポーズを探求すると、朝、お二人でお話しされていましたよ」
「……馬鹿じゃないのか」
「それだけ、大切になさりたいのでしょう」
シヴァはうんざりした。つまりは、あの二人が「最高の」プロポーズのシチュエーションとやらに行きつくまで、いつまでもここに入り浸ると言うことだろうか。地下に住みついているジェイルはともかくとして、四人もここに住みつかれては鬱陶しくてかなわない。
離宮に来たのは間違いだったか―――、とシヴァが頭痛を覚えた、そのとき。
「ジェイルの、ばかああああああっ!」
エルザの怒り狂った絶叫が聞こえてきて、沙良は口に入れたイチゴをのどに詰まらせた。
けほけほとせき込む沙良の背中をさすりながら、シヴァが顔をしかめる。
「なんなんだいったい」
唖然としていると、エルザに追い立てられたのだろうか、大慌てのジェイルが部屋に飛び込んできた。
「シヴァ様、少しかくまってください!」
ひっぱたかれたのだろうか。ジェイルの左頬には真っ赤な手形がくっきりと浮かび上がっている。
ようやくのどに詰まったイチゴが取れた沙良は、涙目でジェイルを見上げた。
「何があったんですか?」
「い、いや、ちょっと誤解が……」
「誤解?」
何の誤解だろうと考えていると、「ジェイル!」と叫びながらエルザまで部屋に飛び込んできて、ジェイルがシヴァと沙良の座るソファの背もたれのうしろに非難する。
「ジェイル! あんたまた、メイドに血を飲ませてくれって言ったわねっ」
「違う! 誤解だ! 言ってないっ。僕はただ、君の血は美味しそうだって言っただけ……」
「一緒じゃないのっ!」
「う、うわあああああっ」
エルザに追いかけられて、ジェイルがバタバタと部屋の中を走り回る。
ぴきぴきっとシヴァのこめかみに青筋が浮かぶのを沙良は見た。
(あーあ……)
ただでさえ機嫌が悪かったのに、なんて間の悪い。
シヴァは無言で立ち上がると、走り回るジェイルに足払いをかけて転がすと、カエルがつぶれたような声を上げて顔面から床に突っ伏したジェイルの首根っこを掴んでエルザに向かって放り投げる。
「きゃあああっ」
長身のジェイルを受け止めきれるはずのないエルザは、飛んできたジェイルもろとも床の上に倒れこんだ。
「エルザさん、大丈夫ですか!?」
沙良がびっくりしてソファから立ち上がるが、エルザに駆けよるよりも早く、シヴァにひょいッと抱き上げられる。
「ふえ?」
急に抱きかかえられて目を白黒させる沙良に、シヴァは不機嫌そうな顔のまま告げた。
「もういい。城に帰るぞ」
「え?」
「これ以上、こんな馬鹿騒ぎにつきあいきれるか!」
「ええ!?」
よほど腹に据えかねたらしい。
シヴァに抱えられたまま、沙良はおろおろとゼノを見たが、年配の離宮の管理人は、おそらくシヴァの行動は想定の範囲内だったのだろう、目じりに皺を寄せて穏やかに微笑むと、腰を折って頭を下げた。
「また、お待ちしております」
こうして、沙良は、何が何だかわからないまま、慌ただしく城に帰る羽目になったのだった。