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旦那様は魔王様!  作者: 狭山ひびき
離宮の夜は大混乱⁉
19/82

浮気はドロドロだからダメなのです!

 ――しばらく、ここには来ないでくれ。


 およそ一月前、目も合わさずにそう告げた人のことを考える。


 精緻せいちな彫刻がなされた、黒檀こくたんの扉の前で、彼女は深呼吸を繰り返した。

 ひと月、悩んだ。

 でも、結局答えらしい答えなんて見つからなかった。

 一人で悩むことには限界で、たどり着いたのはここだった。


(きっと……、ジェイルなら力になってくれる)


 彼女はもう一度大きく息を吸い込むと、コンコンと黒檀の扉をノックした。




     ☆




 沙良はシヴァの膝の上に抱っこされて、ゼノが紅茶とともに持ってきてくれたプリンを食べていた。

 どうして自分が今この体勢なのか、実のところ、沙良にも原因はよくわからない。

 朝、シヴァの抱き枕状態で目覚めて、しばらくは沙良も一人で部屋の中を動き回っていた。

 着替えて、朝食をとって、温泉に入った。

 用心のためだと言って一緒に温泉に入ろうとするシヴァをどうしても止めることができなかったので、押し問答の末、ゼノに頼んで水着を用意してもらうことで混浴の恥ずかしさを少しだけ回避することに成功し、昨日までよりは快適に温泉を楽しんだ。

 ここまではよかったのだ。

 午後になり、昼前まで惰眠をむさぼっていたジェイルが起きてきて、物欲しげに沙良の首筋をじーっと見つめてきて――、このあたりから、シヴァの様子がおかしくなった。

 最初は警戒していた沙良も、シヴァさえそばにいれば安全だと、余裕綽々でシヴァの隣で本を読んでいたのだが、不機嫌オーラを醸し出しはじめたシヴァにより、ひょいと抱きあげられて、気づけば膝の上に抱きかかえられる羽目になったのである。

 沙良が恥ずかしくなって膝から降りても、少ししたら膝の上に戻されるので、沙良はシヴァの膝の上に落ち着くことになったのだった。


「エルザを締め出しておけばどうにかなる問題ではないだろう。なにか考えたのか?」


 シヴァが問えば、ジェイルはにっこりと微笑んだ。


「エルザが僕の胸に飛び込んできてくれるのを待ちます」

「……」


 シヴァは無言でソファの上のクッションを掴むと、ジェイルの顔面目掛けて投げつけた。


「ぶ!」

「相変わらず脳内花畑な男だな! 馬鹿なことを言っていないで、自分のことなんだ、少しは考えろ!」

「そんなこと言われても……。エルザは短気だし、すぐに怒るけど、いつも必ず腕の中に戻ってきてくれるんです。今回はたまたま少し長いですけど……」

「じゃあ何か? いつもエルザは、怒ると木のくいを持ち出してお前を追いかけるのか?」

「―――さすがにそれは、今回がはじめてですけど」


 シヴァはため息をついた。

 当人がのほほんと構えているから、この一か月もの間、問題が解決しなかったのだろう。

 だが、せっかく離宮にのんびりしに来たというのに、面倒ごとに巻き込まれたシヴァは、のほほん、と構えているつもりはなかった。

 問題が解決しなければ、いつまでたってもゆっくりできない。


「どうしてエルザさんは、ジェイルさんの心臓がほしいんでしょうか」


 プリンを食べ終えた沙良が素朴そぼくな疑問を口にすると、ジェイルがへらっと笑み崩れる。


「僕の心が―――」

「そんなはずないだろう!」


 シヴァに一喝いっかつされて、ジェイルはシュンと肩を落とした。


「ちょっと思ったんですけど、急に心臓って変だなぁって思ったんです。心臓とられたら死んじゃうって昨日シヴァ様言ったけど、殺したいなら、わざわざ木の杭にこだわらなくてもいいと思いませんか?」


 のんびりした口調で沙良が言えば、シヴァが沙良を見下ろして目を丸くした。


「確かにな。木の杭を心臓に打ちつけるなんて、相当な力が必要だ。非効率だな」

「ですよね。みなさん魔法が使えるみたいだし、木の杭じゃなくても、ほかにもいくらでも方法ありそうなのに」

「そうだな。殺すならもっと効率的な方法がいくらでもあるな」

「あの、二人とも……、なんか僕を殺すこと前提で話してません?」


 のんびりした様子で繰り広げられる魔王夫妻の会話に、さすがに黙っていられなくなったジェイルは口を挟んだ。

 虫も殺せそうにない、ほわわんとしたお人形みたいな沙良の口から「殺す」という単語が出てきただけでも驚きだが、世間話をするように怖い会話をはじめるのはもっと驚きだ。

 沙良はハッとして、あわあわと胸の前で手を振った。


「あ、ジェイルさんを殺そうとか思ってませんよ!」

「……沙良、そこは誰も心配していない」


 頓珍漢とんちんかんなことを言う沙良の頭を撫でて、シヴァが苦笑する。

 その時、コンコンと部屋の扉が叩かれて、ゼノが顔を出した。


「お話し中すみません。ジェイル様へお客様がいらしていますが、いかがされますか?」


 ジェイルは、急な来客に目を丸くした。


「客? 誰も来る予定はなかったけど―――、誰?」


 ゼノは少しだけ困った顔をした。


「リリア様が、いらしています」





 ゼノが困った顔をしていた理由はすぐにわかった。

 ゼノに案内されて部屋に通された女性は、今にも泣きだしそうな顔をしていたのだ。

 彼女はリリアと言って、ジェイルの従兄弟らしい。つまるところ、彼女もシヴァの遠縁だそうだ。

 ピンクベージュの色をしたセミロングヘアに、大きな目をした、小柄でかわいらしい女性だった。


「シヴァ様もいらしていたのですね」


 リリアはシヴァに頭を下げると、シヴァの膝の上にちょこんと座っている沙良を見て、驚いたように目を丸くした。

 沙良はシヴァの膝の上から降りて、リリアにぺこりと頭を下げた。


「沙良です。はじめまして」

「あ……、リリアです。はじめまして。……ええっと」


 リリアは戸惑ったようにジェイルを見た。

 ジェイルがリリアにソファをすすめながら、


「沙良ちゃんはシヴァ様のお嫁さんだよ」


 と説明する。


「お嫁さん!?」


 リリアは愕然とした表情になって、沙良の幼い顔を見つめた。

 沙良はリリアの視線を受け止めながら、セリウスに「十三歳」と間違えられたのを思い出した。また同じように間違えられるのかもしれないと心配になった沙良は先手を打った。


「一応、十七歳です」


 聞かれてもいないのに年を答えると、リリアよりもジェイルの方が驚いた。


「沙良ちゃん十七歳なの!? 十二歳くらいかと思ってた」

「……」


 十三歳よりも少なかった。

 沙良は少し傷ついて、無言でシヴァの隣に腰を下ろすと、その腕にぎゅっと抱きついた。


「……十二歳はひどいです」


 ぼそりと言えば、シヴァがじろりとジェイルを睨んだ。


「精神年齢五歳児が人の年をとやかく言うな」

「シヴァ様五歳児はあんまりです!」


 ジェイルが悲鳴のような声を上げるが、シヴァは完全に無視をして、リリアに向きなおる。


「それでリリア。何かあったのか?」


 リリアはゼノが煎れた紅茶に口をつけながら、気持ちを落ち着けるように細く息を吐きだした。


「はい……、どうしても、ジェイルに相談にのってほしくて」

「ジェイルに?」

「……そんな心底意外そうな目で見ないでください」


 ジェイルは情けない声を出したが、気を取り直すようにコホンと咳ばらいを一つすると、従妹に向きなおった。


「それで、相談って?」


 リリアはティーカップをおくと、きゅっと唇をかんでうつむいた。


「―――バードが……、変なの」




     ☆




 ――それは、およそ一月前のことだった。


 バードは魔王の離宮から少し離れた森の中に屋敷を構えていて、喧騒よりも静寂を愛する、優しく穏やかな青年だった。

 そして、音楽をこよなく愛する彼は、暇さえあればヴァイオリンを奏でているのだが、リリアが屋敷を訪れたときは、何をしていても必ず手を止めて相手をしてくれた。それがたとえ突然の訪問であっても関係なく。


 リリアはバードの低くて穏やかな声と、彼の奏でるヴァイオリンの音色が大好きだった。

 バードは従兄であるジェイルの親友だったが、その性格は正反対と言っても過言でなく、慌てたところなど見たことがないほど常に冷静沈着な男性だった。


 そんな彼にリリアが恋心を抱くのは、ごくごく当たり前のことだっただろう。

 そして、バードに恋をしたリリアが、足しげく彼の屋敷に通っているうちに、こちらも当然の成り行きかもしれないが、二人は恋人同士になっていた。

 バードは屋敷にやってくるリリアをいつも笑顔でむかえ、特に大きな喧嘩をすることもなく、順調な日々が続いていたはずだった。


 それなのに――


 バードの様子がおかしくなったのは、およそ一月前。

 リリアはいつものようにバードの屋敷を訪れていた。

 リリアが訪れたとき、彼はヴァイオリンを抱え持ち、しかし弾くのでもなく、ただぼんやりと椅子に座って虚空を見つめていた。


「……バード?」


 物思いにふけっているバードに、リリアは訝しそうに声をかけた。

 リリアの声を聞き、彼はハッと目を見開くと、部屋の入口で首を傾げている恋人に焦点を合わせた。

 だが、リリアと目が合うと、彼はふいっと顔をそらし、抱え持っていたヴァイオリンに視線を落とした。


「バード、どうかしたの?」


 明らかにいつもと様子が異なるバードに、リリアは心配になって歩み寄った。


「どうもしないよ」


 バードは微笑みを浮かべたが、その笑みが作り物のように感じて、リリアはますます怪訝に思った。


「やっぱり変よ。なんだか元気がないわ」

「そんなことはないよ」

「嘘よ。だって―――」


 バードはいつも、リリアが来ると笑顔でむかえて抱きしめてくれるのだ。それなのに、彼は今、椅子に座ったままで、笑顔もまるで仮面を張り付けたかのようにぎこちないし、何よりリリアを歓迎しているようには見えないのである。


「……具合でも、悪いの?」


 バードは微苦笑を浮かべると、少し考えて、小さくうなずいた。


「そうだね、少し頭が痛いかもしれない。安静にしていれば落ち着くと思うけど、君を退屈させてしまうかな」

「退屈なんてそんな……! 大変じゃない。起きていないで寝ていなくちゃ!」


 リリアはバードの手を引っ張って立ち上がらせると、彼の背中を押して寝室まで連れて行った。


 バードをベッドに寝かせると、ベッドの隣まで椅子を引っ張ってきて腰を下ろす。


「ちゃんと寝て。わたしはここにいるから」

「……うん、ありがとう」

「体調の悪いときは無理しちゃダメなのよ」

「そうだね。気をつけるよ」


 バードはやはり浮かない顔をしていたが、リリアは、彼は体調が悪かったのだと、その日は納得した。

 しかし、彼の様子は数日たっても一向に元には戻らず、むしろ悪化していく一方で、ついに三日前、にこりとも笑わなくなったバードに、リリアはこう言われた。


 ――もう、ここには来ないでくれ。


 リリアは真っ青になってバードに理由を訊ねたが、彼は何も理由は教えてくれず、悩み続けたリリアは、ついに限界になってジェイルを訪ねたのだった。




     ☆



「ということなの」


 話しているうちに感情が高ぶったのか、途中から泣き出してしまったリリアは、ハンカチで涙をぬぐった。

 そして、なぜかもらい泣きをしてしまった沙良もグスグスと鼻を鳴らしはじめて、困惑したシヴァがなだめるように彼女の頭を撫でている。


「沙良、お前まで泣かなくてもいいだろう」

「だって……、リリアさん、かわいそうです」

「ありがとう、沙良ちゃん」


 顔を見合わせて互いに目を潤ませる女性二人に、シヴァはこっそりため息を吐いた。


「ねえ、ジェイル。あなたバードと仲がいいでしょ? 何か知らな―――、ジェイル?」


 少し赤くなった目でリリアがジェイルを見れば、彼は青い顔をしていた。


「どうかしたの、ジェイル」


 リリアの訝しそうな声で、シヴァと沙良もジェイルに視線をやった。

 ジェイルは気分が悪くなったかのように口もとを手で覆った。


「……一か月くらい前って言った?」

「ええ、そうよ」

「―――いやいや、そんな、まさか……」

「ジェイル、なんだか、あなた変よ」

「変じゃないよ!」


 ジェイルは即座にそう否定したが、やおら立ち上がると、ぶつぶつと口の中で何かをつぶやきながら、部屋の中を右往左往しはじめた。明らかに挙動不審である。

 リリアはしばらくジェイルの妙な行動を見つめていたが、いつまでも右に行ったり左に行ったりと歩き回るので、うんざりしてきたのだろう、ソファから立ち上がると、ジェイルの腕をつかんで強制的に連れ戻した。


「何か知ってるのね?」

「何も知らない」

「あなた、たまに本当に馬鹿よね。どうやったら、今のでとぼけられると思うの」

「……う」


 ジェイルは小さく唸った。

 ジェイルの奇妙な行動を目の当りにした沙良は、一人漫才でも見ているような気になり、すっかり涙が引っ込んでしまった。

 沙良の涙に弱っていたシヴァは、内心、たまには馬鹿も役に立つものだと密かに感心し、リリアに問い詰められているジェイルを面白そうに見やる。

 ジェイルはそれでも往生際悪く、必死でとぼけようとしていたが、最終的にリリアに首を締め上げられて、とうとう白旗を上げた。


「……わかった。言うよ。でも、きっと勘違いだよ。何かの間違いだから。明日目が覚めたら全部夢だから」

「意味がわからないわ。いいからさっさと話して」


 ジェイルは観念して、肩をすくめた。


「……一か月と少し前……、ちょっとわけあって、僕とエルザは喧嘩をしたんだ。ああ、たいしたことじゃないんだよ。ただ、いつも数日したら機嫌を直してくれるエルザが、今回はどういうわけか機嫌を直してくれなくて……。それで、ここを出て行く前に、彼女、言ったんだよね。ああ、もちろん、心からじゃないよ! きっと咄嗟に思ってもいないことを―――」

「回りくどい! 要点だけ言え!」


 ぼそぼそした声でだらだらと話すジェイルに嫌気がさしたシヴァが一喝すると、ジェイルはうっと言葉を詰まらせて、消え入りそうな声でこう言った。


「……バードと暮らすって」

「え?」


 リリアは双眸を大きく見開いた。


「今なんて言ったの?」

「だから……、およそ一月前、エルザは、バードと暮らすと言って出て行ったんだ」


 リリアの顔から血の気が引いた。力なくソファの背もたれに体をうずめた彼女は、やがて両手で顔を覆う。


「そんな……」


 二人の様子を見ていた沙良は、なんだか、話がまずい方向へ行っていると感じ、シヴァの袖口をぎゅっとつかんだ。


(……浮気?)


 浮気が何なのか、いまいち理解できていない沙良であるが、その単語は知っている。


(ミリアムが、浮気はドロドロって言ってた……)


 きっとこれはまずいやつだ。

 おろおろする沙良をよそに、リリアは声を絞り出すようにして言った。


「そういえば、一週間くらい前、バードの屋敷でエルザを見かけたわ」

「きっとたまたまだ」

「……あなたはポジティブでいいわね」


 リリアは顔を覆ったまま細く息を吐きだした。


「信じたくないけど、エルザがバードと一緒にいると言うなら、辻褄があうもの……。急にそっけなくなったのも、全部……」

「それは違う!」


 ジェイルは青い顔をしたまま、けれどもきっぱりと否定した。


「違う。違うんだ。だってエルザは―――」


 ジェイルはそこで口ごもると、シヴァに視線を移した。


「シヴァ様、少しだけ、協力してくれませんか。本当は、エルザの心が落ち着いて、自分から戻ってくるまで待とうと思っていたんですけど……」

「どうする気だ?」


 ジェイルは真面目な顔になると、リリアの肩をポンと叩き、言った。


「エルザを、捕まえようと思います」


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