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旦那様は魔王様!  作者: 狭山ひびき
離宮の夜は大混乱⁉
20/82

エルザ捕獲大作戦!

 バードはソファに深く腰掛け、かれこれ小一時間ほど、手に持った天鵞絨ビロードの小箱を見つめ続けていた。

 特に何かをするわけでもない。

 微動だにせず、ただ単に手元を見つめ続けているだけだ。

 リリアが来なくなって、屋敷は火が消えたように静かになった。

 バードは、下手をすれば部屋から一歩も出ずに一日をすごし、使用人たちも、そんなバードに気を遣ってか、不必要に彼の周りにやってきたりはしない。

 ただゆっくりと静かに時間が流れていく。


「バード様」


 遠慮がちに呼ばれ、バードはハッと顔を上げた。

 部屋の入口のところで、所在投げに立ち尽くしているエルザの姿を見つける。

 いつ入ってきたのだろう。扉があく音にすら気がつかないほど、ぼんやりしていたのだろう。

 バードは天鵞絨の小箱をサイドテーブルの上におくと、エルザに向けて小さく笑いかけた。その笑みは、口の端を微かに持ち上げただけの、本当に些細なものだった。最近、笑い方を忘れてしまったようだ。今までどうやって微笑んでいたのかが思い出せない。


「気づかなくてごめん。そんなところに立っていないで、こっちに来て座りなさい」

「はい……」


 エルザは硬い表情で頷くと、バードの向かい側のソファに腰を下ろした。

 エルザの手には、大事そうに木のくいが抱え持たれている。バードはそれを見下ろして、困ったような顔をした。


「また、駄目だったの?」

「……はい」

「眠り薬、調合してあげようか? ああ、でも、飲ませるのが大変か」


 エルザは無言で首肯すると、言いにくそうに口を開いた。


「シヴァ様が……、いらしていました」


 それを聞いて、バードは顔をしかめた。


「シヴァ様が? なんだってこんな時に……」

「わかりません。それに、離宮全体に結界が張られていて、忍び込めなくなっていました」

「まいったな……」


 バードは嘆息すると、視線を落として考え込んだ。そして、ふと何かを思い出したように顔を上げると、ソファから立ち上がり、壁際の本棚に向かった。そこには分厚い本以外にも、何やら怪しげな小瓶や箱などがおかれてあった。

 バードは赤い布張りの箱と、小さな小瓶を持って戻ってきた。


「確か……、あった」


 箱を開けると、中には古い羊皮紙が入っていた。


「三年ほど前に、セリウス殿下がおいていったんだ。離宮の見取り図だよ。ここ、地下通路があるんだ。人目に見つからず、離宮の地下にもぐりこめるそうだよ。シヴァ様に城から追い出されて、殿下は、こそこそ離宮の地下にもぐりこんでは、悠々自適に過ごしていたみたいだから、間違いないと思う」


 そういえばバードは王弟セリウスと友人同士だったなと思い出し、エルザは羊皮紙をじっと見つめた。

 見取り図によれば、地下の倉庫に通じる通路のようだ。地下の倉庫はほとんど使われておらず、エルザの知る限り、ここ数年、誰かが倉庫を開けたことはないはずだった。

 王弟が王家所有の離宮に忍び込むというのはおかしな話だが、セリウスならやりかねない。おそらくこの情報は正しいはずだ。


「結界が張られていても、ここからなら入れるかもしれませんね」

「ああ、試してみる価値はあると思う、あと……、これ」


 セリウスは薄ピンク色の小瓶を差し出した。


「これは?」

「この十年、暇を持て余した殿下が暇つぶしに研究していた魔法薬の一つだよ」

「魔法薬?」

「そう。なんでも、飲んで数時間の間、体が透明になるらしい」

「……」


 なんでそんな妙なものを作ったのだろう。エルザは小瓶を指先でつまむと、胡乱うろんな目をして、半透明な小瓶の中身を覗き込んだ。


「こんなものがあるなら、もっと早くに出してくださればいいのに……」


 そうすれば、ジェイルの心臓に杭を打つこともできていたかもしれないのに。


「うん……。出さなかったのは理由があるんだ。これ、殿下曰く試作品らしくて、『透明にはなるけど、そのほかは何が起こるかはわからない』らしいんだよね……」

「ろくでもない薬ですね……」

「そう思う。だから、本当は使いたくなかったんだけど、一応、保険として預けておくよ。できれば使わないでいてほしいけど」


 エルザは小瓶の中身を軽く揺らし、こくりと頷いて立ち上がった。

 彼女が静かに部屋から出て行くと、バードは再び天鵞絨の小箱に視線を移す。

 心のどこかで、自分はいったい何をしているのだろうという自問の声がする。

 だが、バードはもう、後には引けないのだ。


「……リリア」


 バードはポツンとつぶやいた。




     ☆




 エルザを捕まえる。

 そう宣言したジェイルは、おそらくエルザが来るのは夜だろうと言った。

 シヴァの顔を見たエルザが、昼間から堂々とやってくることは考えにくい。

 エルザはジェイルが地下の棺桶かんおけの中で眠っていることを知っている。そう考えれば、シヴァたちが寝静まった夜、地下に一人きりになったジェイルを狙うはずだ――


「ジェイルさん、大丈夫でしょうか」


 ――夜。


 ジェイルの作戦通り、ジェイルは地下の棺桶の中で横になり、沙良とリリアはシヴァとゼノとともに待機していた。

 シヴァの張った結界は、完全には解かれていないが、エルザが忍び込みやすいよう、緩めてある。

 沙良は心配そうにつぶやくと、のんびりとした様子でゼノが持ってきた赤ワインを飲んでいるシヴァを見上げた。


「心配するな」

「でも……」


 沙良は次にリリアを見る。

 リリアも心配そうな表情を浮かべていた。


「なんだって、エルザは杭なんて持ち出したのかしら……」

「当人に聞くしかないだろう」

「そうですね。……ジェイルは大丈夫かしら」


 頬に手を当てて、リリアはふうっと息を吐きだす。


「ジェイルが強いのはわかっているんですけど……。その……、あの人、うっかり棺桶の中で寝ちゃわないかしらって……」


 あり得る。シヴァはワイングラスを口につけたまま動作を止めた。

 いくら何でもそこまで馬鹿だと思わないが、あの男は少しずれている。エルザを待つうちにうっかり眠りにつくくらいやらかしそうだ。

 シヴァはワイングラスをおくと、億劫おっくうそうに立ち上がった。


「仕方ない、様子を見に行くか」


 シヴァはゼノに沙良とリリアを頼むと告げると、気乗りしない様子で、部屋から出て行ったのだった。




     ☆




 エルザは羊皮紙に書かれた地下通路を進んでいた。

 丸いトンネル状の地下通路の天井は低く、中腰でないと進めない。

 暗い地下通路の中を照らすのは、彼女が作り出した淡い光の玉だ。魔力の少ない彼女では地下通路全体を照らすほどの灯りを生み出すことはできず、自身の周囲をぼんやりと照らすだけで精いっぱいだった。


 ぴちゃん、と遠くで水が落ちるような音がする。

 十五分ほど歩き続けたところで、行き止まりになった。上を見上げると、人一人がぎりぎり通れるほどの小さな木戸があった。この上が地下倉庫だろう。

 エルザは両手で木戸を上に押し開けると、そこから倉庫の中に入り込んだ。

 足元の木戸をもとのように閉ざし、ふう、と息をついて倉庫の中を見渡したエルザは、思わずポカンと口を開けた。


 倉庫の中は、倉庫であって、倉庫ではなかった。

 もともと倉庫に無造作においてあったと思われる荷物は、片方の壁にまとめて積み上げられており、それによって生まれたもう片側の空間には、大の男が寝そべっても余裕があるほどの大きなソファ、小さなテーブル、半分飲まれた形跡のあるウイスキーのボトルに、本、クッション、ボードゲーム。


(……セリウス様かしら?)


 明らかに誰かが生活していた痕跡がある。バードが、セリウスが忍び込んで生活していたようだと言っていたから、おそらくこれはセリウスの仕業で間違いないだろう。


(もっと早くわかっていたら、わたしもここに隠れていられたわね……)


 ジェイルの心臓も狙いやすかっただろう。バードも早く教えてくれればよかったのに。

 エルザは倉庫の入口まで歩いていくと、扉に耳をつけて、念のため外に誰もいないことを確かめた。

 小さく扉を開いて、そっと体を滑らせるように外に出る。

 ジェイルが私室がわりに使っている地下の部屋は、倉庫を出て、さらに地下へ続く階段を下りた先にある。


 エルザはなるべく足音を立てないように階段を下りていくと、たどり着いた扉の前で深呼吸をした。

 静かに扉を開けて部屋の中へ入ると、中央に鎮座している大きな棺桶に地下づく。

 黒い光沢のある表面をそっと撫でると、耳を近づけて、中の音を聞いた。静かな呼吸が聞こえている。ジェイルは眠っているようだ。


 エルザは、棺桶の重たい蓋をゆっくりとずらすと、幸せそうに眠っているジェイルの端正な顔を見つめた。

 口を開けていると頓珍漢なことばかりを言うジェイルだが、黙っているときは見ほれるほど整った顔立ちをしている。透けるような白い肌も、つややかな黒髪も、エルザは羨ましくて仕方がなかった。


(……あなたが、悪いのよ)


 エルザは、外套の内ポケットから木の杭を取り出すと、ぐっと握りしめる。

 ジェイルの心臓の上にかざして、唇をかんだ。


「あなたが、悪いの……」


 杭を持つ手が微かに震える。

 だが、エルザはここで止まるわけにはいかないのだ。

 エルザは杭を大きく振りかざすと、ジェイルの胸めがけて力いっぱい振り下ろした。だが――


「そこまでだ」


 静かな声とともに、エルザの手首が誰かに掴まれる。

 胸に突き立てるまで、あと十数センチという距離で阻まれて、エルザは息を呑んで振り返った。


「誰―――」


 目的を阻んだ相手を怒鳴りつけようとしたエルザは、そこにいた男に言葉を失う。感情の読めない冷たい目をした男は、魔王シヴァだった。




     ☆



 シヴァはエルザの手首を掴んだまま、冷ややかにジェイルを見下ろした。


「何をしているんだお前は」


 あきれた声でシヴァが言えば、眠っているはずのジェイルの双眸そうぼうがゆっくりと開いた。ルビーのように赤い瞳が、エルザを見て優しく細められる。


「……起きていたの」


 エルザは愕然がくぜんとした。

 ジェイルは上体を起こすと、エルザの持つ木製のくいを指さした。


「うん。君はどうしてもそれを僕に突き立てたいみたいだったから、ためしに突き立てられてみてもいいかなって思ったんだ」

酔狂すいきょうだな……」

「ちゃんと、心臓に到達する前に止めるつもりではいましたよ?」


 ジェイルは肩をすくめて、表情を強張らせているエルザに向き合った。


「こうしてきちんと向き合うのは久しぶりだね、エルザ。元気だった?」


 穏やかにジェイルが言えば、エルザは一瞬泣きそうな顔をした。だが、次の瞬間にはまなじりをつり上げて、キッとジェイルを睨みつける。


「わたしが元気でも元気じゃなくても、あなたには関係ないでしょう!」

「君が元気だったら、僕は嬉しいよ」

「……。ほんと、ばっかじゃないの」


 エルザはツンとそっぽを向いた。

 片腕をシヴァに掴まれているので、逃げ出すことはできない。相手が魔王なだけに、エルザでは手も足も出ないことはわかっている。彼女は抵抗しないかわりに、その鬱憤うっぷんを言葉に乗せてジェイルに向けた。


「昔からそう。あなたはわたしが何を言ってもニコニコしてばっかり。でも、心臓に杭を突き立てられようとしても笑っていられるなんて、神経を疑うわ! わたしにはあなたが何を考えているのかまったくわからない!」

「僕は君にならたとえ殺されてもいいかなって思っているだけだよ」

「はぁ?」

「……阿呆が」


 声を裏返すエルザの横で、シヴァが大きく嘆息する。

 ジェイルは相変わらずニコニコしながら「でも」と続けた。


「僕が死んだら、エルザが一人ぼっちになっちゃうから、僕を殺すのは、そうしなければ君が死ぬくらいの、どうしようもなくなった時だけにしてほしいな」

「―――」


 ジェイルは棺桶の外に出ると、言葉を失っているエルザの頭を撫でた。


「ごめんね、こんなだまし討ちみたいなことをして捕まえて。どうしても君と話がしたかったんだ」


 エルザはジェイルの手をはねのけたりはしなかった。そのかわり、口を閉ざすとだんまりを決め込む。

 ジェイルが何を話しかけても、意地でも口を開こうとしないエルザに、シヴァは彼女を荷物のように肩に担いだ。


「きゃあ!」

「シヴァ様、エルザを手荒に扱わないでください!」


 エルザが悲鳴を上げ、ジェイルが苦情を言ったが、シヴァは苦情を一切聞き入れず、淡々と告げた。


「いつまでもこんなところで話していても仕方がないだろう。上の部屋に上がるぞ」


 シヴァは開いた方の手でジェイルの襟をつかむと、一瞬で沙良たちのいる部屋へと移動する。

 部屋につくなり、肩に担いでいたエルザをぽいっとジェイルに向かって放れば、彼は慌てて彼女を抱き留めた。

 シヴァはぽかんとした顔をしている沙良の隣に腰かけると、彼女の頭をポンポンと撫でた。


「これで安心だろう?」


 なるほど、沙良がジェイルが心配だと告げたからここに連れてきたらしいと判断した沙良は、首を巡らせてジェイルを見やった。

 エルザを抱き留めたジェイルは、腕の中で暴れるエルザに頬をひっかかれて悲鳴を上げていた。


(……安心?)


 沙良は疑問を持ったが、ひっかかれても嬉しそうなジェイルの表情を見て、口には出さなかった。よくわからないが、あれはあれで幸せそうだ。

 ジェイルを怒鳴りつけているエルザと、にこにこしているジェイル、困惑した表情を浮かべているリリアを順番に見やって、最後に沙良はシヴァを見上げた。

 彼はもう、一仕事を終えたような顔をして優雅に飲みかけの赤ワインに口をつけはじめている。


(これからどうするんだろう……)


 なんだか、問題を混乱させただけのような気もする。

 沙良はよくわからなくなった状況に、とりあえず一番安心できるシヴァにぴったりとくっついておくことにしたのだった。


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