真実はどこまでもくだらない
前触れもなく突然部屋の扉を開けた男を見ても、バードは驚きはしなかった。
エルザが沙良を連れてきた瞬間にこうなることはわかっていた。
バードは腰かけていたソファから立ち上がると、その場に片膝をついて#頭__こうべ__#を垂れた。部屋の扉を開けたのは、魔王シヴァだった。
シヴァのうしろにリリアとジェイルの姿を見た瞬間、バードは己の悪あがきが終わったことを悟った。
「沙良はどこだ」
シヴァはイライラした様子を隠そうとせず問うた。
「エルザと一緒にいます。……エルザたちを連れてきて」
バードは使用人にそう告げると、視線だけを上げてシヴァを見上げた。
「この度このことは、すべて俺の責任です。いかようにも」
諦めたように言うバードに、シヴァのうしろにいたリリアが真っ青になる。
「ま、待ってください、シヴァ様!」
リリアはバードのそばまで駆けよると、その場に膝をついてバードを抱きしめた。
「きっと理由があるはずです!」
リリアはまだ自分をかばってくれるくらいには愛情を持ってくれていたんだな、とバードはこんな時だと言うのに少しずれたことを考えた。
「バード、あなたも黙っていないで理由くらいは話してちょうだい! どうしてこんなことに……」
バードを抱きしめたままリリアが少しだけ怒った顔で睨んでくる。リリアが自分の腕の中に戻ってきてくれたように錯覚して、バードはいっそここで殺されてもいいかなとすら思った。そのとき。
「なんの騒ぎですか?」
のほほん、とした表情を浮かべた沙良が、ひょこっと扉の影から顔をのぞかせた。隣にはエルザがいる。沙良はシヴァの姿を見つけると、ぱあっと顔を輝かせて小走りで近づいた。
「シヴァ様!」
嬉しそうにぎゅうっとシヴァの腕に抱きつく沙良に、不機嫌だったシヴァの表情が緩んでいく。
シヴァは沙良を片腕で抱きしめると、髪を梳くように頭を撫でた。
「沙良……、なんだってお前は、少し目を離した隙にこんなところに攫われるんだ」
「んー、あんまりよくわかってませんけど、シヴァ様がエルザさんから取り上げたあの木の杭は、とっても大事なものだったみたいですよ。わたしと交換で返してくださいってことだったみたいです」
「……は?」
「でも、あれを使う前に話し合ってほしいので、まだ返しちゃだめだと思うんです」
「……はあ」
シヴァのみならず、ジェイルもリリアも不思議な顔をしている。
「それから、わたしは何もひどいことはされてないので、エルザさんとバードさんはお咎めなしにしてほしいです」
「……」
シヴァはバードとエルザを見やってから、沙良に視線を落とし、そっと息をつく。
「……わかった」
「ありがとうございます!」
沙良はにこにこ笑いながら、「よかってですね」とエルザに視線を向けた。
エルザは何が起こったのかわからないと言うようなポカンとした顔で沙良を見ている。エルザだけではない。バードもリリアも、シヴァと付き合いの長いジェイルさえ、奇跡を真にあたりにしたというような茫然とした表情を浮かべていた。
あのシヴァが、魔王シヴァが、たかだか一人の少女の言うことを聞いた。
「……信じられない」
ジェイルがぼそりと言えば、シヴァがじろりと睨んだ。
「何か言いたいことでも?」
「い、いえ、なにも」
ジェイルは慌てて首を振ると、扉の前に立ち尽くしているエルザの方を向いた。
「エルザ……」
エルザはジェイルと視線があった途端、ぷいっと顔をそむけてしまう。
ジェイルがしょんぼりとうなだれるのを見て、沙良はやっぱり妙だと感じた。
(ジェイルさんはエルザさんが好きで、リリアさんはバードさんが好き。これ、間違いじゃないと思います)
エルザは問いただしたときに誤魔化されたと言った。けれど、ジェイルがリリアに求婚したという事実と理由を確認しない限り、先には進まない気がする。
部屋の中に奇妙な沈黙が落ちる中、沙良は空気を読まないふりをして口を開いた。
「ジェイルさんはどうしてリリアさんに求婚したんですか?」
――容赦なく投下された沙良の爆弾発言に、部屋の空気が凍り付いた。
エルザとバードが再起不能なまでに打ちのめされたような顔をし、ジェイルとリリアが顔を真っ赤に染めて硬直したため、使用人に紅茶を用意させて、とりあえず落ち着くことにした。
悪気のない顔で紅茶を飲んでいる沙良を見下ろし、シヴァはそっと嘆息する。他人のことにあまり口を出すなと助言した気がするが、この嫁はどうやっても人のことに首を突っ込みたいらしい。
「沙良……、これにどうやって収集をつける気だ?」
エルザとバードは地獄に叩き落されたような表情を浮かべている。一方ジェイルとリリアは気まずそうにもじもじしているのだから、シヴァはどうしていいのかわからない。むしろこの四人を放っておいて、沙良を連れて離宮に帰りたいくらいだ。
沙良はちらっとジェイルを見て、もう、と口を尖らせた。
「ジェイルさん。ジェイルさんがリリアさんに求婚なんてするからこんなことになったらしいですよ。ジェイルさんはどう見てもエルザさんが好きなのに、なんだって求婚なんてしたんですか」
沙良は容赦がない。
ジェイルは顔を赤く染めたままエルザを見て、リリアを見た。それからもう一度エルザを見ると、観念したように息を吐きだす。
「全部誤解なんだよ」
ジェイルは紅茶に口をつけて、言いにくそうに口を開いた。
☆
およそひと月前、ジェイルは悩んでいた。
エルザと恋人同士になって五年。そろそろ、新しい関係へ進んでもいいころのはずだ。
だが、三日前もエルザを怒らせたばかりで、エルザを頻繁に怒らせているジェイルはエルザにプロポーズをすることに躊躇いを覚えていた。プロポーズをして断られたらどうしようと臆病風に吹かれてしまったのだ。
悩んでいたジェイルは、たまたまバードの屋敷に行くついでに離宮を訪れていたリリアに相談することにした。
ジェイルの相談を聞いたリリアは唖然とした。
「馬鹿ねぇ。恋人がほかの女性に血をくださいなんて言ってたら、わたしだっていやだわ。エルザが怒るのも当然よ」
「そ、そんなものなのかな」
「当り前でしょう? そんなに血が飲みたいならエルザに頼みなさいよ。なんでエルザには言わないの」
「……エルザが痛い思いをするのは可哀そうじゃないか」
「意味がわからないわ」
はあ、とリリアは息を吐きだした。
「だったら血を飲むのをやめなさいよ。別に普通の食事で生きて行けるでしょう」
「生きていけるけど、仕方ないだろう。こればっかりは衝動なんだ。って、そんなことを相談してるんじゃないんだよ。どうしたらプロポーズを受けてくれるかが問題なんだ」
ジェイルは用意した指輪をいじりながらもじもじしはじめる。
リリアはあきれた。
「そんな心配しなくても、エルザはあなたのことが大好きなんだから、普通にプロポーズすれば受けてくれるわよ。……念を押すようだけど、普通によ。わかった? いつもみたいに頓珍漢なことをすると、真面目に受け取ってもらえないわよ?」
「頓珍漢ってなんだよ。僕はいつも真面目だ」
「……そう言い切れるあなたを、ある意味尊敬するわ」
ジェイルはしばらくもじもじしていたが、突然パッと顔を上げた。
「そうだ。リリア、練習相手になってよ」
「……は? 何の練習?」
「プロポーズだよ。本番で失敗したらいけないから。それに、おかしかったら指摘してほしい」
こうして、ジェイルはリリア相手に、エルザへのプロポーズの練習をすることにした。
☆
「つまり……、お前はリリア相手にプロポーズの練習をしていて、それをうっかりエルザに見られたというわけか?」
シヴァからのあきれたような視線を受けて、ジェイルは小さく縮こまった。
エルザも茫然としていたが、次の瞬間、ジェイルのそばまで寄ると、容赦なくその襟元を締め上げる。
「なによそれ!? この一か月悩んだわたしはなんだったの!」
「だ、だから、勘違いだって言ったじゃないか」
「勘違いだ、の一言ではいそうですかって納得できますか! 信じられないっ。何ですぐに言わないの!?」
「だ、だって……、君へのプロポーズの練習をしていました、なんて、言えるわけないじゃないか。それこそプロポーズ作戦が水の泡……」
「ばっかじゃないのっ」
エルザはもう一度ジェイルに向かって怒鳴ったあと、力が抜けたようにへなへなとソファに沈み込んだ。
「……もう、本当に、わたしは一体なにをしていたの……」
そのまま顔を覆ってしまったエルザに、ジェイルはおろおろしはじめる。
一方バードも、ジェイルの話を聞き終わって茫然としていた。
「リリア……、じゃあ君は、ジェイルと結婚しないんだね?」
「あ、当たり前じゃない!」
リリアは、まさかジェイルのプロポーズの練習つきあっている光景をバードに見られていたとは思わなかった。
「でも君、あの時は顔を赤くして、嬉しそうだったじゃないか」
どこまではっきり見られていたのだろう。リリアは穴があったら入りたかった。
リリアは顔を赤くしてバードを見、それから視線を落としてぼそぼそと告げた。
「あ、あれは……、もし、あなたに同じことを言われたらって想像しながらジェイルのプロポーズを聞いていたから……、それで」
リリアの答えを聞いて、バードの表情に安堵の色が広がった。
「それじゃあ、本当にジェイルのプロポーズは練習だったんだね」
「もちろんよ! 何だってこんな頓珍漢な男のプロポーズなんて受けないといけないの!」
「リリア、ひどいよ……」
ジェイルが情けない声を出すが、今回一か月も悩まされることになった元凶は彼のプロポーズの予行演習なので、リリアは相手にしなかった。
ジェイルの練習につきあったリリアも悪いのかもしれないが、ジェイルがすぐにエルザに弁解していればここまで大ごとにはならなかったはずだ。
バードは腕を伸ばしてリリアを抱きしめると、はぁ、と息を吐きだした。
リリアも一度は失ったと思っていたぬくもりにホッとして、瞳を潤ませている。
エルザはジェイルの腕の中で放心したようになっていたが、特に問題はないだろう。
沙良はシヴァを見上げてにっこりと微笑んだ。
「なんだか、解決したみたいでよかったですね」
シヴァは沙良の頭をポンポンと撫でてから、ぼそりと言った。
「……馬鹿馬鹿しいにもほどがある」