淋しそうな誘拐犯 2
沙良はエルザと一緒にベッドに入った。
沙良が勝手に屋敷から出て行かないかどうか見張る意味もあるらしいが、知らない屋敷で一人にされなくてすんで、沙良はホッと胸をなでおろす。
沙良はごろんと寝返りを打って、エルザの方を向いた。
「ねえエルザさん、バードさんと恋人同士って、嘘ですよね」
「……どうしてそう思うの」
「全然そんな風には見えなかったので」
沙良がきっぱり言うと、エルザは小さく笑った。
「あんたって、お人形みたいな雰囲気のくせに、結構言うのね」
エルザは睨むように天井を見つめた。
「……あんたが言う通り、ほんとはバード様とはなんでもないの。利害が一致してるから一緒にいるだけよ」
「利害……?」
エルザは首を動かして沙良を見た。
「そ。わたしはジェイルの心臓に杭を打ち立てたいの。そして、バード様もそれを望んでる」
「……心臓に杭を突き立てたら、ジェイルさん死んじゃいますよ」
沙良が悲しそうに言えば、エルザはクスリと笑った。
「死なないわ。あの杭ならね。あの杭は特別なの。だから、どうしても取り戻さなくちゃ……。ねえ、あんた、シヴァ様の奥さんでしょ? シヴァ様からあの杭取り戻してくれないかしら。約束したら、離宮に帰してあげてもいいわよ」
離宮に帰してくれると言う申し出は非常に魅力的だったが、沙良が言ったからといってシヴァがすんなり杭を渡してくれるとは思えない。
「無理だと思います……」
「そう。……そうでしょうね」
エルザは枕の上に頬杖をついた。
「ねえ。あんた、どうやってシヴァ様の奥さんになったの? こういっちゃなんだけど、あの方、女性は暇つぶしくらいにしか思ってなかったでしょ。あんまりお会いしたことはなかったけど、シヴァ様があんなに一人の女の子を大事にしてるの、はじめて見たわ」
「ん……、正直、わたしもよくわかりません。十七歳の誕生日の日に連れてこられて、そのままだったんで……」
「……なにそれ。誘拐じゃないの」
「そう言われると、身も蓋もないと言うか」
「まあ……、あんたもシヴァ様のそばにいるとき、幸せそうよね。結果オーライってやつなのかしら。魔王様の考えることはよくわかんないけど」
「エルザさんとジェイルさんは?」
「わたしとジェイル? ……そうね、ジェイルは、最初は年の離れたお兄ちゃんみたいだったの。身分は全然違ったけどね。ジェイルはいつも優しくて、好きだって言われたとき、嬉しかったわ。わたしが十八歳の誕生日だった」
でも、と言葉を切って、エルザは口を閉ざす。
沙良は思いつめたようなエルザの表情に、もしかして、とある可能性に気がついた。
「エルザさんは、まだジェイルさんのことが好き……?」
エルザは小さく息を呑んで、それから自嘲気味に笑った。
「―――好きよ」
やっぱり、と沙良は思った。
だが、ジェイルが好きなら、どうして木の杭を持ち出したりしてジェイルを追いかけまわしているのだろう。バードが恋人という嘘までついて。
それを問うと、エルザは曖昧に笑った。
「事情があるのよ」
「……難しいことはわかりませんけど、でも、ジェイルさんはエルザさんが大好きだから、元の恋人同士には戻れないんですか?」
「戻れないわ」
エルザは悲しそうな顔をして、ポツンとつぶやいた。
「だって……、ジェイルは、本当はリリアのことが好きなんですもの―――」
☆
バードはベッドの淵に腰かけて、寝酒用の蜂蜜酒が入ったグラスを揺らした。
カランカランと音を立てながら揺れる氷が溶けていく。
バードが「あれ」を見てから、ひと月が経過した。
往生際が悪いのは自覚している。けれども、どうしたってあきらめることなんてできなかった。
ベッドのサイドテーブルには天鵞絨の小箱がおいてある。
バードはその隣にグラスをおくと、ベッドに仰向けに横になった。
およそひと月前――
幸せが一瞬で崩れ去った、あの日。
「リリア……」
バードはリリアに、プロポーズをする予定だった。それなのに――。
――結婚してくれないか。
野に咲くマーガレットを摘み取って、バードの最愛のリリアにそう告げたのは、バードではない別の男だ。
遠目に見えたリリアの横顔は赤く染まって、幸せそうな笑顔を浮かべていた。
あの光景を見る瞬間まで、リリアは自分を愛してくれているのだと信じていた。
信じて、これっぽっちも疑ったことはなく、バードのプロポーズを笑顔で受けてくれると思っていた。
それなのに、リリアは、バード以外の男に求婚され、笑顔を浮かべていたのだ。
すぐに身を翻してその場から離れたため、リリアが求婚に対して何と答えたのかはわからない。
けれど、あの笑顔で断るとは考えられなかった。
あの光景を見てからというもの、バードは怖くて仕方がなかった。愛しているリリアの口から、「結婚するの」という一言が飛び出すのを何よりも恐れた。
バードはつまらない男だ。ジェイルのように面白いこともできなければ――ジェイル本人はいたって真面目なのだが――、気の利いたことも言えない。愛しているという言葉すら、リリアを前にすると喉の奥に引っかかって、なかなか声に出すこともできない不器用な男だ。
そんなバードにさっさと見切りをつけて、ほかの男を選んだリリアを、バードは責めることはできないだろう。
バードの腕の中で、幸せそうに微笑んでくれた彼女は、もう二度と腕の中には戻ってきてくれないのかもしれない。
そう考えると心が悲鳴を上げて、呼吸すらうまくできなくなる。
リリアが戻ってきてくれるなら、バードはなんだってする。苦手な冗談も覚えるし、気持ちだって口できるよう努力する。そのほかのことだって、リリアが直せと言うのならすべて矯正する。
自分のできることはすべてするから、もう一度、リリアの愛がほしかった。
けれど、色恋沙汰に疎いバードには、どうすればリリアの心が戻ってくるのかがわからない。
「……リリア、君は、俺を卑怯な男だと、嫌うだろうか……」
☆
「古代魔法が使われている魔法薬だ」
エルザを軟禁していた部屋に残っていた薬瓶を調べたシヴァは、そう結論を下した。
一夜明けてもシヴァの機嫌は一向に直らず―――むしろ、さらに機嫌が悪くなっているように見える―――、部屋に呼び出されたジェイルとリリアは縮こまる。
「古代魔法……、でございますか」
ゼノはシヴァのために気分を落ち着ける作用のあるジャスミンティーを煎れながら、不思議そうに首を傾げた。
古代魔法は今から三千年以上も前に使われていた魔法で、残っている記録は少なく、また、記録が残っていたとしても使えるものはごく僅かな難しい魔法である。
シヴァの父―――先代の魔王は古代魔法の知識を持っていたが、簡単なものしか使えないよと言っていたのをゼノは覚えていた。
当代魔王であるシヴァにどの程度の知識が備わっているのかは定かではないが、難しい表情を浮かべている様子を見ると、あまり得意分野ではなさそうだ。
「よく、そんな珍しいものをエルザが持っていましたね」
「リリアの話ではバードの屋敷にあったもののようだがな。リリア、バードは魔法薬の収集家か何かなのか?」
「バードは魔法薬の研究者ですけど、古代魔法には詳しくないはずです……」
リリアは言いかけて、そういえば、と顔を上げた。
「バードは古代魔法には詳しくないですけど、数年前にセリウス様がバードの屋敷に頻繁にいらしていて、バードと一緒に薬の研究をされていました」
「……セリウスか」
シヴァは眉間にしわを寄せる。弟―――セリウスは、子供のことろから古代魔法に興味を持っていた。研究者になるまでではないが、それなりの知識を持っているはずだ。もっとも、先代魔王の父や、セリウスの双子の弟であるクラウスほど古代魔法に精通しているわけではない。だが、古代魔法に関してはシヴァよりもセリウスの方が充分詳しかった。
「あいつが絡んでいるのなら、ろくでもない薬なんだろうな……」
シヴァは薬瓶の中に残っていた薬から「古代魔法を使った魔法薬」というところまでたどり着くことはできたが、正直、どんな効果をもたらす薬なのかまではわからなかった。
というのも、シヴァは使えない魔法に興味がない。複雑かつ大掛かりなだけで、普通に生活していく上では「使えない」魔法の多い古代魔法には、一切の興味を持てない。それゆえ、これまで古代魔法はほとんど勉強してこなかったのだ。
(……セリウスに借りを作るのは癪だな)
シヴァは魔法薬の効果をセリウスに問いただす、という手段を一瞬で頭の隅に追いやり、ゼノが煎れたジャスミンティーを一気に飲み干すと、おもむろに立ち上がった。
「ぐだぐだ言っていても埒があかない。これがバードの屋敷にあったものなら、バードのもとに行くだけだ。どうせエルザも行くところがないんだろう。バードのもとに戻ったと考えるのが自然だ」
そのまますたすたと部屋を出て行こうとしたシヴァに、ジェイルとリリアは慌てた。
シヴァの機嫌は恐ろしく悪い。沙良を誘拐していったのがエルザとバードだったとすると、この魔王は何をするかわかったものではなかった。
「シヴァ様、僕も行きます!」
「わたしも!」
「邪魔だ」
一刀両断されても、二人はめげなかった。ここで諦めた場合、二人の愛する人は、怒り狂ったシヴァに何をされるのかわかったものではないからだ。
沙良を連れ出したのがエルザだったと仮定して、お願いだから沙良に何も危害を加えないでくれと、ジェイルとリリアは切実に祈った。沙良にかすり傷の一つでもついていた場合、この過保護な魔王の怒りのバロメーターは振り切れるだろう。
ジェイルとリリアでどこまでシヴァの怒りを鎮めることができるかは定かではないが、足に縋りついてでもついて行かなくては。
シヴァは苛立った視線をジェイルとリリアに向けたが、どうしてもついていくと言ってきかない二人に嘆息した。
「俺の邪魔だけはするな」
シヴァは二人の同行を認めると、パチンと指を鳴らした。
一瞬後にバードの屋敷の前に到着した三人は、思いは違えど、それぞれが同じことを思った。
沙良には、かすり傷一つつけるな、と。
☆
――ジェイルは、本当はリリアのことが好きなんですもの。
昨夜、エルザにそう聞かされた沙良だが、昨夜のうちにその理由まで聞きだすことはできなかった。
エルザと二人で朝食をとりながら、沙良はそのことが気になって仕方がない。
(ジェイルさんはエルザさんが大好きなのに、どうしてリリアさんが好きだって思うんだろう……)
オムレツを頬張りながら、うーんと唸る。
もぐもぐと次から次へと食べ物を咀嚼していく沙良に、エルザは少しあきれたような視線を向けた。
「あんた、攫われたってわかってる?」
「え?」
沙良はキョトンとした。
「よくそんなに食べれるわね……」
沙良は自分の手元を見た。
オムレツは半分以上が沙良の胃の中に消えた。バスケットに入っていたバターロールはすでに一つもなく、スープ皿はからっぽ。食後のデザートのドライフルーツの乗ったヨーグルトが残っているだけだ。
一方エルザは、まだバターロールを一つとオムレツを一口食べただけで、ほとんどが残っている。
沙良は急に恥ずかしくなって顔を染めた。
(だ……だって、昨日のお昼から、まともに食べてなかったから……)
昨夜は夕食が出なかった。離宮で朝ごはんを食べたあと、昼も夜も食事をとらず、出されたお菓子しか食べていなかったため、今朝はとても空腹だったのだ。
それでなくとも、シヴァにこの世界に連れてこられてから、食べろ食べろと食事をたくさん出されるようになって、沙良の食欲は増えているのである。おかげで細すぎた体は少しは丸みを帯びてきているのだが、三食とティータイムのおやつが定番になっているため、そろそろダイエットという言葉も覚えた方がいいかもしれなかった。
(でも、貧相って言われるし……)
太りすぎはよくないが、貧相も誉め言葉ではない。むぅ、と沙良が頓珍漢な方向で悩んでいると、エルザはそっと息をついた。
「あんたって、見た目と違ってなかなか神経図太いわよね」
「ありがとうございます」
「……ほめてないわよ?」
エルザはもう一度ため息をついた。
沙良は小さく首を傾げたが、気にせずに食事を続けた。食後のヨーグルトまで食べ終えると、満足したように腹をおさえてから、オレンジジュースを飲む。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「……そう。よかったわね」
エルザは微苦笑を浮かべて、食事の手を止めると、カフェオレを口に運ぶ。
「それで、あんた、朝からずっとわたしの顔を見てはそわそわしてるけど、もしかして、昨日の続きを聞きたいの?」
ばれていたのか。気づかれていたら仕方ないと、沙良は開き直ることにした。
「はい。どうしてジェイルさんがリリアさんを好きだって思うのか、知りたいです」
「……ふつうは聞かないと思うけどね、そういうデリケートな部分って。あんたって本当に変わってるわ」
エルザはカフェオレのカップをおくと、テーブルの上に肘をついて指を組み、その上に顎を乗せた。
「いいわ。わたしも誰かに聞いてほしかったし。話してあげる」
エルザは視線を下に落とすと、少し寂しそうな表情を浮かべて語りだした。